贖罪の螺旋
グンドゥールの触手がアデールの胴体を締め上げ、骨が軋む音が教会内に響いた。彼女の顔から血の気が引き、青い刻印が断続的に光る。
「レオ……ン……逃げ……!」
アデールの声はかすれ、唇から零れた血の泡が大理石の床に散った。彼女の視線の先で、私の手に握られた魔導銃が微かな火花を散らす。刻印の輝きはほぼ消え、貴族としての魔導力が枯渇しかけていることが肌感覚でわかる。それでも瓦礫の陰から飛び出し、グンドゥールの蠢く触手へ銃床を叩きつけた。
「無駄な抵抗ですかな」
グンドゥールの無数の眼球が不揃いに回転する。次の瞬間、触手の一本が私の胴体を捕捉し、床へ叩きつける衝撃で背骨が軋んだ。血の滴りが石畳に広がり、視界が歪む。
(勝てない……)
痛みよりも屈辱が喉を灼く。貴族の傲慢さで無数の魂を踏みにじってきた自分が、今や無力な存在に堕ちた皮肉。それでも、奴の思うままにされるのは我慢ならなかった。
「メイドの娘を殺せば、レオンハルト様の魔導が幾分か回復するでしょう」
グンドゥールの声は慈愛を装い、底から蠢く悪意を滲ませる。
「下層民を犠牲にするのは、貴方にとって慣れた行為では?」
「お前は……口を開けば殺戮しか語らんのか」
血まみれの顎を震わせながら続ける。
「いったい……何の神に仕えているというのだ……」
視界の端が赤く揺らぐ。献上用の魂結晶――貴族社会を支える「燃料」が祭壇に鎮座していた。
「アデール……結晶を……!」
私は呻くように叫んだ。アデールの瞳が一瞬鋭くなり、彼女の青い刻印が最後の力を振り絞って輝いた。光の鎖が赤い獅子へ突進し、グンドゥールの触手をかすめて直撃する。
「馬鹿者! 公爵様の宝物に手を――!」
グンドゥールの怒号と共に結晶が砕け散る。破片が青い炎に包まれ灰となり、教会全体を揺るがす轟音が鳴り渡った。
「よくも……よくも……!」
「100人も限界まで搾ってようやく完成したのだぞ!! 公爵様に忠義を示せる機会だから奮発したのだ! それが今や塵に...... 資源を浪費させた罪、軽く済むと思うなよ!!」
異形の肉体が膨張し、触手が狂乱の鞭と化す。アデールが投げ出され、私の懐へ転がり込む。彼女の刻印はかすかに脈打ちながらも、血塗られた唇に笑みを浮かべていた。
「これで……少しは……償いになるかしら……」
グンドゥールの触手が二人を巻き上げ、天井へ叩きつける。肩甲骨が砕ける音と、アデールの肋骨が折れる音がした。
「ここまでお膳立てたのになぜ小娘一人の喉を掻っ切れないのだ! 今まで散々やってきただろうに! 急に気取って怖気づくなこのガキ!」
「貴様ら二人は痛めつけるだけのつもりだったのだぞ! それをこうも... 取返しのつかないことを仕出かしたものだな!!」
一頻り叫んだグンドゥールは上がった息を落ち着かせ、リナが入っている聖別装置へ近づいた。
「神の御前で公爵家の象徴を破壊することなどあってはならんのだ... 罪を犯した者も、この罪を目撃した者も存在してはいけない...」
聖別装置に触手が巻き付き、青い光がグンドゥールに向かって流れ込む。
「私が貴様ら全員の贖罪を承ろう ...公爵様もきっとお許しになる レオンハルト様、あなたは最後だ そこで女どもが――」
グンドゥールが不意に体を震わせる。奴の触手が痙攣し始めた。
「なんだこの不愉快な魂は……!」
リナの棺から迸った白光が触手を焼き切った。教会の壁に埋め込まれた鎖型レリーフが共鳴し、グンドゥールの無数の眼球が一斉に自らの喉元を凝視し始める。
「みんな殺した……今度はあの女の子も殺すのか……」
「贖罪の名の下に魂を貪り……醜く生き延びて……」
亡霊のような声が重なり合う。異形の皮膚が剥がれ落ち、内側から現れた無数の手が、グンドゥール自らの首を締め上げた。
「消えろ……この穢れた亡霊どもが……!」
グンドゥールが触手で自分の肉体を切り刻むが、逆に手が彼の喉へ締め上げる。
「なぜお前が生き残る……」
「罪を……償え……」
グンドゥールが触手で己の肉体を切り刻むも、逆に干からびた手が喉へ食い込む。眼球が破裂し、膨張する肉塊が爆発を起こす直前に、私はアデールを引きずり柱陰へ飛び込んだ。
――轟音と共に肉片の雨が降り注ぐ。崩壊した水晶棺の跡で、リナの小さな体がかすかに息づいていた。
「リナ……!」
駆け寄ろうとした刹那、背後から氷のような圧が迫る。赤い刻印を煌めかせた第七公爵――父が、教会の扉があった方向から現れた。
「惨めな姿だな、レオンハルト」
父は私たちに向かって手をかざした。彼が手を振ると私とアデールは教会の外へ投げ出され、赤い鎖によって地面に縛り付けられた。
「待て……! リナに何をするつもりだ……!」
私の叫びも虚しく、父が指を鳴らす。衛兵たちがリナを担ぎ上げ、馬車へ放り込んだ。
「お前たちはそこで反省をしていろ」
私は意識を失う直前、遠ざかる車輪の音を聞いた。
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冷たい石の床の感触で目が覚めた。鉄格子の向こうで、水の滴る音が規則的に響く。
(ここは……公爵家の地下牢……)
鎖で繋がれた手首が痺れを訴える。首筋の瘢痕が疼き、灰色刻印があった手の甲は今、淡い青色の痕跡を残している。
重い扉が開く音。蝋燭の灯りに照らされ、衛兵の長い影が牢内に伸びた。
「おい、起きろ 下層民のクズが」
衛兵の革靴が脇腹を蹴り、私は苦悶の声を漏らしながら起き上がった。
「……何を……?」
震える声で問うと、衛兵は不気味な笑みを浮かべた。
「何をって、尋問だよ お前みたいなゴミが、どうやって大司教様に危害を加えたのか、しっかり話してもらおうと思ってな」
衛兵は私の顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「でもな、正直言うとこんな仕事面倒だし、お前はあの日に殺されるべきだったんだよ お前のメイド仲間、妙な動きしたやつらは皆死んだんだから、お前だけ生き残るなんておかしいだろ?」
「……何を言ってるの?」
「意外か? 下層民なんて、どう殺そうがこっちの勝手だろ」
体が強張る。怒りが全身を駆け巡り、鎖が軋む音が牢内に響いた。
「なぜ……! なぜ平気で私の仲間を殺せるの!? 彼らは何も悪いことをしてないのに!」
衛兵は嗤いながら私の髪を掴み、顔を引き寄せた。
「だから下層民を殺すのに理由なんかいらないって お前たちは生まれた時から穢れてるんだ 貴族様のためになんて死ぬのが当然だろ?」
「……貴族のため? そんなの……ただの言い訳だ……!」
衛兵は私の言葉を無視し、服を引き裂こうとした。
「まあ、そんなに怒るなよ お前もすぐにあいつらと同じ運命になるんだからさ その前に、ちょっと楽しませてもらおうか」
必死に抵抗するが、鎖に繋がれた手では力及ばない。衛兵の手が肌に触れた瞬間、私は全身の力を振り絞ってビンタを繰り出した。
「離して!」
その瞬間、手から青い光が迸った。閃光が魔導鎧を侵食し、鎧が崩れ落ちると共に衛兵の声が響く。
「な……なんだこれは……!?」
衛兵が驚きの声を上げるが、次の瞬間、鎧の破片が彼の体に突き刺さり、血しぶきが飛び散った。
「うわあああ……!」
衛兵が悲鳴を上げながら床に転がる。私も自分の手から放たれた光に驚き、息を荒げてた。
その時、公爵様が現れた。
「……何をしている?」
冷たい声が牢内に響き渡る。
「ぐ……公爵様……! この下層民が……!」
「ろくに尋問もできず、私の時間を無駄にしたな」
公爵様は血まみれの衛兵を見下ろし、指を軽く振った。軋む音と共に衛兵の首が折れた。
「……っ!」
息を呑む。彼は衛兵の死体を無視し、檻の外から私を見つめた。
「青い刻印……興味深い」
指を私に向けると、体が浮かび上がった。
「お前の魂は特別で興味惹かれる だがその秘密を吐き出すまで、お前にあるのは苦痛のみだ」