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刻印の檻  作者: かかかと
3/5

贖罪教会

下層街の空気は常に鉄錆と煤の匂いが混じっていた。崩れかけた煉瓦造りの家屋の隙間から、三人の影が滑り込むように入った。リナの生家は路地裏の奥、下水道の腐敗臭が漂う一角にひっそりと佇んでいた。ドアノブが軋む音が空洞のように響き、埃が舞い上がる。


「……お入りください」


公爵邸から逃れた我々はここで休息を取ることにした。長年放置され続けた部屋、子供時代に刻んだ身長の傷跡が薄く残っている。窓際の壊れた人形は、左目がガラスの破片で抉られていた。


アデールが魔導の気配を探るように部屋を歩き回る。彼女の青い刻印が微かに脈打ち、床下を這うネズミの足音さえ感知しているようだ。


「衛兵の巡回パターンが変わったわ」


「奴らが本気で探している証拠だ」


レオンハルトが傷ついた左肩を包帯で締めつける。逃げる途中で受けた魔導銃傷が、青黒く腫れ上がっていた。


「レオン、こっちへいらっしゃい」


アデールのほうへ向かうと、彼女は青い光を放つ手で私の怪我を包んだ。


「アデールの魔導は器用だな」


「素直にお礼を言ってもいいのよ」


アデールの軽口に思わず顔が綻んだ。あの屋敷にいた頃、こんな風に笑うことなどなかった。


「リナにも感謝しなくては ここへ匿ってくれてありがとう」


「いいえ!とんでもないです! むしろこんな汚い場所でお二人を休ませるなんて...」


「...確かに、ここの生活環境はとても良いものとは言えない」

「下層街全体が、暮らす者の生気を吸い取っている感覚だ」


「その表現はあながち間違いではないわ」


アデールは治療を終え、部屋の窓際に立ち外を眺める。彼女は遠くに見える尖塔を指差した。


「贖罪教会 あそこで人々の魂が吸われているわ」


「それは...アデールが地下聖堂でされていた事と同じか?」


アデールがうなずく。


「あの教会には下層街唯一の聖別装置がある 地下聖堂にあった水晶棺と同じよ」


「この状況、なぜ下層民は抵抗しない?」


レオンハルトが突然問いかけた。窓の外で、ぼろをまとった老人が衛兵に頭を下げる光景がちらつく。


「私たちは生まれた時から『魂の穢れ』を植え付けられるんです 泣けば『魂の濁りが出る』、笑えば『欲望が形になった』と言われて... 卑しい存在だとずっと教えられてきました」


「贖罪教会の儀式で魂を吸われる時、安心感を覚える者さえいます 『これでまた清められた』と」


「抵抗する者もいたけど、散発的なものばかりだからすぐ鎮圧されてきたわ これも教会が洗脳活動に勤しんだ結果ね」


「自分の出生が悪いから、『贖罪』は当然だと思い込ませるわけか」


アデールが窓枠に手を当てた。


「今までは長く搾取するために、儀式で死なないよう調整してたわ」

「でも私が脱出したことで公爵家への魔導供給が不安定になっている 不足分を補うため、下層民への搾取が加速するでしょうね」


遠くで不協和音のような鐘が鳴る。リナの肩が跳ね上がった。


「贖罪の鐘です…」


私は魔導銃を握りしめた。


「教会へ行こう。奴らの『贖罪』を止める」


「自殺行為よ」

アデールが遮る。

「教会の警備は公爵家に引けを取らないわ」


「今は衛兵総出で私たちを探し回っているだろう 警備は薄くなっているはずだ」

「屋敷への魔導供給は止める でなければ、先の騒動で死んでいった者たちは犬死だ」


沈黙が流れる中、リナが静かに立ち上がった。彼女はミーシャの髪飾りを握りしめて言った。


「私も、教会に行くべきだと思います」


「...はあ、わかったわよ ただこの戦力で正面突破はできない 全員を助けることもできないわ」

「聖別装置の破壊と、教会の長である大司教への奇襲 これ以外のことはしないと約束して頂戴」




贖罪教会は下層街の中心にそびえる黒い尖塔だった。入口では、痩せた人々が列を作って順番待ちをしている。外壁に埋め込まれた無数の鎖型レリーフが、月光に照らされて蠢く生き物のようだ。


「あの彫刻……生きた人間を埋め込んだのか?」


レオンハルトが息を吞む。壁面の「装飾」の隙間から、干からびた指先が突き出ている。


アデールが魔導を神経のように張り巡らせる。


「全員の刻印が弱っている やっぱり魂の吸収量が増加しているわ」


三人は廃墟となった隣家の屋根裏から教会内部を覗いた。広間の中央には巨大な水晶の器が据えられ、鎖で繋がれた下層民たちが順番に中へ入っていった。器の底で赤い粘液が、犠牲者から魂を吸い上げるたびに成型され、光輝く結晶となり外へ吐き出された。


「贖罪の儀式です」


リナの声が軋む。


眼下で老婆が器に引き寄せられた。灰色の刻印が蜘蛛の巣状に広がり、全身から光の粒子が吸い出される。老婆の身体が痙攣し始めた時、司祭が鎖を引っ張り、彼女を外へ投げ出した。


「生かすための最低限の魂を残していた」


アデールが歯を食いしばる。


次の犠牲者の少年が器に入る。足が床から浮き、眼球が裏返る。司祭たちが嘲笑いながら水晶器の出力を上げる。少年の叫び声が途切れた時、彼の身体は空っぽの皮袋のように床にたたきつけられた。


「畜生……」


私の握りしめた拳から血が滴った。


突然、広間が赤い光に包まれた。奥の扉が開き、肉塊のような影が現れる。金糸で縫い合わされた法衣を纏った男が、信徒たちの跪く背中を踏みつけながら進んでくる。


「あいつだわ 大司教グンドゥール」


グンドゥールが豚のような笑い声を上げる。奴は地面に転がる赤い結晶を満足そうに眺めた。


「今日の贖罪は特別だ 公爵家での騒ぎは皆知っておるだろう これも皆の穢れが形となって表れた結果だ」


結晶が重力を無視し、空中に浮ぶ。グンドゥールの魔導か。結晶が一つに混ざり合い、赤い獅子――第七公爵家の紋章となって教会の中空に鎮座した。


「罪を償え 魂を聖別し神の御前に差し出すことだけが救いなのだ」


私は魔導銃を構えた。


「もう我慢ならない! アデール!」


アデールが魔導で私たちを教会の外壁まで飛ばした。ステンドグラスを蹴破り、グンドゥールの前に飛び移った。


「おや...公爵様のご子息」


「もはや人とは呼べぬ風態だな、大司教」


グンドゥールの顔に照準を合わせる。


「結構な物言いですな ...続きの前に、ちょっと失礼」


悪臭を放つ触手が、グンドゥールの法衣を突き破りリナへ掴みかかった。私は反応すらできず、アデールの放つ光の鎖が弾かれる様子を眺めることしかできなかった。リナは聖別装置へ放り込まれた。


「メイド風情が貴族様の隣に立つなどおこがましい 貴様の居場所はそこだ」


グンドゥールの触手がリナを聖別装置へ叩き込んだ瞬間、アデールの青い刻印が爆発的な光を放った。教会の天井を貫く光の鎖が触手を切り裂き、リナの身体を引き戻そうとする。しかしグンドゥールの法衣からさらに触手が噴出し、鎖を貪り食うように絡め取った。


「邪魔!」


アデールが両手を振るい、鎖を鞭のようにしならせる。光の奔流が聖別装置を目掛けるが、グンドゥールの触手に遮られた。


「大した威力だ 中の娘まで砕く気か?」


私の魔導銃が震える。銃身に込めた青い光弾がグンドゥールの巨体を貫く――はずが、弾丸は彼の皮膚に触れた瞬間溶け落ちた。


「ご子息様は魔導訓練を怠っている様子ですね」


グンドゥールの触手が床を叩きつける。衝撃で吹き飛ばされた私の背中が、信徒の跪いていた石畳に激突する。肋骨が軋む音と共に、喉から鉄の味が溢れた。


「レオン!」


アデールの叫び声と共に光の鎖が壁を砕く。崩れ落ちる石材がグンドゥールの動きを封じる隙に、彼女は私の脇へ駆け寄った。その手から流れ込む治癒の魔導が、かすかに傷を癒す。


「奴にも銃が効かない…」


その時、教会の扉が轟音と共に吹き飛んだ。赤い刻印を煌めかせた衛兵たちがなだれ込む。騒ぎで駆け付けたのだろう。


囲まれた――


最悪の状況で、思考が停止した脳みそを再度刺激したのは、グンドゥールは舌打ちだった。


「仕事が遅い たった三人も見つけられぬ能無しは必要ない」


グンドゥールは手を掲げた。次の瞬間、衛兵たちの赤い刻印が一斉に歪みだす。まるで吸い込まれるように、彼らの体から赤色の煙がグンドゥールへ流れ込んだ。


衛兵たちが砂と化す。グンドゥールの肉体が膨張し、法衣を引き裂く。皮膚の下から現れたのは無数の眼球と、腐肉から生えた触手だった。異形の怪物が咆哮すると、教会のステンドグラスが一斉に爆散した。


グンドゥールの触手がアデールを捉える。彼女が光の鎖で応戦するが、触手は切断されても即座に再生する。


「くっ……!」


アデールの額に汗が浮かぶ。


私が魔導銃を構えるも、銃身からは微かな火花しか出ない。


「くそ…」


グンドゥールの触手がアデールの胴体を締め上げる。彼女の苦悶の声が教会に響いた。


「レオ……ン……逃げ……!」



「ちょうどいい レオンハルト様、今から魔道訓練の手ほどきをいたしましょう」


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