2 失恋
「はじめて見た時から好きでした、付き合ってください!!」
長い冬も終わりに差し掛かる、凍てつく空気が和らぎ始めた春。
高校二年生に進学したばかりのある日、この町に引っ越してきて半年経った頃に、俺こと鹿島博斗は一世一代の告白を決意した。
時間は午前授業の放課後、場所は校舎裏の大きな桜の木の下。
何十組のカップルが誕生した聖地、なんて噂を信じたわけじゃないが、そんなあやふやなものに縋りたくなるくらいには、片思いの人を前にして緊張していた。
「鹿島くん……」
背丈は俺より少し低め。
クセのない髪は肩の辺りで切り揃えられ、髪留めでまとめられている。
小柄だけど姿勢は常に良く、遠くにいてもすぐに見つけられる。
決して目立つタイプではないが、彼女がいるだけで不思議と目で追ってしまう、そんな魅力があった。
藤倉愛里奈。
俺が好きになった人だ。
「ごめんなさい。わたし、鹿島くんのこと、異性として見たことなくて……」
「俺の方こそごめんなさいでしたーーー!!」
「あっ……」
残酷な言葉を最後まで聞きたくなくてそう叫んだ俺は、まだ何かを言いかけていた藤倉さんに背を向けて全速力で逃げ出した。
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どこまでも青い昼下がりの空に、二羽の鳥が寄り添うように飛んでいる。
「はは、鳥にすら彼女がいるのにな」
高いフェンスで四方を囲まれた屋上は、基本的に放課後から下校時間まで開放されている。
明日からは本格的に新学期が始まるのでほとんどの生徒はとっくに帰り、教師も授業の準備に忙しいらしく、仰向けで寝ている俺の他には誰もいなかった。
それだけに、おしどり夫婦が視界を横切っていく光景はギザギザハートに沁みて痛みが走った。
子守歌が欲しいくらいに。
『はじめまして、鹿島くん。わたし、藤倉愛里奈。分からないことがあったら何でも聞いてね』
半年前、転校直後の(二度と思い出したくない)自己紹介を終えて席に座った俺に、左隣の藤倉さんはそう言って、昼休みに学校を案内してくれた。
一緒に学食で昼飯を食べて、授業で教科書を見せてくれて、最寄りの駅まで一緒に帰ってくれて、夜にベッドの上で目を閉じる頃には、藤倉さんのことを好きになっていた。
『おはよう、鹿島くん。いい天気だね』
『お、おはよう、藤倉さん』
高校デビュー半年にして転校デビューまで果たすという、控えめに言ってもハードモードだった俺の新生活は、藤倉さんによって救われた。
とある政令指定都市の隣町にある新たな生活拠点は、一通りのインフラが整っている住みやすい土地柄なことからか、転出が極端に少ないらしい。
そのため、クラスの大半が小学校からの付き合いで、そいつらを中心に人間関係が形成されているこの学び舎は、人付き合いが得意じゃない俺にとって入り込みづらいコミュニティだったことは確かだ。
正直、藤倉さんを通じて席の近くの何人かと仲良くなっていなかったら、昼休みは毎日便所メシになっていたとしても不思議はない。
まさに藤倉さんは俺の光、メシア、女神。
そんな夢の高校生活に決定的な変化が起きたのは、二月の中旬のある日、授業の合間のことだった。
『そういえば、鹿島くんが転校して来てからもうすぐ半年だね。二年生になってクラスが変わったら、こうして一緒に勉強できなくなっちゃうかもしれないね』
『え……、え……!?』
そうなのだ。
普通科高校の御多分に漏れず、我が校でも二年生に進級するにあたり、文系クラスと理系クラスに分けられる。
つまり、藤倉さんの選択授業が俺と違えば、その時点で別々のクラスになることが決定するわけだ。
で、結論を言うと、
『それで、鹿島くんは文系と理系、どっちにするの?』
『り、文系かな……?』
『ほんと!?じゃあ私と一緒だね!』
藤倉さんと同じ文系であることが判明し、実際に二年に進級しても同じクラスになることができた。
だが、これが逆に俺の危機感を煽る結果になってしまった。
それというのも、
『お、エリナじゃん、久しぶりだな』
『それはアキラが部活で忙しいからでしょ。おばさんとは毎日のように会ってるもん』
小野明。
一年の頃から野球部のレギュラーに抜擢されて、秋の大会ではセカンド三番バッターとして大活躍。
二年になって同じクラスになったばかりだが、転校直後に県大会の応援に生徒総出で駆り出されたから、このくらいのことは知っていた。
知らなかったのは、小野の家が藤倉さんの近所だったことと、二人が典型的な幼馴染だってことだ。
しかも、俺の立場を奪うように、小野の席は藤倉さんの隣。
ことあるごとに昔の思い出を話す、楽しそうな二人を見るたびに、俺の心は張り裂けそうになった。
……いや、きっと張り裂けたんだろう。
でなければ、教室以外で藤倉さんとの接点を持つ勇気がなかったくせに、突然の告白という暴挙に出るはずがない。
案の定、当たって砕けろの精神で敢行した告白劇は、ものの見事に砕け散ってしまった。
「はあ、明日からどんな顔して藤倉さんに会えばいいんだ……」
「そうだな、このまま不登校になるってのはどうだ?」
「は、――がはっ!?」
失恋のショックで半ば朦朧としていた意識を叩き起こしたのは、腹にかかった強烈な圧力。
なにが起きたのかと視線を彷徨わせると、そこにあったのは俺の顔を覗き込む小野の笑顔。
ただし、目の奥は一切笑っていなかった。
「愛里奈に悪い虫がついてるとは聞いてたけどよ、半年前にわざわざ見学に行ったら根暗そうな転校生じゃねえか。これなら大それたことはしないだろと高を括ってたらよ、やってくれたな、なあおい?」
「ぐ……」
野球部じゃなかったらモデルにでもなっていたんじゃないかというほど顔立ちの整った小野の口元が歪むと共に、俺の腹にかかる靴底の圧力が強まる。
藤倉さんと親しげに話す小野に、俺が抱いていたもう一つの印象。
それは、野球部の仲間たちとつるんで、一部の同級生をいじめているという、スポーツ系イケメンの裏の顔。
その噂を聞いたのは、被害者達と似たようなクラスカーストにいるゆえの偶然の産物であって、異性の藤倉さんの耳には入っていないだろう。
もし知っていたら、藤倉さんがあんな笑顔を小野に見せるはずがない。
「お前、名前なんて言ったっけ? ああ、いいや。陰気臭いオタク野郎の名前なんか覚える気ねえし。とにかくだ、これ以上エリナに近づくな。もし席替えでまた隣になっても辞退しろ。愛里奈から話しかけられても無視しろ。二度と俺達の視界に入るな」
「俺は……」
「お前の話なんか興味ねえよ。これは命令だ。明日、もし愛里奈に話しかけたら、あとはわかるよな? じゃあなオタク野郎、次に会う時は全力で潰してやるから覚悟しとけ」
悪意に満ちた目で睨みながらそう言い放って、俺の腹から靴底を外した小野は、屋上から出て行った。
……痛くはない。
小野の踏みつけが手加減されていたわけじゃないが、強がりでもない。
物心ついたころから続けてきた日課のお陰で、これくらいの攻撃ならなんとか耐えられる。
そう自己分析して、制服についた汚れを払いながら明日からの高校生活に思いを馳せて、目の前が真っ暗になる。
反抗こそしなかったが、これで小野に目をつけられた可能性が高い。
そうなれば、クラス内の小野のグループだけでなく野球部の連中も敵に回すことになる。
たとえ、藤倉さんから距離を取ったとしてもだ。
この先、楽しいスクールライフがやってこないどころか、無事に卒業できるかどうかもわからなくなった。
……誰かに相談したい。
いや、自分の心にまで嘘をついても仕方がない。藤倉さんと話がしたい。
『鹿島くん』
藤倉さんの顔と声が脳裏に浮かぶ。
明日も会いたい。声も聴きたい。
俺を見てほしい。下らない世間話を聞いてほしい。
だけど、そうすれば小野がどう出てくるか。
別に、小野が怖いわけじゃない。俺と小野を見た藤倉さんがどんな顔をするか、それを想像しただけで死ぬほど怖い。
……だめだ、考えがまとまらない。昨日、告白のことばかりを考えてろくに眠れなかったからか?
帰ろう。帰って、しっかり飯を食べてしっかり寝よう。
明日、元気に登校して藤倉さんの顔を見て、それから決めよう。




