■外側:レースが終わって
韋駄天は目を見張った。
あの崖で、おおかた足を取られて脱落すると思っていた。それなのに、跳んだ、だと?
その跳躍はもはや人間のものではない。
なんだあいつ、バケモノか?
韋駄天は地上を全速力で走ったが、ルカの跳躍には到底追いつくことが出来ない。
負ける? この俺が?
韋駄天は思わず腰の剣に手をかけた。これを投げて、妨害する。その瞬間、やめろ、と心臓まで震わすような声がした。
上空からこちらを見下ろしている巨大な龍。イソタケルノミコトが韋駄天に圧力をかけている。
ちっと舌打ちをして、韋駄天は剣から手を放した。
ひたすら走りながら、韋駄天は遥か前方にいるルカを見た。
あいつ、どうやって着地する気だ?あの高さから落ちたら、無傷では済まない。なにせ、人間だからな。そこまでして、友達の弟を助けるのか? 美しい友情というやつか。
目印のヤマボウシの木が見えてきた。
ああ、負ける。
俺は負けて、あいつは死ぬ。いや、大怪我か? ほんと無謀なやつだな。俺は治療なんてしねえからな。
そんな事を考えていた韋駄天の前方に、白い大きな獣が現れ、ルカを背中で受け止めた。
何が起こったんだ? 韋駄天は自分の身に起こった事を理解できなかった。
つまり、この人間は、神である韋駄天に勝ったのだ。もちろんただの人間ではない。神を使役するようなやつなのだ。だから、勝負を挑んだ。こいつに勝てば、イソタケルノミコトに勝ったも同然だから、おもしろいと思ったのだ。勝負するまでもなく、俺が勝つはずだったじゃないか。そもそもこの山は、人間が大好物だ。のこのこ山に入ればすぐに捕らわれるはずなのに、なぜかそうなっていない。ハンデと称して少し観察していたが、全然喰われそうにないから後から出発した。あとほんの少しでも早く出発していたら、勝っていたかもしれない。いや、間違いなく勝っていた。俺が負けるなど、あり得ないのだ。それなのに、なんだこの有様は。
つまり、俺は人間に負けたのだ。この人間は、木々や鳥を味方につけて、不利な状況であるにも関わらず勝ったのだ。初めて入る山だというのに。
韋駄天は、目の前の汗だくの少年を見た。息を切らして、髪は汗でぐっしょり濡れている。そういえば、韋駄天自身も汗だくだ。こんなに必死になって走ったのは何十年ぶりだろう。
オオカミに変化したタケルが人間の姿に戻って、韋駄天に言った。
「わかっただろ」
「何がだよ」
「お前、俺のこと散々馬鹿にしてただろ? 使役されてるとかなんとか」
「ああ、そうだったな」
韋駄天は頭をかいた。不思議な子供だ。草木や動物を使役するなんて、何ヶ月、何年かかっても難しい事であるはずなのに、一瞬でそれをやってのけた。どうりで神をも使役するわけだ。
韋駄天はくっくっと笑い始めた。
「楽しかったよ。あんなレースは初めてだ」
韋駄天はルカに手を差し出した。ルカはそれを握り返した。
「教えてほしいんだが、お前はなぜいとも簡単に木々や鳥を使役することができるのだ」
ルカは最初ぽかんとしていたが、さも当然のように話した。
「いつものことだよ。俺一人では出来ないことが多いから、みんなに助けてもらってるんだ」
「どういうことだ?」
「俺、目が見えないからさ」
「は?」
韋駄天は、その事にまったく気付いてなかった自分を恥じた。目が見えないという不利な状況を、有利な状況に変えたのか。なんてやつだ。
「なるほど、そういうことか。全てが繋がった」
韋駄天はルカを見た。以前のような、少し見下したような目ではない。
「目が見えないからなんだな」
「なにが?」
「人間離れしたその身体能力。植物とコミュニケーションを取り使役する。そんなもの、普通の人間にはできない。お前がそれを出来るのは、見えないからだ。お前の能力は、視力の犠牲の上に成り立っているということさ。持たざる者が持つために犠牲を払う。それが、世の定説だ」
ルカは面食らってしまった。確かに、見えないからこその感覚の鋭さというのはあるかもしれない。でも、それは犠牲ではない。
「神様も、人間みたいな事をいうんだね」
「なに?」
「大人は理由をつけたがる。納得するために、できない理由、持たない理由を探すんだ」
ルカは島のみんなを思い出した。大好きなみんなの顔が浮かんでくる。
「生まれた時からこうだから、なんで見えないのかはわからないけど、俺がこうやって早く走ることが出来るのは、毎日鳥や馬と競争していたからで、感覚が鋭いのは、感覚を研ぎ澄ます方法を教えてくれる人がいたからだ。それは、犠牲じゃない」
「はっ、それが犠牲でなくてなんなのだ。お前の力は、持たざる者にのみ与えられた特権だ。逆に、持っていたら今のお前はないと言うことだ。その速さも、感覚もな」
ルカの反応が薄いので、韋駄天はルカの耳元で囁いた。
「俺に勝ったご褒美に、お前の目を見えるようにしてやろうか?」
「え?」
その言葉は、ルカにしか聞こえていなかった。琥珀もタケルも、何を話しているのだろうと首を傾げている。
「考えとけよ」
そこまで言うと、韋駄天は琥珀やタケルにも聞こえるように、
「それじゃあ、約束通り、弟を探しに行こうか」
と言った




