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■外側:帰り支度

 創とのやり取りが終わって数歩歩いたところで、ようやくタケルが現れた。


「なんだ、一人か?」


 小さな虫が目障りに周りをぶんぶん飛んで、呑気に聞いてくるタケルを、少し懐かしいと思った。


「ずいぶんと長い散歩だったんだな」


 嫌味たっぷりに言ってやったのに、タケルは全く気にせず答える。


「あまりにも街並みが変わりすぎてたから、ちょっとその辺をぐるっと見てたらついつい時間を忘れちまって。すまんかったな」


 タケルがそこまで話したところで、琥珀と玲音がバタバタと走る音が聞こえる。


「ルカ!」


 振り向くと、また琥珀が大袈裟に心配している。玲音も来てくれたのか。


「ケガ、大丈夫?」

「大丈夫だよ」


 ルカは琥珀に言いながら、ふう、と一息ついた。


「俺、そろそろ帰るよ」

「もう?」

 ルカは大きく頷いた。


「また、来るから」


 ああ、また琥珀が泣きそうになっている。また来るといっているのに。口だけだと思われているのだろうか。もうちょっとゆっくりしてもいいと思ったし、目を覚ました元気な歩夢に会いたかったけれど、ひとまず帰ろうと思った。懐かしい、あの島に。

 琥珀は玲音と顔を見合わせて、少し困ったような顔をしている。


「来た時と同じ方法で帰るの? タケルに乗って?」


 ルカはタケルを見て、「たぶん」と言った。


「あの方法は明るいうちはちょっと無理があるぞ。夕方とか、夜になってからの方がいい」


 タケルのいうことはもっともだ。いくら透明といってもキラキラ輝く龍に乗って真昼間から飛ぶのはあまりに目立ちすぎる。


 まだお昼だ。夜までは時間があるし、腹も減って来た。琥珀は、あ、と声をあげて、みんなに言った。


「じゃあ、それまでみんなで遊ぼうよ」

***************** 

 ルカ、琥珀、玲音。司に変化したタケルは、新宿の街にいた。


「うわあ、本当にカラスだらけだな」


 道の端にあるゴミ箱に居座るカラスを見て、ルカはいう。


「ルカは、甘いのがいい? それとも、しょっぱいの?」

「もちろん、甘いの」

「じゃあ、クレープにしよう」


 琥珀と玲音はどこぞの屋台でクレープを全員分買ってきた。みんなそれぞれクレープに頬張って、食べながら歩いた。

 平日の、昼下がりだ。

 あの後、ルカが帰ることになったので、といって琥珀も玲音も学校を早退した。もともと休んでもおかしくない二人だったので、担任も校長も、特に異を唱えなかった。


 ルカを新宿に連れて行くことにほんの少し抵抗はあったが、今回はタケルもいる事だし、琥珀も玲音も絶対にルカを一人にしないことにしようと話したうえで、電車に乗ってやってきた。

 学校を出て昼過ぎに家に着くと、まだ歩夢は帰っていなかった。


「残念だけど、仕方ないな。今度来た時の楽しみにとっとくよ」


 ルカはからりと笑ってそういっていたが、本当にまた来るつもりなのだろうか、と琥珀は思う。そもそもルカが外側に来たのは、琥珀と玲音を家に帰し、歩夢を助けるという目的があったからで、それが達成された今、ここにまた来る理由ってなんなんだろうと思ったのだ。


「ルカ、本当にまた来るの?」


 そう聞くと、ルカは「もちろん」と当たり前のように答えた。


「また来るよ。みんなに会いに」


 それと、とルカは心の中で続けた。ここで、俺が出来る事がなんなのか、探すためにまた来るよ。口の中に広がる甘いクリームをゆっくり溶かしながら、静かに決めた。


*******************

 家に着いたのはちょうど夕方の五時過ぎ、来た時と同じような夕暮れ時だ。

 タケルは透明の大きなドラゴンの姿に変化した。鱗に夕暮れの太陽の光があたり反射して、キラキラ光る。


「みんなも乗ろうよ。最後に世界一周でもしよう」


 琥珀と玲音は思わず顔を見合わせて、げらげら笑った。世界一周って! でもきっと、タケルはそれができるのだろう。みんなはタケルに乗り込んだ。


「みんな、しっかり捕まってね」


 三人の子供を乗せたタケルは、光の速さで出発した。

 まばたき一回。

 たったそれだけの時間で何百キロ移動しているのだろうかというくらい、タケルは本当に速く飛ぶ。速すぎて、景色を見る暇もなく、息もできない。でも、この超人的なスピードは、すべてを吹っ飛ばしてしまう。悩みも悲しみも、鬱々とした感情すべてを。


 日は沈み、辺りはすっかり暗くなった。上には無数の星々が、眼下には美しい夜景が見える。


「これは、綺麗すぎないか?」

 ようやく目を開けた玲音は感嘆の声を上げた。


「綺麗だろう。神戸の夜景は有名なんだ」

 タケルは今日散歩中に仕入れた知識を得意げに話して見せたが、三人ともぽかんとしている。


「コーベ? なにそれ」

 ルカの質問に、玲音が答える。

「夜景が綺麗で有名な場所だよ。今まで東京にいて、何分かしか飛んでないのに神戸まで行ったっていうの?」

「俺は、それができるんだ」

「タケルって、やっぱりすごいや」

 琥珀と玲音はタケルの速さに感心しているようだが、ルカは今一つピンと来ていないようで、タケルはそれが少し不満だった。

「おい、すごいとか、なんとかないのか?」

「トーキョーとかコーベの位置関係が、今一つ分かんないからなあ……」

「ルカ。東京から神戸までは、新幹線でも二時間以上かかるんだ。それが数分で着いたわけだから、タケルは相当早いよ」

「へえ、そうか」

 ルカは感心して、掴んでいるタケルの角を優しくなでた。

「タケル、おまえすごいな」

 ルカに褒められて、タケルは満足した。


 二人のやり取りを見て、やっぱりルカはすごい、と琥珀は思った。最初、オルロワ号に乗っていた頃のタケルは全然いうことを聞かず、首の錠があるからルカがなんとか使役しているという感じだった。でも今は使役というより、仲の良い友達のように見える。タケルはきっと、錠がなくてもルカの側にいて、ずっとルカを見守るんじゃないだろうか。そんなふうに、琥珀は思った。


 空のドライブは、すぐ終わった。タケルは琥珀と玲音の家の窓に体を寄せて、二人を下ろした。


「ルカ、また来てね、絶対に」

 ルカは静かに頷いた。

「また来るよ。そして、会いに来る。琥珀と玲音に。あと、歩夢にも」

 ルカは琥珀と玲音、それぞれと軽く抱き合って、さよならの挨拶をした。


「琥珀、俺が次来る時までに、もっと強くなっとけよ」

 そう言い残して、ルカはタケルと一緒にいなくなった。


 タケルのキラキラした体が見えなくなってしまっても、二人はしばらく空の方を向いていた。

 ルカなら、またきっと来る。二人とも、そう思った。


*************************

「今から帰る、でいいんだよな?」

 タケルに聞かれ、ルカは、

「悪いけど、もう一か所寄ってほしいところがある」

「まだあんのか?」

「美麗にさよなら言ってから帰ることにする」

「ミレイ? 誰だそれ」

「タケルが散歩中によくしてくれた子だよ。大きな時計台があるあたりに住んでるって言ってた」

「別に、構わんが」

 ルカは目を閉じて、美麗の位置を探った。美麗の位置は、誰よりも把握しやすい。今、とても不安定な状況だから。

———全部、吹っ飛ばしてほしい

 あの時、美麗はそう言った。




 洗濯機を回しながら、美麗はぼんやりとルカのことを考えた。


———どうしてそんなに悲しそうなの?


 そう聞かれて、ああ、見つかってしまった、と思った。ずっと、隠れていたのに。でも、思いの外気持ちは晴れ晴れとしている。たった一人だけでも、自分をわかってくれる人がいるって事が、嬉しかった。

 嬉しくて、つい本音が出てしまった。もう疲れた、全部吹っ飛ばしてほしい、と。ルカにどうこうできるものではないとわかっていたけれど、言わずにはいられなかった。


 律儀すぎる性格も、弱音を見せる事が出来ない自分自身も。しんどい。助けて。そう言えば、全部解決するというのに。それが、出来ないから辛い。辛いのは、母親に会えないことでも、慣れない家事でも妹たちの世話でもない。気持ちを素直に伝える事が出来ない自分自身。自分が辛いって、どういうことだろう。こうすればもっとよくなるとわかるのに、その通りにできない。助けて、の一言が言えない。


 コンコンと、窓を叩く音がした。庭の方から聞こえてくる。なに? なんの音? しばらく様子を見ていると、リビングからぱたぱたと一番下の妹が走って来て、おねえちゃんに、おきゃくさん。と言った。おきゃくさん? 窓から?


 リビングに行き、庭へと続く窓をカラカラと開けると、なんとそこにはルカがいた。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。


「あの、どうしてここに……」

「俺、家に帰るよ。海の向こうの島に」

「そう……」

「その前に、さよならを言いに来た」

「わざわざ……?」

 うん、とルカは言って、美麗の顔を覗き込んだ。


「全部吹っ飛ばしたいって、まだ思ってる?」


 見えないのに全てを見透かすようなルカの瞳を見て、ああ、この子は、私の言葉を聞いて、それを叶えてくれようとしている。全部吹っ飛ばしたいっていった、あの言葉を。


 美麗はものすごく迷った。ルカが、何をしようとしているのかが気になった。でも、これは、結局、私の問題でもある。ルカが何をしたところで、私が変わらなければ何も変わらない。


「たぶん、もう、大丈夫」

 ルカはしばらく美麗の目を見ていたが、そっか、といってにっこり笑った。


「帰るけど、また来るよ。やることあるから」

 帰ろうとするルカを見て、美麗はふと、全てをルカに話してしまいたくなった。あのね、お母さんが入院しててね、大変なの。でも、後ろで妹たちが自分とルカを見ているのがわかるから、何も言わないことにした。この子たちの前で、弱音を言うのやめよう。


「おうち、はいる?」

 一番下の妹がルカにいうと、真ん中の子も「晩ごはん、たべてく?」なんて聞いてくる。それがおかしくて、美麗は「お兄ちゃん、もう帰るから、引き止めないで」と言ってみるが、妹たちは引き下がらない。

「なんでそんなに髪が赤いの?」

「どうして玄関から入ってこないの?」

 ルカはくすくす笑って、「賑やかだね」と笑いながら、一番下の妹の頭をふわりと撫でて、また今度ね、と言った。


「美麗、辛いときは辛いっていったらいいよ」

 そういって、ルカは庭の端にあるキラキラした生き物に乗り込んだ。なんの生き物? 龍? そう思ったのも束の間、キラキラは一瞬にして空の彼方へ消えてしまった。


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