■内側:出発
次の日の朝は、雲一つない快晴で、波一つない。きらきら光る水面の上は、歩けそうな程、見事なまでに凪いでいる。
「天気が良くてよかった。この天気なら君たちが乗って来たあのボートで行けそうだ」
司の言うそのボートというのは、ほんの二、三人くらいしか乗れないくらいの小さなもので、進むためにはオールを漕がなければいけない。昨日の話では、境目に船がたくさんあるから結局このボートは境目まで行けたらいいのだ。
リズはルカに小さなリュックを渡した。
「必要になりそうなものを入れておいたからね。水と食料、あと怪我した時のための消毒とか」
「ありがとう」
ルカはリズと抱擁した。
リズは、次に琥珀と玲音を順番に抱擁した。
「あの子の目になってあげてほしいの。お願いね」
二人とも、頷いた。リズの目が腫れている。昨晩、眠れなかったのかもしれない。
「ま、ルカなら大丈夫やろ」
ドミニクはカラカラと笑った。
琥珀はドミニクに近付いた。渡さなければいけないものがあったのだ。
「あの、これ」
琥珀はドミニクに封筒を差し出した。昨日の荷揚げで見つけたお金だ。くたびれた封筒に、十万円入っている。
「ずっと持ってて、ごめんなさい」
「ああ、これか」
ドミニクが封筒の中身をちらっと見て、ほんの少し考えてから、一枚抜き取って琥珀に渡した。
「こんくらいは必要やろ」
ドミニクはにッと歯を見せて笑ってみせた。
琥珀は受け取ってよいものか迷ったが、このくらいなら、あった方がよいだろうか、とも思った。
「なんだよじいさん。全部渡せばいいのに」
「そうもいかん。十万円は大金や」
ドミニクの言う通りだ。十万円もらったところで、使い道もわからない。
司は苦笑いをして、琥珀に言った。
「もらっといてやれ。何か、役に立ちたいのさ」
司が言うので、琥珀は軽く会釈をしてもらう事にした。お金はルカのリュックのポケットに入れた。
ルカがボートに乗り込もうとしたとき、アニカがルカを呼び止めた。
「待ってルカ。これ」
アニカが差し出したのは、ワインレッドの糸で編んだミサンガだった。
「くれるの?」
「うん」
そう言って、アニカはルカの手首に赤いミサンガを結んだ。
「名前を編み込んだの。ルカって書いてある。境目を通ったら、もしかして名前を忘れてしまうんじゃないかと思って」
ルカはミサンガを指でなぞり、名前が書いてあることを確かめた。ルカのスペルの部分が少し盛り上がっているので、触ったらわかる。
「ありがとう。大事にする」
「時間がなかったから、あまり丈夫に作れなかったの」
アニカは目を伏せて、寂しそうな顔をする。
「だから、無茶しないで。乱暴にしたら、すぐちぎれてしまうわ」
「わかった。ちぎれないように、注意する」
ルカは嬉しそうに、にっこり笑った。
三人はボートに乗り込んだ。
「行ってきます」
ルカは大声で叫んで、大きく手を振った。