灰色の書
魔法都市セレスティアの外れに位置する「賢者の書庫」は、大陸最大の魔法図書館として知られている。蔵書数だけでなく年代も幅広く取り押さえており、王国民だけでなくはるばる帝国からも足を運ぶ読書家も後を絶たない。
特に魔術師たちは「賢者の書庫以外はごみの掃きだめだ」という過激派が存在するほど神聖視されている。
そんな賢者の書庫にはあるうわさがあった。その中心にはただの魔術師では立ち入ることを許されない「禁書庫」が存在し、そこには失われた魔法や、世界の根源に関わる秘密の書が封じられているという噂である。
賢者の書庫の見習い管理人のカインはこう言う。
「この書庫にはなんだってある、ここに通った回数が魔術師として成功できる可能性と比例するはずだ」
誰よりも魔術書を読むのが好きで、誰よりも魔法のことを理解している自負がカインにはある。
カインが賢者の書庫のうわさを聞けば、本当に信じる馬鹿がいるんだなと思うことだろう。
なぜならば、カインこそが禁書庫の警備担当兼管理人であり、その実情をだれよりも理解しているからである。
禁書庫とは名ばかりで、ただ古いだけでまるででたらめに書かれた魔術書や、現代では否定されてしまったが歴史的価値がある程度あるだけの古い術式を記した魔術書など全くもって現代魔術師には必要のない魔術書の倉庫代わりとなっているのである。
そんな禁書庫ではあるが、魔術書に目がなく、さらに書庫管理や掃除もまめに行う性格であったカインにより奇麗に保たれていた。
しかし、彼には致命的な欠点があった。魔法を使えないのだ。魔法都市に生まれながら、彼はどんな呪文も発動できなかった。誰よりも魔法を愛し、誰よりも魔法理論に詳しいにもかかわらず、一切の魔術が使用できないのである。そのため、周りの魔術師たちからは「落ちこぼれ」と蔑まれ、図書館の管理者であるルドガー司書長からも「せめて書物の整理くらいはできるだろう」と禁書庫の警備という名ばかりの役割を押しつけられた。実は、ルドガーは他の従業員から「魔法も使えないやつを雇っていて何になる」という苦情をもらいつつも、カインのまじめさと魔法に対するひたむきな姿勢を無下にしたくはないと考え、問題がなさそうな禁書庫の警備・管理を任せていた。
カインはこの役目を好機と捉えた。禁書庫に通うことで、通常は触れることすら許されない書物を閲覧できるのだ。彼は知識だけは群を抜いており、その渇望は魔術師すら凌駕していた。どれほど役に立たないと言われても、新しい理論にとってかわられた落ちこぼれの理論でも、どうにかすればまた輝けるのではないかという淡い希望を抱いていたことに本人も気づいてはいなかったが。
この頃からカインは誰に聞かせるでもなく、誰かへ言い訳するわけでもなく、ただ独り言としてよくつぶやいていた。
「落ちこぼれだって言われても、必死にもがき続けていたら誰かが拾い上げてくれるかもしれねえ。自分で這い上がれるかもしれねえ」
そんなある夜、彼は禁書庫で黒いローブの魔術師と遭遇する。
「おい、ここは立ち入り禁止だぞ」
カインはたいして慌てずに声をかける。その魔術師が経っていたのは禁書庫の入り口からほど近く、間違えて入ってしまったといっても通じる場所にいたからである。
また、年に数度かは噂を真に受けたものが侵入して、がっかりして帰るという事件も起こっており、それほど重要なもののない禁書庫への侵入者については適当に声をかけて帰らせるのが定番となっていた。
この魔術師も例にもれず、カインに声をかけられると踵を返して出口へと向かう。しかし、魔術師は呟く。
「この禁書庫は、"本当の魔法"を封じるためにある」
謎めいた言葉を残し、魔術師は姿を消した。
「本当の魔法……?」
カインの胸に疑念が芽生える。彼の魔法の才能が開花しない理由が、ここに隠されているのではないか。もしそうなら、知りたい。何も持たない自分にとって、これは最後の希望だった。どうせやることなんて常にあるわけじゃない、いつもの管理の延長線上でしかないからいいだろう。そう自分に言い聞かせながら、カインは賢者の書庫の奥深くに眠る秘密を探る決意を固めた。
その日からカインは禁書庫の管理を行いつつ、禁書に読みふける毎日を過ごしていた。カビの生えた魔法理論に、誰が使いたいと思うのかわからないような魔法。そのうち頭がおかしくなってしまうのではないか、そんな不安に駆られつつも見出した小さな希望を捨てられずに過ごし続けた。
そんな禁書庫の奥へと進む日々の中、カインは古い文献に記された「灰色の書」の存在を知る。それは、図書館の最奥に封じられた禁書の中でも最も厳重に管理されているものであると書かれていた。しかしながら、この禁書庫の管理者であるカインですらそんなものは耳にしたことがない。そんなものが一体どこにあるのか、禁書を読みふける毎日から、隠し扉や本棚に隠された魔術書を探して禁書庫の整理を行う毎日へと切り替わっていた。
「あ……あった……!」
禁書庫の整理を行い始めて数か月、魔術書も読まずに書庫整理だけ行い、自分は魔術師を目指しているのか小間使いを目指しているのか、そろそろわからなくなり始めたころの出来事であった。
カインにも何がきっかけになったかは分かっていなかったが、以前は何もなかったはずの壁に怪しげな棚が存在し、その中心には薄汚れた魔術書らしきものが鎮座していた。色合いから見てもこれが「灰色の書」であることは間違いないだろう。
その書こそ、カインが探し求め、世界の根幹を覆す真実を秘めたと言われる魔術書。
カインが手を伸ばし、その書を開こうとした瞬間——。
「それ以上進むなら、君は"世界の禁忌"に触れることになる」
柔らかな声と共に、カインの前に銀の髪のエルフが立ちはだかっていた。
「……君は?」
ここは禁書庫の中でも最奥部、間違って入ってしまうことはないし、なんなら自分のしていることが他の職員にばれないように先ほど鍵を閉めたばかりだ。
つまり、このエルフは何かの意図をもって自分の動きを止めているのだ、と理解するのに時間はかからなかった。
そもそも、エルフがこの魔法都市にいること自体がおかしい。エルフはもっと北の魔物の生息域あたりに集落を構えてそこから出てこないことで有名ではないか。明らかな異常事態に見舞われてカインは混乱して動きが止まってしまっていた。
「エリシア。私は、この書庫に潜む異変を追ってここへ来たの」
「異変って……俺からしたら、ここに君がいること自体が異変なんだがな」
「そうね、でもそんな些細なことはどうでもいいの。誰もその書に触れてはいけない。年長者からの助言よ、聞きなさい。」
エリシア曰く、彼女は長命種族のエルフの末裔であり、魔力濃度の変化を察知できる能力を持つらしい。数ヶ月前――つまりカインが書庫の整理を始めたあたり――からこの魔法都市セレスティアに異変が起きていることに気づき、その原因を探るために潜入していたそうだ。
そして調査中に、カインの禁書庫整理が灰色の書の封印を揺るがしつつあると察知し、警告しに来たと語った。
「この本が何なのか、知っているのか?」
「これは、世界の成り立ちに関する重大な秘密を記した書よ」
「世界の成り立ちだと?創造神の『世界創生神話』は当然知ってはいるが、あの話のどこかに隠された秘密があるってことか?」
「創造神、ね」
「悪いが俺はそこまで創造神様を崇拝してるわけじゃない。多少の嘘や秘密があろうとどうだっていいのさ。それこそ亜人は創造神様が人間の前に作った試作品だって話が嘘で、人間こそが出来損ないだって言われても対して気にはしない」
「へえ、そんな寛容な人間がいるだなんて驚きだわ」
カインの信仰の薄さにエリシアは少し驚いたようだが、決して灰色の書とカインの間からは退こうとはしなかった。
「むしろ、エルフ様がそこまでして必死に隠そうとする世界の秘密とやらに興味がわいてきた。」
「いいわ、その秘密を知ることでこの書の封印を解くことを諦めてくれるのであれば、私としても問題はないし」
そう前置きをして、エリシアは創造神信仰に関する真実を語りだした。
現在の教義では、「世界は創造神によって作られ、人間は神の祝福を受けた唯一の存在」とされている。亜人はその試作品であり、神の祝福を少しばかり受けていると。さらに魔術師は人間の中でも特別で、世界にはびこる魔物へ対抗するために神の祝福を大いに受けた存在であるとされている。そして魔物は神が与えたもうた試練であり、魔物と敵対することで人間同士が争わないようにしている神の配慮であるとされていた。
つまり、この世界が存在するのは創造神様のおかげであり、何よりも尊ぶべき存在である。この世界のすべての国でそう教わって育つのだ、例外はない。
しかし、エリシアの語る内容は違った。
「創造神なんてものはね、初めからいないのよ」
「創造神なんて、初めからいなかった……?」
「そう。そして、この事実が公になれば、教会は崩壊し、世界そのものが覆ることになるわ」
カインは動揺を隠せない。
「あなたが動揺するのもわかるわ、人間の国ではこの事実が隠されてるわけじゃない。皆が創造神の神話を心の底から信じているのだから。でも私たちのような長命種の間ではそう伝わっているのよ」
「……いや、わかった。理解した。で、その書はこの話とどう繋がっているんだ」
一瞬の戸惑いののちにカインはそう聞き返した。その事実にエリシアは大層驚いた顔を見せている。
「理解した。って……人生を通じて受けた教えに反する話をそんなスピードで受け入れられるのよ」
「そもそも俺はこの魔法都市に生まれながら魔法が一切使えない”落ちこぼれ”だ。いまさら創造神様がいなかったところでどん底にいるのは変わりねえんだよ」
「……」
「それよりも、魔法が使えるようになるかどうかって方が俺にとっては大事な観点なんだよ」
「……」
カインの独白に対して、エリシアは無言でカインの顔をじっと見つめていた。
「な、なんだよ。エルフ様からすると魔法が使えない落ちこぼれは珍しいかもしれないが……」
「あなた。魔法が使えないっていうけど、……多分使えるわよ」
「――は?」
カインは目を見開いて問い返す。
「な、なんでそんなことわかるんだよ」
「言わなかった?私は魔力の濃度がわかるのよ。あなたはうっすらだけど魔力を纏ってる。これは魔力を扱うことができる人の特徴よ」
「ここを調査し始めたのも、魔力の濃度が変わったことがきっかけだって言ってたな……」
さらっと言ってのけるエリシアの言葉をうまく受け止め切れていないカインは、現実逃避のようにエリシアの話を思い出して反芻する。
「じゃ、じゃあなんで俺は魔法が使えなかったんだ」
「え、知らないわよ」
「いや、まあ、そうだが……」
バッサリと切られて言いよどむカイン。その意気消沈した顔を見たエリシアは慌てて言葉をつなぐ。
「あ、でもいくつか可能性は考えられるわ。纏っている魔力が薄いのは事実だから、魔法を使うのにちょっとだけ足りてないとか。ここの整理をするうちに、魔力を使えるようになっただとか……」
後天的に使えるようになった例なんて聞いたことないけど……と小さい声で付け加える。
カインの方へ目を向けるとぶつぶつと考え事をしているようであった。
「足りないだけならば効率的な魔法理論を考えればいい……いや、どちらにしろ今使えるかどうかを確認してからか……」
「ちょっと、こんな狭いところでいきなり試したりしないでよね」
「ん?ああ、当たり前だろ。魔法が今まで使えなかったんだ、いきなり試して大事故になったら目も当てられん」
「……意外ね、あなたは使えるかもってなったら真っ先に使ってみて試すタイプだと思っていたわ」
単純な疑問をぶつけると、少し顔をそらしてカインは答えた。
「…………。言いたかないが、もし使えるようになればという妄想はいくらでもしてきた。こういう場合に暴発したらどうするということも考えたこともある。杞憂だとわかってはいたが、子供のようにあこがれてたんだ」
「へえ、いいじゃない。何よ、笑わないわよ。『矢を打たなければ猪は食べられない』って言うしね」
「聞いたことがない諺だな。改めてエリシアがエルフだってことを認識させられたよ」
カインは深く息を吐いた。
「……そっか。魔法が使えないと思ってたけど、実は使える可能性があるのか」
エリシアの言葉が脳裏を巡る。今まで「使えない」と決めつけていた自分が愚かしく思えたが、それを確かめるのはまた別の機会だ。
「今はそれより……灰色の書のことだな」
カインは目の前の古びた書に目を戻す。
「さっきの話だと、これを開けば魔物が溢れ出る可能性があるってことか?」
「そうよ。エルフの伝承では、この書は古代の魔物を封じた器。だからこそ、長い間誰の手にも触れさせず、ここに隠されていたの」
エリシアは慎重な目を向けながら言う。カインはエリシアの言葉をじっと噛み締めた。
「なら……俺はこの封印を解くつもりはない」
「……!」
エリシアは目を見開いた。カインのような知識欲の塊が、あっさりとそう言うとは思っていなかった。
「どうしたの?私、てっきりあなたはこの本を開ける気満々だと思ってたけど」
カインは苦笑しながら首を振る。
「もちろん興味はあるさ。でも、俺はそこまで無謀じゃない。魔法の使えない俺が、こんな大それたものをどうにかする判断を勝手にはできない」
「……ふぅん、賢明ね」
エリシアは感心したように微笑んだ。カインは真っすぐに自分を評価してくれるエリシアの言葉が珍しく、少し照れたような仕草を見せる。
その瞬間——。
ガチャリ
扉が開く音がした。
「……!」
カインとエリシアは反射的に目を向けた。そこにいたのは、書庫の職員のひとりだった。エリシアは慌てて身を隠す。カインには理解できなかったがおそらく隠密性のある魔法を使ったのだろう。すぐに姿が見えなくなった。
「カイン、お前鍵をかけて何やってんだ」
「あ、いや。というか鍵は……?」
「個室利用者の悪用を防ぐために、ルドガーさんから鍵開け魔法を習ったんだよ。この間講習があっただろうが、相変わらず落ちこぼれかよ」
しまった。という顔を見せるカイン。禁書庫探索に目が向いていて、何の講習があったかをすっかり失念してしまっていた。
その職員はあたりを見回しながらカインへ近づく。
「おい、これはいったい何してるんだ?」
職員の目は当然あるはずのない棚と、そこに鎮座している灰色の書をとらえる。
「ちょ、ちょっと待てって」
カインは同僚が灰色の書に手を伸ばそうとしたのを止める。
「俺もさっき気付いてさ、なんかやばそうだから触らずにルドガーさんに報告しようぜ。な?」
職員の男は慌てたカインの様子に不信感を募らせる。
「お前、勝手に本を持ち込んだのか?」
「違う、とにかくいったん報告に行こうぜ」
視界の端にローブのようなものが見えた気がした。おそらくエリシアも灰色の書に職員が触れないように、触れそうになったら制止できる位置にいながら待ってくれているのだろう。
「……わかった。ルドガーさんに報告は確かに必要だな」
そう言って職員の男は入口の方へ体を向けた。
「あ、ああ。一緒に行こうぜ」
カインも安心して男の後ろからついていこうとした。
「だが」
しかし、男は振り返り、灰色の書へと目をやる。
「お前は怪しすぎる。この魔術書も実際に持ってルドガーさんのところへ向かわせてもらう。」
「ま、待て! それは——」
カインの制止も虚しく、男が手をかざすと灰色の書は鎮座していた棚から男の手の中へと吸い込まれるように宙を舞った。
「っ――」
隠密どころでなくなったエリシアも、カインも手を伸ばすが届かない。灰色の書は男の手の中へ、鎮座していた棚から離れた場所へと移ってしまっていた。
バチバチッ!
空間が歪むような異音が響いた。
「うわっ!?」
男が手を離す間もなく、灰色の書が激しく発光した。
封印が解かれたのだ。
「まずい——!」
カインは反射的にエリシアの方を見た。彼女も悔恨の表情を浮かべている。
ゴゴゴゴゴゴ……!
図書館の床が震え、漆黒の魔力が本の中から溢れ出した。
「っ……!?」
「エリシア!これはどうにかできる方法は……!?」
エリシアは首を横に振り、この状況がどうしようもないことを示していた。
魔物が現れる——!
カインはすぐに行動に移った。
「エリシア、手伝ってくれ!封印を再構築するしかない!」
「でも!私そんな魔法は……!」
「大丈夫だ、俺が教える」
エリシアは驚いた顔でカインを見るが、すぐさま灰色の書へと視線を戻す。
「信じるわよ、カイン」
「上手くいく保証はないが古い魔術書に乗っていた魔術だ、試してみる価値はある」
エリシアはすぐさま呪文を唱え始めた。
エリシアはカインの言葉にうなずくと、彼が教えた魔術を行使し始めた。エリシアはカインの指示通りに魔力を練り上げ、封印の力を再生させようとする。魔力の奔流が激しく渦巻き、書庫内に強烈な圧力を生み出していた。次第に黒い瘴気が収束していく。
「いける……!」
カインはさらに術式の精度を高めるようエリシアに指示を出す。灰色の書の周囲に魔法陣が展開され、その輝きは徐々に増し、ついに封印の魔法陣が再構築された。
「これで……大丈夫なはず……!」
エリシアが最後の魔力を注ぎ込むと、封印が完全に復活し、魔力の流出が止まった。
「やった……!」
カインは額の汗を拭いながら、ようやく安堵の息をついた。
「……すごいわ、カイン。あなたの知識がなかったら、今頃ここは魔物の巣になっていたでしょうね」
「いや、お前が実際に魔術を使えたおかげだ。それに、目の前で濃い魔力を見せつけられたからかな、なんとなく魔術が使えるような感覚ってのがわかった気がする」
「そう、それならよかったわ」
カインはエリシアに感謝の意を示しながら、灰色の書を慎重に元の位置へと戻した。すると、灰色の書を戻した棚はすぅっと消えていった。理屈はわからないが、これで同じことが起きてしまう危険性はほとんどなくなったと言っていいだろう。
しかし、問題はまだ残っている。
一連の流れを他の職員に見られた以上、もう元の職務には戻れないだろう。ルドガーさんであれば、もしかしたら許してくれるかもしれないという甘い考えを持ちつつも自身の心情的にも戻りづらくあった。
「……このまま書庫に戻るわけにはいかないな」
「そうね。きっと追及されるし、この事実が広まれば……最悪、追われることになるわ」
カインは思案した末、決断する。
「エリシア、君は世界の異変を調査しているんだったな」
「――ええ、そうよ。途方もない旅よ」
「ああ、それでいい。俺も、君のその旅に同行させてもらえないか?」
エリシアはわかっていたという表情のまま、問いを返す。
「本当にいいの?魔法が使えるようになれば、落ちこぼれのレッテルもはがせるかもしれないのよ」
「ああ。このまま賢者の書庫にいても、どうせもう俺は管理人ではいられない。それに、世界の魔力の異変……お前が感じ取っていた異変の正体を探りたい」
「そっか」
「君となら、世界を巡ってもっと多くの真実を見つけられるはずだ。何より、俺は……まだ知りたいことが山ほどあるんだ」
エリシアはしばらく黙ってカインを見つめていたが、やがてふっと微笑んだ。
「いいわ、カイン。あなたとなら、出来ることも増えそうだし」
カインはエリシアの言葉に笑みを浮かべる。
「決まりだな」
しかし、その前にやるべきことがあった。目の前で状況が呑み込めないという様子で固まっている職員に声をかける。
「なあ、ルドガーさんに伝えといてくれないか。『すみません、辞めさせてもらいます。今までありがとうございました。』ってな」
そう言ってエリシアと共に禁書庫の出口から出ようとすると、その出口には一人の老人が立っていた。
「ルドガーさん……」
「どうした、カイン?何があったのだ?」
ルドガーは怪訝そうな表情でカインを見つめる。カインは禁書庫で起きたことを、そしてそれは自身が引き起こしてしまった事件であると説明した。
「……すみません、ルドガーさん」
カインは深く頭を下げる。
「俺、書庫を辞めます」
「……そうか、もう決めたことは変えんと見える」
ルドガーは腕を組み、目を細めた。
「すみません、色々とよくしていただいたのに……」
カインは深々と頭を下げる。ルドガーはしばし沈黙し、やがて小さくため息をつく。
「……そうか。だが、ひとつだけ言っておく」
「……?」
「お前がどこで何をしていようと、生きている限り、お前はここに戻れる。それだけは忘れるな」
カインは驚いたように目を見開く。
「……ルドガーさん」
ルドガーは静かに背を向け、来た道を引き返していく。カインは喉の奥が詰まるような感覚を覚えたが、強くこらえた。
「……ありがとうございます」
再度ルドガーへの感謝を言葉にし、賢者の書庫から、そしてセレスティアを後にする。
「ねえ、本当によかったの?」
「それはこっちのセリフだ、俺みたいなただの人間だと足を引っ張っちまうかもしれねえぞ」
「エルフだけだと潜入が難しいこともたびたびあるのよ、だから助かるわ」
「そうか、ならよかった」
「そういえば、カイン。あなたの体にみなぎる魔力が以前より増しているわ。恐らく高濃度の魔力にあてられたせいね。多分魔法を使えるようになってるわよ。」
「へえ、そうなのか」
「あれ?思ったよりも反応が薄いわね。もう『落ちこぼれ』って言われることもなくなるのよ?」
「もういいんだ。魔法が使えなくても、『落ちこぼれ』でも皆を、街を守れることもあるって知ったことだしな」
カインは晴れ晴れとした表情でセレスティアの方面を見つめている。
二人の旅は始まったばかりであった。