第15話「評価制度改革」
ギルドの広間に向かうと冒険者たちが口々に声をかけてきた。
「お、亮太だ」
「よっ!救世主さん」
冒険者たちの視線が、広間に入ってきた亮太に一斉に集まる。声をかけられるたびに、亮太は頬を掻きながら曖昧に笑った。
「はは……俺、そんなに注目される人間じゃないんだけどな」
その肩を、がっしりとした手が叩いた。
ギルドマスター・バルドだ。顔を真っ赤にして笑い声を響かせる。
「はっはっは! 亮太、お前もうギルドの顔になっちまったな!」
「顔、って……俺がですか……」
「みんな、昨日のお前を見たんだ。もう立派な看板冒険者よ」
そう言って、バルドは一歩だけ声を潜める。
その目は真剣だった。
「……すまなかったな。昨日はお前に一番無理をさせちまった。宴の途中でぶっ倒れたろう」
(そうか……やっぱり途中で倒れていたのか)
目の前に赤く点滅する残業ゲージが表示される。
――【残業ゲージ:94%】危険域
(……結構、まだ昨日の影響が残ってるな)
バルドは大きな手を握りしめて続けた。
「約束だ。俺はお前を信頼してる。だが無理はしてほしくねぇとも思っている。わかってくれるか?」
亮太は頷いた。
「……はい。わかりました」
「よし、それでいいんだ」
バルドは大きく頷き、口角を上げる。
「――それでな。またお前に頼みたいことがあるんだ」
亮太はすぐに頷いた。
「もちろん。俺でよければ」
バルドは腕を組み、深く息を吐いた。
「今のギルドはどんどん良くなってきてる。お前のおかげでな。
だけど――今、残ってくれてる冒険者とは別に、もともと多くの奴らが辞めてしまっているんだ」
亮太は言葉を失う。バルドは続ける。
「監査で“労働環境”が足を引っ張ったのは見ただろう。あれはただの数値じゃねぇ。俺たちの抱えてる現実だ。
だから……どうすれば冒険者たちが安心して残れる環境になるのか。
それを、お前に考えてほしいんだ」
「……労働環境の改善、ですか」
亮太が小さく呟いた瞬間、視界に淡い光が走る。
――【KPI表示:労働環境 10%/75%】
赤く染まったゲージが突きつけるのは、厳しい現実だった。
(これだ……俺が一番、改善したいと思っていた指標……!)
亮太は深呼吸し、真っ直ぐにバルドを見た。
「……わかりました。必ず、改善策を考えます」
ギルドの片隅。
雑多な書類と帳簿を前に、亮太は腕を組んでいた。
「……労働環境、か」
王都の監査で最も突きつけられた課題。
数字は【10%】。ほぼ壊滅的だ。
現場で働く冒険者にとっては死活問題だ。低すぎる報酬、命懸けの依頼と不安定な待遇、努力が正しく評価されない焦燥――。これらを放置してきたからこそ、多くの冒険者が去っていったのだろう。
まず整理が必要だ。
労働環境を構成する要素は大きく三つに分けられる。
報酬と待遇:依頼の成果と報酬のバランス、生活費の安定
評価制度:冒険者が正しく評価される仕組み、昇格や地位への道筋
安全と余裕:休養や教育の制度、過剰な残業や危険任務の軽減
「……やっぱり評価制度が肝心だな」努力が数値に表れ、仲間に可視化される。
それがあれば冒険者は「認められている」と実感できるだろう。
(うん……これ、会社員時代に聞いた「働き方改革」とほぼ同じじゃないか。むしろブラック企業そのまま……)
額を押さえながら苦笑した。
ただ――誰を対象にするか。既存のメンバーに適用するのか、それとも新しく加入する者から始めるのか。いきなり全員を対象にすれば混乱が生じる。だが、新人だけでは「優遇されている」と古参が不満を募らせる。
「……ここはやっぱり小規模テストだな。少数の志願者を募って、試験運用するしかない」
考えを巡らせていると、背後で音がした。
――むしゃ、むしゃ。
振り返ると、アンデッドと化したダリオが、皿に盛っていた朝食を勝手に無表情のままかき込んでいる。
「それ俺の分……」
全く、気にしていない。アンデッドになっても、特に食べるものは変わらないようだ。深呼吸をひとつ。亮太は改めて正面を見据えた。
「……よし。まずは“評価制度”を整えよう。そこから全部始まるはずだ」
王都から戻ってきた監査官グレゴールは、机に山と積まれた書類を仕分け、報告書を提出すると、ひと息つく間もなく次の案件に手を伸ばした。
インク壺のふたを開けかけたそのとき、控えめなノックの音が執務室に響く。
「グレゴール様っ! ただいま戻りました!」
明るい声とともに飛び込んできたのは、部下のマリーナだった。
栗色の髪を後ろでざっくりとまとめ、制服のボタンは一つ外れ、長靴にはまだ泥がついている。彼女は封筒を掲げたまま、椅子に腰かける暇もなく言葉をまくしたてた。
「聞いてくださいよぉ、もう大変だったんですから! 南部の街道がぬかるんでて、馬車が三回も立ち往生して!しかも宿屋は満室で、仕方なく倉庫の片隅で寝る羽目になりまして……」
彼女は肩をぐるぐる回しながら、疲れと怒りとが入り混じった表情を見せる。
「要件はなんだ……マリーナ」
グレゴールの低い声が室内に落ちると、マリーナはぴたりと動きを止め、にやりと笑った。先ほどまでの愚痴っぽい口調が消え、目が冷たく光る。
「――要件ですか?この前あなたが行かれてた、ペガサス支部の監査。あれ、あまりにも“あまあま”すぎやしませんかぁ?」
口調こそ軽やかだが、言葉の端々には棘が潜んでいる。
「依頼達成率は三割が水増し、倉庫の在庫表は虚偽だらけ。監査官さまの目は節穴ってことですか? それとも……わざと見逃したんですか?」
グレゴールは黙って視線を落とし、机に置かれた羽根ペンをくるくると回した。
「獲物はな、マリーナ。――おびき寄せ、声を張らせてから刈り取るのが一番確実なんだ」
マリーナは肩をすくめ、ふっと息を吐いた。
「……さすがですねぇ。やっぱり食えない人だ」
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