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◇境目:門番

 何もない海の上。遥か遠くに見える水平線。

 太陽はまだ東寄りにあるものの、次第に高度を上げ、ゆっくりと着実に地球が回っているのだということを実感する。


 出発してから三十分くらい経っただろうか。誰も時計を持ってないのでわからないが、数日過ごしたあの不思議な島が完全に見えないくらいには進んでいる。


「景色が何も変わらないね」


 ちゃぷりちゃぷりとオールを漕ぎながら琥珀が言うと、


「目印がないと分かりづらいな」


 と、玲音も前方を見ながら答える。


 昨日司から聞いた話によると、境目にはたくさん船があって、門番がいるとのことだったが、船なんて一艘も見当たらないし、周りは見事に海だけで、何にもない状態がしばらく続いている。


「なんか、退屈だな」


 ルカはボートの上に寝そべりながらあくびをした。こんなことなら、泳いできた方がまだよかったかもしれない、とすら思ったが、無駄に体力を消費するのもよくないしな、なんて考えながら、また目を閉じた。

 暗闇の中で、波がボートに当たる音が聞こえている。ちゃぷり、ちゃぷり。

 

 何か、おかしい。全然進んでないような気がする。


 ルカはむくりと起き上がった。


「ねえ、さっきから船が全然進んでないような気がするよ」


 琥珀は言いながら周りを見渡してみる。景色は何も変わらない。相変わらず凪いでいる海。水平線。それだけだ。その時ふいに、どこからか声が聞こえた。


「どこの誰かと思ったら、何日か前に通った奴らか」


声の主を見渡すが、周りは何も見えない。


「あそこだ」


 ルカが上を指さすので見上げると、いつの間にかそこには大きな巨大な船がある。帆やマストはぼろぼろで、幽霊船のようだ。声の主はその船のヘリにしゃがみこむ格好で、こちら側を見下ろしているのだ。


「俺は、ここを通った奴の顔は全員覚えてる。こう見えて、真面目なんだ。何十年経っても、よぅく覚えてるんだぜ。そこの二人は覚えてるぞ」


 気持ち悪いくらいに長い手足をしている割に、体は細くひょろひょろだ。青白い顔をしていて、首の辺りには青い鱗がついている。手足と首には太い錠が嵌められていて、正直あまり強そうではない。でも、この世のものではないような、得体の知れない感じが気持ち悪い。これが門番に違いない。門番は船の一番後ろに立っているルカをぎろりと睨みつけた。


「お前は、見たことないな」


 ルカは何も言わない。


「ここを、通してほしい」


 打合せ通り、まず琥珀がそう言った。本当は、通してもらうだけではダメなのだが、会ってすぐにそんな提案をするわけにもいかないので、まずは琥珀が門番に提案して様子をみる。こういう手はずになっていた。


「却下だ」


 門番は気持ち悪くひゃっひゃと笑った。


「ここは一方通行だ。外から内に行く事はできても、内から外に出る事はできない」


「それは、困る。何としても通してもらわないといけない」


 玲音も打合せ通りに門番に話しかける。

 言い終わらないうちに、いつの間にか門番は玲音の目の前に現れた。三人が乗っている小さな船の帆先に片足で立っている。


「小僧、人の話はちゃんと聞け。無理だって言ってんだ」


「五百年」


 沈黙を破るような、ルカの低い声が響き、門番は視線をルカに向けた。


「なんだと?」


「五百年、閉じ込められてるみたいだね。この海の牢獄に」


「は? 何を言って……」


「あんたの事、知ってるよ。十五年前に通った人に教えてもらった」


 ルカは話しながら、ゆっくりと前へ進み、琥珀と玲音の横を通り過ぎ、船の一番先頭に着いた。琥珀と玲音はルカに場所を開ける。これも、打合せ通り。これからルカが交渉を始めるはずだ。


 ルカは今まで聞いたこともないような、低い、威圧的な声で門番に話しかける。琥珀も玲音も、こんな話し方のルカは知らない。いや、オオカミを追い払った時と、少し似ているような気がするが、それをさらに上回る。


「五百年の間、何も変わらず、していることといえば人の記憶を奪うこと。バカみたいだな」 


 いかにも人を小ばかにしたような言い方に、門番が気分を悪くしたのは言うまでもない。


「おい、言葉遣いに気を付けろ」


 門番はぎろりとルカを睨みつけるが、ルカは全く動じない。


「どうせあんたは俺に何も出来ないだろ。それだけ錠が付いてるもんな」


 門番は黙ってしまう。ルカは続ける。


「記憶を奪うからって、自分の弱点をペラペラと喋るからこうなるんだ。油断したお前が悪い。記憶は、取り戻す事が出来るんだからな」


「なんとでも言え。お前らはここから出る事が出来ないんだからな。この海域の外には絶対に出られない」


「あんたなら、可能だろ?」


 ルカの言葉に、門番はぴたりと止まる。


「お前、何言ってんだ。ここを通すわけがないだろう」


 ルカは門番に顔を近づけ、耳元で囁いた。


「なあ、退屈だろ? 五百年もここにいたら。本当は、ずっと待ってたんじゃないのか? 錠を外してくれる誰かをさ」


「何が言いたい」


 門番の問いに、ルカはニヤリと笑った。


「その錠を、外してやるって言ってんだ」


 そう言うが早いが、ルカは門番の両手首の錠を持ち、力を込めた。程なくして錠はバキャッと鈍い音を立てて、ばらばらと下に落ちた。その瞬間、門番の力が解放された。


「これで二個とれたね。後は足と首か」


 門番は両手に力が漲るのを感じた。長らくここに閉じ込められていて使う事もなかった力。嵐を起こすことも、鯨やシャチを呼ぶ事も可能なのだ、これからは。


「お前、俺の錠を外したな。命はないぞ」


 門番がルカの首を掴もうとすると、それより早くルカが門番の手を掴み、ぐりんと回転させ、門番が痛みに喘ぐ。


 ルカは勝ち誇った顔でクスクスと笑った。


「思った通り、大したことないや」


 完全にルカの方が強い。


 その後もルカはいとも容易く両足の錠を外し、そのまま勢いで首を外しそうになったので、


「ルカ、首はダメだ」


 と琥珀が止めに入った。


「ああ、そうだった」


 ルカはやっと我に返った。つい勢いで四つも外してしまった。本当は、一つずつ様子を見ながらやるつもりだったのに。まあいいか。父親が言う通りには行かなかったにしても、こいつは大して強くなさそうだから大丈夫だ。手足の錠を外したからある程度行動範囲が広くなったはずだ。船を動かすことはできるだろう。


「おい、船を用意しろ。四人が乗るのに十分な大きさの船だ。お前も来い」


 ルカはもはや自分の前にひれ伏している門番に命じた。


 門番は悔しそうにルカを見上げると、姿を消した。


「え……見えなくなった」


 玲音が不思議そうに呟く。


「船を探しに行ったんだ」


「でも、消え……」


 琥珀が言うと、ルカは何でもなさそうに答える。


「あいつは人間じゃないからね。あれくらい何でもないよ」


 そうだった。門番は五百年も生きているし、海の神だとかいう話を昨日司が話していた。そういう場所なのだ。いい加減慣れなければと思うが、いつまで経っても慣れそうもない。

 琥珀は、目の前にいる、自分と同じくらいの年のルカをそっと見た。なるべく、見てるとばれないように。玲音と何かを話しながら笑っている、自分と年の変わらないこの少年が、神様を服従させたのだ、と思いながら。


 門番は、今しがた自分の身に起きた事が理解できずにいた。


 あの子供、手足の錠を外しやがった。しかも、素手で、だ。でも肝心の首の錠が残っているから、俺はあの赤髪の子どもに使役される格好になるのだ。そんな事、許されるわけがない。五百年閉じ込められているとはいえ、俺は海の神なる存在、イソタケルノミコトだ。このままばっくれてしまいたいが、使役されてる身分だから、結局のところ自由ではないのだ。

 足の錠が外れたから境目の外へ行ける。手の錠が外れたから船を動かし、海上を自由に動くことは出来るのだが。

 その時ふと、門番は閃いた。気持ち悪い笑みを浮かべて門番はくっくっと笑った。

 あいつの姿を見てみろ、まだほんの子供じゃないか。たかだか十三、四ほどの人間の子供と、偉大なる海の神、どちらが勝つか? 神が勝つに決まっている。使役されるのは厄介だが、なんてことない。従うふりをして、様子を見て、いい頃合いで海の底に沈めればいいだけのこと。

 今や足の錠が外れたから、船などなくても外の世界へ行くことは容易いが、それをあの子供は知らない。とびきり厄介な船に乗せて、心身ともに疲弊させ、人質でも取って、首の錠を外させればいいのだ。

門番はここから出て自由になれるという事実を噛みしめて、五百年の時を振り返った。短いようで、長かった。

 これで、この海の牢獄ともおさらばだ。




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