■外側:心の宇宙
玲音がルカを見つけたのは偶然だった。
自分のクラスの試合が終わって廊下を歩いていると、ルカと、琥珀のクラスの女子が一緒に保健室から出て来たところだったので、声をかけた。
「ルカ、どうしたの?」
駆け寄ると、ルカはばつがわるそうに笑って見せた。
「なんでもない。ちょっと転んだだけだよ」
「転んだ? ルカが?」
ルカはあまりおっちょこちょいなタイプではないのに。その時、ふいに気付いた。いつもうるさいあいつがいない。
「ルカ、あいつは?」
「散歩にいった」
「さんぽ?」
近くに琥珀のクラスの女子がいるからなるべく主語を省いて話す。
「散歩じゃなくて、昼寝だったかも」
「それは、どっちでもいいけど」
女子は何を話してるの? とでも聞きたげに二人の会話を聞いている。とにかく、ルカと二人で話したかったので、玲音は美麗に話しかけた。
「ルカのことは僕が連れて行くから大丈夫だよ」
美麗は「わかった」と頷いて教室の方に歩いて行った。
美麗の姿が完全に見えなくなってから、玲音はルカに話しかけた。
「大丈夫? ケガしたのか?」
「ちょっと鼻血が出ただけだよ。大袈裟だな」
ルカはなんでもなさそうに笑って見せた。
玲音は一瞬寒気を感じた。目が見えないのに、一人にして、結果、ルカは怪我をしてしまった。タケルと琥珀がいるから大丈夫だろうとたかをくくっていた自分に嫌気がさす。
「ごめん。一人にして」
「なんで謝るの。このくらい、全然平気だよ」
それは、結果論だ。もし、もっと危ない事になってたら? 大けがをしてたら? 考えるだけで恐ろしい。
「ルカ、教室に戻ろうか。そうだ、サッカーどうだった?」
きっと、ルカはサッカーを楽しんでいた事だろう。そう思って、話題を変えるつもりで聞いてみたけれど、返事は返ってこなかった。
「ルカ?」
もう一度聞いてみても、ルカは何かを考えているような顔をしていて、上の空だ。
それに少し違和感を感じたが、特に気にすることでもないと思った。島でやったサッカーと、ここでやるサッカーが違うのは当たり前だ。そもそも人数が違うのだし、球技大会だからいろんな人に見られている。そもそも目が見えないのにサッカーを普通にやること自体がものすごい事なのだ。
そんな事を考えていると、他のクラスの団体とすれ違い、
「おお、村松、久しぶり。無事でよかったな」
「どうやって戻って来たの?」
など、いろんな人に話しかけられてしまう。
そういういろんなものの相手をしていて、ふと気が付いた時、ルカはいなくなっていた。
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ルカがいなくなったと聞いた時、琥珀は絶句した。
ああ、心のどこかで懸念していたことが、もしかして現実になってしまったのか? ルカの『見えない』は、今までは大した問題じゃなかった。タケルがいたし、見えなくてもルカは感覚でわかるから。でも、こんなコンクリートの建物の中では、ルカの人並み外れた能力が、一体どれだけの役に立つというんだろう。タケルがいなければ、ルカはどこへ行くこともできない。
「なにか、あったの? その……危ない事とか」
「段差でこけちゃって、さっきまで保健室に行ってたんだ。琥珀のクラスの小牧が連れて行ってくれてたらしい」
「ケガしたの?」
「ちょっと鼻血が出たくらいだよ」
玲音は少しため息をついて、琥珀を見た。
「僕たち、もっとちゃんとルカのこと注意して見てないとダメだ。ここは、あの島とは違う。クラスが違うからって、琥珀に任せっぱなしにしてて、ごめん」
「俺も、全然見れてなかった。タケルがいるからって安心しちゃってて……とにかく、探さないと」
二人は次の試合を放り出して、ルカを探し始めた。
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都会の建物は、とても無口だ。それはそうだろう。生きていないのだから、当然と言えば当然だ。生き物の声が聞こえないから、人の気配と建物の匂いを頼りに歩く。
別に、一人になりたかったわけじゃない。でも、人気のないところにいたかった。
———俺に勝ったご褒美に、お前の目を見えるようにしてやろうか?
韋駄天の言葉を思い出した。
言われたときは、なんとも思わなかったのに、今は、それもありかな、と思ってしまう。
ルカは今、ひとつ上の階、二年生の教室が並ぶ廊下を歩いている。教室の中からは教師が授業をする声が聞こえていて、廊下の窓からは柔らかい風が吹いてくる。
なんとなく耳を澄ますと、宇宙の話が聞こえてくる。
火星、木星、金星。木星は水素やヘリウムなどのガスで出来ているだとか、火星は地球よりずっと小さくて、酸素がほとんどないけれど、数百年もすれば移住することができるかもしれない、だとか。
図解を指し示しながら話す教師とそれを聞く生徒。
面白そうだから聞いていこうか。教室の外で少しの間、先生の声と、生徒のざわめき、ぱらぱらと図解をめくる音を聞いていた。
あれには、何が書いてあるんだろう。
教師は図解に書いてある事をそのまま読んでいるようで、杓子定規で分かりやすい。もしも、目が見えたなら、あんなふうにぱらぱらと図解をめくって、退屈だと思いながら授業を聞くことになるのだろう。
それを、とても不思議に思った。
宇宙も遥か遠くにある惑星も、見えなくても知ってるし、わかっている。
宇宙の事を教えてくれた人がいて、その話を元に自分の中に宇宙を作った。だから、目を閉じれば目の前に宇宙が広がる。そうして今まで、多くのものを学んできた。
もし、見えるようになったら?
まず、答え合わせをしなければいけない。自分の宇宙と本物の宇宙がどう違うのか。
それは、気が遠くなる作業だ。
見えるって、とても面倒だ。
ルカは静かに目を閉じた。真っ暗な中に見えるのは、さっきのサッカーの試合のこと。ボールの動きがわからないこと。試合が終わった時に感じた諦めともいえるような虚しい感情。
見えない事を、初めて不便だと思った。
みんなと違う。
みんなが当たり前にできる事を、当たり前に出来ない。
見えることはきっと、とても面倒で、退屈で、素晴らしい事なんだろう。
頬を撫でる風を感じながら、そろそろ帰ろうかな、とルカは思った。




