第39話「嵐の前の晩餐」
夕刻。賑わう酒場の扉を開けた瞬間、甲高い声が飛んだ。
「ほら、こっちこっち!」
マリーナが人目もはばからず手を振っている。
「あ、あぁ……ありがとう」
亮太はぎこちなく腰を下ろす。
(……正直かなり気まずい。もとはと言えばマリーナのおかげでシリウスを説得できたのに、結局ゴルドとの契約は破談。恩を仇で返したようなもんだ)
「聞きましたよ!亮太さん、商会の窓から逃亡したんですって? ゴルド氏、もうカンカンだそうですよ!」
「しっ、静かにしてくれ……!」
周囲を見回すと、既に酒場中の視線が注がれていた。
「……あれが例の」
「ツメガリを倒したって奴だろ」
マリーナはわざとらしく口元を押さえ、にやにや笑った。
「ふふふ……亮太さん、すっかり有名人ですね?」
(うわああ……完全に悪目立ちしてる……!)
「でもまさか、あのツメガリを倒すなんて!もう英雄ですよ、英雄!」
「……いや、それは俺じゃな――」
その声色がふいに鋭くなる。
「……でも本当にいいんですか?」
「え……」
「このままじゃ遠征クエストは頓挫するかもしれませんよ? 今の赤字が続けば……ギルドの皆さん夜逃げ、なんてことになっちゃいます」
「それは……なんとかするつもり……いや、何とかして見せる。でも……ごめん、マリーナ」
「え……どうして亮太さんが謝ってるんですか?」
「せっかくシリウスを紹介してくれたのに……ゴルドとは契約しなかった。本当にすまない」
マリーナは一時、目を瞬していたが、そしてにっこりと笑った。
「そんなの気にしてません! 亮太さんがそう決めたなら、それが一番正しいんですよ!」
「……ありがとう」
亮太は書類を差し出す。
「これを――ゴルドの悪行を示す証拠だ。」
マリーナは受け取り、目を通すと、表情を変えて椅子を蹴りそうな勢いで立ち上がった。
「こ、これは……どこで手に入れたんですか!? ……すごすぎますよ亮太さん!!!」
「この書類を公表してほしい。……お願いできるか?」
「ふふん。任せてください! 自由記者の力をフル活用しますよっ!」
「頼りにしてる」
マリーナは得意げにウインクしてみせた。
席を立ち、歩き出す亮太の背に、マリーナの声が飛ぶ。
「亮太さん!」
振り返ると、彼女は笑顔を輝かせていた。
「これからも記者として……いちファンとして、あなたの活躍を追っかけますから!」
「……ははは」
亮太は苦笑しつつも、ほんの少し肩の荷が軽くなった気がした。
亮太が席を立ち、酒場の扉が閉まる。
その瞬間、マリーナはクスクスと笑い始めた。
「……ふふっ」
カウンターの奥で杯を拭いていた酒場のマスターが怪訝そうに眉をひそめる。
「おい嬢ちゃん、何がそんなに可笑しいんだ?」
マリーナは受け取ったグラスを指で回しながら、あえて軽い調子で答えた。
「実はね、最初は亮太さんがゴルドと手を組んだら、その瞬間しょっ引いてやろうと思ってたんですよ。私、本職は自由記者ってことにしてますけど――ほんとは王都の監査官ですから」
マスターが驚いて口を半開きにする中、マリーナは小さく笑みを深める。
「でもね、まさか私ですら把握していなかったゴルドの闇の帳簿を持って帰ってくるなんて。が“奴を肥らせてから仕留める”って言ってた理由、今ようやく分かりました」
声色は徐々に冷ややかに、目には記者としてではなく監査官としての鋭さが宿っていた。
マリーナは目の前の文書を軽く叩き、唇を引き締めた。
「でも、あの人は、私が仕留めます」
亮太がヴァネッサの家へ戻ると、台所から香ばしい匂いが漂ってきた。
扉を開けると、ユリス、オルグレンが机を並べ、リーネと子どもたちがせっせと皿を運んでいる。
「ちょうどいいところに帰ってきたわね」
ヴァネッサが腰に手を当て、鼻歌混じりに鍋をかき混ぜていた。
「え、これ全部……」
「いろんな商店で“手数料”としていただいた品を組み合わせたの。おかげで庶民の食材でも、立派なごちそうになったでしょ?」
机に並んだ料理は、素朴ながら食欲をそそるものばかりだった。
焼きたての香ばしいパンに、香草を効かせた煮込みスープ。
燻製肉の薄切りと、色とりどりの野菜を和えた温サラダ。
さらに特製のソースで炒められた魚料理が湯気を立てている。
子どもたちが歓声を上げ、椅子を引き合って席に着いた。
にぎやかな声に囲まれながら、リーネがスプーンを口に運ぶ。
「……っ! お、おいしいです! とろけちゃいそう……!」
彼女の頬は幸せそうに緩んでいる。
ユリスはというと――表情こそ必死に抑えていたが、バクバクと勢いよく食べ続けている。
(うまそうに食べているのを隠しきれてないぞ……)
亮太は苦笑する。
「ふむ……こりゃ店を開けるんじゃないのか?」
「こりゃ店を開けるな」
オルグレンの言葉に、ヴァネッサは小悪魔のように笑った。
「代金は今すぐいただこうかしら?」
子どもたちが笑い声を上げ、食卓は温かい空気に包まれた。
翌日、宿の窓の外がざわついていた。
「……なんだか騒がしいな」
ユリスが腰の剣に手を添える。
「出てみましょう。何か起きているかもしれません」
にぎわいの街に、不穏な空気が流れていた――。
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