■外側:韋駄天
太陽は完全に沈んだらしい。
それでも辺り一帯はほんのりと明るくて、懐中電灯などなくても周りを見る事ができた。点在している木々に咲く白い花が、ぼんやりと光っているのだ。
「ヤマボウシの花が光ってるんだな」
タケルがいうので、琥珀は花ってこんなにひかるんだっけと首を捻ったが、ああ、ここは琥珀の世界とは全然違うのだから、花が光る事くらいあるだろう、とも思った。そのうち花が一人で歩き出すかもしれない。
そもそも人探しというのは、まず何から始めたらいいのだろう。タケルは何もしてないように見えるし、ルカも座り込んでじっとしている。普通に考えれば、聞き込みだろうか。でも、聞けそうな人もいないしなあ……。
そう思っていた矢先、
「もし、そこのお方」
と、唐突に話しかけられた。
振り向くと、若い女が立っている。着物を着て、菅笠のようなものを目深に被っているから顔は見えない。
「はい?」
いきなり話しかけられてびっくりしたからか、声が裏返ってしまった。
「なにか、お探しでしょうか?」
明らかにあやしい。
そんなに何かを探している雰囲気が出ていただろうかと思いながら、ルカやタケルをちらと見ても、二人とも琥珀の状況には気が付いていないようだ。
知らない人に声をかけられたら警戒するのが琥珀の常識だが、ここの世界はどうだろう。なんだかもうよくわからなくなってきた。
「え……と、弟を探しています」
「弟さん?」
「はい……」
女はほんの少し考える素振りを見せたあとで、すぐに続けた。
「探すのを、お手伝いいたしましょう」
「え、本当ですか?」
女の顔は相変わらず見えない。でも、口元がほんの少し笑っているように見えた。
琥珀が女と言葉を交わしている時、ルカはそこから少し離れたところで、この世界の生き物の声に耳を澄ませていた。
木、花、草、水。ざわざわと、みんなが話す声が聞こえる。
(ここの生き物は、よく喋る)
生き物だけじゃない。他の何かも喋ってる。いや、呼ばれているような気がするぞ。
そんな風に思っていると、不意に変な感じがして、見渡すと琥珀がいない。
「琥珀?」
しまった。少し目を離しただけだったのに。ルカは口笛を吹き、タケルを呼んだ。タケルも比較的近くにいた。
「琥珀がいない」
「琥珀? さっきそこに」
タケルが思っていたところを見ると、なんと、琥珀が妖怪に喰われそうになっている。人間に化けた妖怪と話しているように見えるが、あれは妖怪だ。まずい。
「おい、琥珀!」
ルカも琥珀に気付き、二人で妖怪を捕えようとしたその時、どこからか飛んできた剣が妖怪の頭を貫通し、木の幹に突き刺さった。
「危なかったな」
知らない人の声が聞こえた。
「こんなところで、人間が何してる」
琥珀は今目の前で起こったことがよくわからないでいた。
人探しを手伝ってくれるという女の人が邪悪な顔をしたかと思うと、急に剣が飛んできて女の人の頭を突き刺したかと思うと、頭が消えて姿そのものが無くなり、剣は木に突き刺さっている。
その後現れたのは、背の高い、大きな男だった。アラジンの登場人物が着てそうな、膝下部分がふわりと膨らんだズボンをはいて、上半身には甲冑を身に着けている。むき出しの腕と顔はよく日に焼けて健康そうで、筋肉がついた腕で先ほど投げた剣を木から抜き取り、腰にしまった。太い眉や挑戦的な眼差しが印象的な、美しい顔立ちをした男である。
「迷い込んだか? ここは、人間の来るところじゃねえよ」
「人を……探しに来た」
勇気を奮い立たせて琥珀は言った。近くには、いつの間にかルカとタケルもいる。
「人を探しに、だと?」
「弟を、探しに来た」
琥珀はもう一度言った。ここに来てから、恐怖感をあまり感じない。あまりにも怖すぎると恐いという感覚が鈍くなるのかも知れない。
男はふうん、と言いながらまじまじと琥珀を眺めまわし、次に隣のルカを、そしてさらにその隣のタケルを見た。
「おやおや、これは」
男は、タケルを見てニヤリと笑った。
「おまえ、イソタケルノミコトだろう。こんなところで、人間と一緒にいるとはどういうわけだ?」
タケルはあからさまに不快感を露わにした。
「誰だ、おまえ。会った事ないだろう」
「おお、自己紹介が遅れたな。俺は韋駄天。俊足で有名だ。確かに会った事はないが、俺はあんたの事知ってるよ。有名だからな。海の牢獄に五百年閉じ込められてるんだろう? ここにいるってことは、解放されたのか」
「うるせえよ」
二人の間に火花が散ったように思った。タケルは歯を食いしばり、今にも掴みかかりそうだ。
「タケル」
ルカがタケルを制し、タケルは何も言わず、不満げな表情で答えた。
「境目から出る必要があったんでね。こいつに錠を外してもらった。それだけだ」
「錠を? こいつがか?」
韋駄天はルカを見下ろし、無遠慮にじろじろと眺めまわした。
「信じられんな。お前、じゃあ、このガキに使役されているというわけか」
韋駄天はニヤニヤと笑いながらタケルに言う。
「悪いかよ。手足の錠は外れたから、使役されてても関係ねえ。お前には負けねえよ」
「まあま、そう怒るなよ」
韋駄天はコホンと小さく咳払いをしてみせたが、顔はどこかにやついているように見える。なんか、嫌な感じだな、と琥珀は思った。
「人探しをしてるっていってたな。その話、詳しく聞かせろよ」
「琥珀の弟が妖怪に喰われたから、助けに来た」
ルカが答える。
「はあ? 喰われたものを、どうやって助けるんだ?」
「実際は喰われてない。生きてるんだ」
「よくわからんが……」
しかし、人間の気配があると妖怪が騒いでいたのも事実だ。こいつの言ってる事は的外れってわけでもなさそうだ。
「いい考えがある。俺とひとつ、勝負をしないか? そうすれば、そのガキの弟の居場所を教えてやるよ」
「どこにいるか、知ってるの?」
琥珀が男に聞くと、韋駄天は思わせぶりな口調で、
「心当たりが、ないことはない」
と答えた。
「どうせハッタリだろ。勝負なんてしねえよ、バーカ」
タケルが言うと、韋駄天はタケルをさも馬鹿にした目つきで睨みつけた。
「お前じゃねえよ。この赤髪のガキと勝負させろっていってんだ」
「はあ? 人間と勝負するだと?」
こいつ、何を言っている。タケルは韋駄天の考えがわからなかった。仮にも神を名乗る者が、なぜ人間と勝負したがるのか。
「普通の人間じゃないだろ、お前。なんたって、神を使役してんだからな。その実力を、俺は見てみたいのさ」
ルカは韋駄天を見たまま、黙っていたが、
「どっちでもいいよ。歩夢の居場所がわかるなら」
と、答えた。
「そうこなくっちゃ」
韋駄天はにやりと笑った。
「おまえ、何が得意だ」
「走ること」
「ほーう」
この韋駄天さまに向かって、走ることが得意、だと? 俺様に足の速さで勝てる者などいないというのに。
「よかろう。では足の速さを競う勝負をしよう。そうだな、場所は……」
その時、韋駄天はちょっとしたいたずらを思いついた。
「ただ速さを競うだけではおもしろくないだろう。山のてっぺんから下まで早く到着した方が勝ち……てのはどうだ?」
「いいよ」
ルカはすんなり答えた。それは、毎日島でやっていたことだ。
「勝負、するだけでいいってことか? その、勝ち負けじゃなくて」
琥珀が聞いた。
韋駄天という名を、琥珀は聞いたことがある。よくわからない勝負を挑んでくるようなやつだけど、一応神様のはずだ。俊足の神かなにかだ。いくらルカの足が速くても、神に勝てるとは思えない。オルロワ号に乗っていたときみたいに、またケガでもしたらどうするんだ? ルカは人間なんだぞ。
「もちろん、勝負することが条件だ。勝ち負けじゃない」
「本当だろうな」
タケルは今にも韋駄天に食って掛かりそうだ。
「そんなに怒るなよ。ちょっとした余興じゃないか」
そうだ、こいつにとってはそんなもんだ。こっちは必死で弟を探してるっていうのにな。
タケルはそう思いながら韋駄天を睨みつけた。