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刻印の檻  作者: かかかと
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灰色刻印は青く啼く

ベッドの天蓋に刻まれた第七公爵家の紋章が、朝靄の中で鈍く光っていた。右手の甲に残る火傷のような疼きによって私は目覚めた。


「レオンハルト様、魔導銃の手入れが済んでおります」


リナが震える指で銀盆を差し出す。盆の上で鈍光を放つ魔導銃に、少年の灰色刻印がちらつく。あの時、引き金を引く直前に見た少年の瞳が、今も私の網膜にこびりついている。


訓練場の硝子天井が今日も冷たい光を撒いていた。鉄鎖に繋がれたのは麻の着物の少女。12歳ほどか。左頬の痣が、リナの首筋の瘢痕と奇妙に相似している。


「今日は躊躇うな」

父の革手袋が肩を締め付ける。


「失敗を繰り返すような男は当家に存在しない」


魔導銃が重い。少女の目が涙で滲んだが、私の心は石のように重く何も感じなくなっていた。赤い刻印から魔導が血管を伝い、銃身に不気味な脈動を走らせる。


「発砲せよ」


引き金が自動的に沈みかけた瞬間、少女が突然前のめりになる。

「殺さないで! 弟が下層街で――」


閃光が少女の頭部を貫いた。父の満足げな声が耳元に届く。

「良し」

倒れる少女の背後で、聖像の破片が散らばっていた。


「昨日の失態は見逃そう」


少女の血が、床に刻まれた第七公爵家の紋章を汚していく。気が付くと私は膝から崩れ落ちていた。


「情けない」

父の革靴が視界の端に映った。

「魂の選別が貴族の義務だと、いつになったらわかる――」


「義務だと!?」

震える声で叫んだ。

「この殺戮が!? 少女を肉塊に変えることが!?」


父の赤い刻印が突然輝く。私の喉元に魔導の枷が出現し、床に叩きつけられた。


「下層民の魂で我が家は栄えた お前の病を治した魔導薬も、母屋の暖炉も、全ては彼らの叫びがあってこそだ」


少女の血が紋章の獅子の目を染める。私の青い刻印が拒絶するように疼き、赤い血管と皮膚の下で争う。訓練場の壁に掛かった歴代公爵の肖像画が、一斉に嗤っているように見えた。


「ならば…この公爵の血、ここで絶やしてやる!」


魔導銃を自分のこめかみに押し当てた瞬間、父の革手袋が顎を殴りつけた。意識が遠のく中、父の声がかすかに聞こえてきた。


「死んでも逃げられぬ」

「貴族の子は貴族として屍になれ」


その夜、汗で濡れた寝衣を剥ぎ捨て窓を開ける。下層街から昇る灰色の煙が、少女の焼かれる臭いを運んでくる。突如、夢の書庫の記憶が頭を蹴った。


――琥珀色の瞳の少女が炎上する書架を駆ける。『魔道システムの真実』と題された本の頁が、私の掌で灰になる。


「地下聖堂に行かなくては」

父の書斎から漏れる甘い薔薇の香りを掻き分け、石階段を降りた。


そこには忘れようとした光景が広がっており、アデールの胸元に刺さった魔導管が、腐敗した赤い光を脈打たせていた。地下聖堂の屍たちが鎖を鳴らす音が、頭蓋の裏側で共鳴する。


「動力炉へ直結されております」

老魔導師の眼球が壁面から飛び出した。

「彼女の魂は特上品」

「あなたの病のみならず、ここの動力もほとんど彼女が担っている」


突然、背後の石壁が軋んだ。薔薇の香りが腐敗臭を圧倒する。


「深夜の散歩とは風流だな」


父の赤い刻印が暗闇に浮かび上がり、革手袋が水晶棺を撫でる。


「こいつには普段から世話になってるよ お前もそうだろ?」


私は父が語る様をただただ眺め、指一本動かせずにいた。屍たちの鎖が暴れだす。父の赤い刻印が閃光を放ち、屍の頭蓋が破裂した。


「やはり教育が足りなかったな」


父の魔導銃が私を捉えた。

地下聖堂の冷気が肌を刺す。父の魔導銃から放たれた赤い閃光が左肩を貫き、後ろの水晶棺にまで風穴を開けた。


「アデール!――」


私の傷口から流れ出る血が棺の中へ吸い込まれ、10年間閉じていた彼女の睫毛が震えた。


「レオ……ン?」


アデールの指先が棺の内側に爪を立てた。鎖で繋がれた屍たちが一斉に喚き立てる。


「魂の再結合!」


父の革靴が石床を蹴る。

「実験体が目覚めるなど!」


次の銃声が響く直前に、アデールの手が水晶棺を内側から破った。彼女の掌から迸る青い光の鎖が父の銃を弾き飛ばし、天井に突き刺さった。


「早く」

アデールの声に地下聖堂の空気が共振した。彼女の鎖骨から伸びる魔導管が、屍たちの鎖を次々と溶解していく。


「十字架の釘を抜いて!」


血まみれの手で壁に嵌め込まれた老魔導師の釘を引き抜く。腐敗した肉片が床に落ち、解放された屍たちが壁面を這いずり回り始めた。


「お前たち!」

父が衛兵を呼ぶ笛を吹き鳴らす。

「実験体の暴走を――」


その刹那、解放された屍たちの喉から悲鳴が爆発した。無数の灰色刻印が集まり巨大な刻印のように見えた。


アデールが私の傷口に手を当て、彼女の青い刻印から糸のような光が血管に流入した。するはずの腐敗臭は感じなかった。

「応急処置よ。早く逃げましょう」


崩れ落つ聖堂の天井を避けながら地下通路を駆ける。背後で父の怒号が響く。

「衛兵は何をしている! 誰もここから出すな!」


階段を駆け上がった先の使用人通路で、リナが血相を変えて待っていた。彼女の灰色刻印が不安定に青く輝いている。


「リナ、お前も来い」

「レオンハルト様、私はどうすれば...」

「今はただ、一緒に来るだけでいい」


アデールが突然壁に手を押し当てた。彼女の刻印から光の模様が広がり、アデールは目を瞑った。

「東側の物資搬入口 ここからなら外壁に出れる」


爆発音と共に梁が落下する。リナが悲鳴を上げてしゃがみ込む中、アデールの光の鎖が瓦礫を粉砕した。

「ついて来い」

私がリナの腕を引っ張る。


道中、鉄格子を魔導銃で破壊するのに五発要した。私の刻印はほとんど青色へと変化しており、魔導

が著しく弱くなっていた。魔導銃の反動で傷口が染みるたび、アデールの結合が微弱に脈打つ。


背後で天を衝く爆発音。無数の灰色刻印が炎の中で踊り、衛兵たちの赤い刻印を引きずり込んでいた。


「あの人たち...」

リナが嗚咽を漏らす。

「自爆...しているんですか...」


アデールの睫毛に水滴が光った。


「魂の鎖を断ち切る最後の抵抗よ」


下層街の闇が広がる出口手前で、リナが突然立ち止まった。

「私は...屋敷に戻ります」


「馬鹿を言うな」

私が彼女の袖をつかむ。

「あの炎の中を?」


リナの灰色刻印が弱々しく輝く。

「メイド仲間がまだいるかもしれません 庭師のカイルさん、洗濯女のミーシャ...」

涙が頬を伝う。

「あの人たち、まだ生きてるかも...」


アデールが短く頷いた。


「15分だけ待つ」


使用人通路へ戻り、当てもなく二人を探し回っていた時女の悲鳴が響いた。声が響いた部屋へ急ぐとカイルが衛兵の銃剣に腹部を貫かれ、壁に釘付けにされていた。


「リナ...ミーシャだけでも...」

カイルの灰色刻印が血で黒ずむ。


リナが瓦礫を投げつけ衛兵の目を潰す刹那、別の衛兵の魔導銃が彼女に狙いをつけた。

「リナ!」

私がリナに覆いかぶさるように、ミーシャはカイルの体を庇うように覆い被さった。


赤い閃光が二人に突き刺さる。ミーシャの髪飾りが転がり落ちた。

私は魔導銃で応戦したが、放たれた青い光弾が胸甲で火花を散らし、僅かな焦げ跡しか残さない。魔導が足りないのだ。


「なんで二人を殺したの!いつもお城のために働いてたじゃない!」

怒りで我を忘れたリナが、私の腕を振り切り衛兵の魔導銃に掴みかかる。これでは衛兵を撃てない。いくら魔導が足りなくても生身のリナに当たったら致命傷だ。

ならば私も接近戦を――覚悟を決めた瞬間、光の鎖が衛兵たちを砕いた。


「時間だ」

アデールが現れた。


「長居するとさらに衛兵が来る もう行くわよ」


リナは血の滲んだ手でミーシャの髪飾りを拾い、胸に押し当てた。


「ごめんなさい...」



馬車で下層街へ逃れる中、アデールがリナの手当てをしながら言った。


「あなたの刻印も、青く輝いたようね」


リナが不思議そうに手の甲を見る。


「でも私は...二人を救えなかった...」


「それでもあなたは抵抗した」


アデールの指がリナの傷を青い光で包む。


公爵邸の炎が、積乱雲に亡者の影を映し出す。

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