17 国王と訓練場
オルネシア国王を直接護衛する近衛騎士、近衛騎士団一番隊からの出頭命令を知らされた瞬間、エリアはなんの冗談かと思ったが、指定された場所である光景を目にしたことで自分が選ばれた理由を理解するとともに、内心頭を抱えた。
「どうした、いつでもかかって来ていいぞ」
「おおおっ!!」
いつもの木刀を片手中段に構えるのは、五百年ぶりにオルネシア王国を来訪した、剣聖カシマ。
対するは、遠目ながら明らかに上等な生地とわかる稽古着に身を包んだ、精悍な顔つきの壮年の男。
あのような人相の貴族や騎士がいただろうかと自らの記憶を探ったエリアだったが、ふと気づいて驚愕した。
すぐに思い出せないのも無理はない、普段は豪奢な衣装に身を包んでいる姿を遠目に窺う機会しかないのだ。
この国で最も直視することが許されない人物、オルネシア王国国王が先祖伝来の宝剣を中段に構える姿があった。
「ようやく来たか。いや、急な呼び出しに応じたとしては早い方か」
二人の立ち合い稽古を見守っていたのは、近衛騎士団一番隊隊長にして名実共に王宮最強の剣士、近衛騎士団長。
普段は表舞台に出ることなく国王の護衛に徹しているが、家柄に囚われることなく実力主義でオルネシア全土から集められた第一部隊の騎士を完璧に統率していることから、王国最強の称号を持つロムフェール公爵と双璧を為す実力者と噂されている。
少なくとも直属の部下であるエリアにとって、父親と同じく雲の上の存在であることは間違いない。
「騎士団長、これは一体……?」
「建国王カイゼル陛下以来、剣聖殿がオルネシアを訪れるのは、通算で四度目となられる。その度にオルネシア王家では国賓として遇し、歴代の陛下に剣の指導を願っている」
「そんなことがあったとは、知りませんでした……」
「カイゼル陛下の剣の師とはいえ、オルネシア国王よりも上位に扱うことを快く思わぬ貴族もいるだろうと、剣聖殿に伺いを立てたうえで、極秘の指導という形になったのだ。騎士エリア、わかっているだろうが」
「本日見聞きしたことはロムフェール公爵にも内密、ということですね。承知しています」
「ロムフェール公がうっかり漏らすとは考えておらぬが、ただでさえ苦労の多い大貴族が余計な秘密を抱えることはないからな」
それは全くの逆で、あの父上が後で知れば血の涙を流して悔しがるだろう、と思ったところで、エリアは注目した。
国王の剣が動き出した瞬間をはっきりと捉えたからだ。
だが、同じように、あるいは国王以上に注視していたはずの剣聖の剣筋を、なぜか見逃していた。
そして両者の木刀が交差したその時、カシマの先の先を取ったはずの国王が、困惑の色を見せながらゆっくりと後退した。
「受けた、いや、それにしては……」
「貴様も見えなかったか。剣聖殿の木剣が触れたかと思った瞬間、陛下の渾身の突きが突如として勢いを失った」
「カシマ様の受け太刀が陛下の動きと完璧に同調し、勢いだけを殺した。理屈ではわかりますが、そのようなことが可能なのですか?」
「剣士ならば、己が目で見たものを信じる以外に道はなかろう。だが、確かに尋常な技前ではない。これが剣聖の神技か」
二人の会話を知ってか知らずか、国王が混乱から立ち直ったのを見計らった鹿島が散歩でもするような足取りで右足を踏み出した。
「それじゃ、今度はこっちからいくぞ。一本も漏らさずに受けてみろ」
「おおおっ!!」
その剣聖による連撃を、なんと例えればいいだろうか。
決して速くはない。むしろ遅いと感じる。
剣を合わせるだけなら、その辺の素人でも難しくはないはずだ。
だが、それなりの重さがあるはずの宝剣を堂々と構えていた国王が、剣聖の木刀を死に物狂いで防いでいるのは一目瞭然だった。
「騎士エリア、陛下の剣の技量を知っているか?」
「いえ、まだ一介の騎士に過ぎない身ですので、陛下の御相手を務めたことはありません」
「私は、陛下が王太子としてお披露目を済まされた直後からの側近だったゆえ、共に先代の近衛騎士団長の薫陶を受けてきた。今でも、陛下の政務に支障をきたさぬ程度の剣術指南を仰せつかっている」
「少し驚きました。まさか陛下が、それほどに剣の鍛錬に熱心だったとは」
「不意を突かれれば話は別だが陛下の技量であれば、並の兵士五人程度までなら互角に渡り合えるだろう」
多対一の状況とは、武の心得がない者の想像をはるかに超えて、生き残ることが困難だ。
人の注意力には限界があり、その対象が増えれば増えるほど持続力も短くなる。
しかも気力体力の限界も、相手の人数に比例して早くなる。
一度取り囲んでしまえば、安全な死角からかすり傷をを与え続けて力尽きるのを待つだけでいい。
近衛騎士団長の言うことが事実なら、国王は兵士五人を相手にしても集中を切らすことなく自分の身を守ることができる実力の持ち主ということになる。
カシマ=オルネシア流の隠れた実力者が一人、ここにいたということだ。
「だが、王の剣とは実力云々で語れるものではない」
「それは、どういうことですか?」
「仮に陛下が、五人の刺客に襲われたとしよう。剣を取り敢然と立ち向かい、死力を尽くして五人の刺客を討ち果たせば、陛下の勲は末代まで称えられることになるだろう。だがもし、六人目の刺客が現れ、疲れ果てた陛下の御命を奪えばどうなる?」
「……陛下のこれまでの功績は一瞬にして否定され、有象無象の刺客に討たれるという恥辱だけが残り、オルネシア王国の名声は地に落ちることになるでしょう」
「王者の剣とは敵を討つためのものではない、逃げることも隠れることも恥と思わず、他に生き残る手立てが無い時のみに振るわれる、活人剣であることが理想なのだ」
近衛騎士団長が語っている間にも、剣聖カシマの連撃は途切れない。
いくらゆっくりとした剣筋とはいえ、すでに八十回を超えても攻めの呼吸を寸毫も変えることなく続けられるものか。
少なくとも今の自分には不可能だ、とエリアは思った。
そして、厳しくも明確な意思がこもった指導に必死に食らいついて行く国王に対しても、崇敬の念を抱かずにいられなかった。
「最後だ、絶対に体を逸らすな。死ぬぞ」
「う、おおぉ!!」
エリアが数えること百回目。
流れるような動作で上段に構える剣聖。
その柄にこの日初めて左手が加わると、突如木刀の切っ先が霞んで消えた。
次の瞬間にエリアが見たのは、空高く舞う宝剣と、国王の額に触れるか触れないかの位置で止まった剣聖の木刀だった。
「死の直前まで剣を手放さなかった王の矜持、見事だった。その感覚、忘れるなよ」
「剣聖カシマ様、直々のご指導、感謝の念に堪えませぬ」
息も絶え絶えになんとか言い切った国王がゆっくりとその場にくずれ落ち、慌てた数人の近衛騎士が駆け付ける。
そのまま、意識を失った国王が厳重な護衛付きで訓練場から姿を消すと、カシマがただ二人残った近衛騎士団長とエリアに視線を向けた。
「あー、名前、なんて言ったかな」
「私の名など、剣聖殿に覚えていただく価値などありませぬ。なんとでもお呼び下さい」
「じゃあ近衛騎士団長。俺が国王と交わした約束、果たしてもらおうか」
「すでに両名、近くに控えさせております」
「なら、一人ずつ行こうか」
「剣聖殿、最後に確認しますが、よろしいのですね?」
「ああ。装備は自由、魔法も魔道具も使い放題で構わない。なんなら、助っ人を百人でも千人でも連れてきてもいいぞ」
「そのような卑怯な真似だけはオルネシア王国の体面にかかわりますので、本人たちには伝えておりません」
「どうせなら、藤倉さんの害になりそうな連中を一網打尽にしたかったんだがな。まあいいか」
そう言ったカシマが見せた、獲物を狙う獣のような眼光に、エリアは戦慄した。
「さあ、お仕置きの時間だ」




