セカンド・コンタクト ~三通りの選択~
アパートを出てから数分後。私は今川沿いの道を歩いていた。川のほうに目をやるとそこはゴミのベルトコンベアだった。テレビや衣類、ポテトチップスの袋など、ありとあらゆるものがゴミとして流れていた。これ以上ないくらいの最悪な景観だ。何処にも向けることの出来ない感情を、物を川に投げ捨てることに向けたのだろう。川だけではない、今こうして歩いている道路にもゴミが散乱していた。いや、ゴミだけならいいが所構わず止めてある車やバイクが行く手を妨害してくる。
デパートやコンビニが立ち並ぶ街中に入ると様相はさらにひどかった。辺り一帯は物凄い騒音でひしめいていて、その中には車が衝突する音が何度も聞こえてきた。そう思っているうちにもまた一台。今度は大分近いところらしい。道路にはさらに多くの物が捨ててあり、さらには店のドアや窓が壊され中にある商品が持ち出されていた。中をのぞいてみると、商品を置いてある棚が幾つも倒されており、障害物競争のレース場のようだった。こうなってしまうと犯罪も警察もあったものではない。
三日前に会社から帰ってから外に出ていなかったため、こうした惨状を目にしたのは初めてだったが予想通りだった。ホッブズが著書の『リヴァイアサン』で言っていた、「人間の自然状態は闘争である」というのはやはり真実だったのだ。何かに縛られるからこそ人は自己を抑制し、社会の規律にのっとって行動できるものの、それが無くなれば人は感情や欲望を制御出来ない猛獣と同じなのだ。
「ちょっと、そこのあんた」
「…。」
「あんただよ、そこの紺のスーツ姿の」
どうやら私の事らしい。やれやれ、あまり巻き込まれたくはなかったのだが。
「どうしたんだ?」
振り返るとそこには十代の青年が立っていた。おそらく高校生だろう、制服姿だった。丸刈りの頭に細く、そして薄く剃られていた眉毛。制服のボタンは全て剥ぎ取られており、いかにも柄の悪い不良高校生という感じたった。こういう奴に絡まれるのが一番やっかいだ、ましてこんな日に。
「手伝ってほしい事があってさ、悪いんだけど頼めないか?」
言葉づかいはなってなかったが、意外と態度はそれなりに正しかった。一応少し頭を下げている。
「手伝ってほしいことというのは?」
青年は私の方に近づいて来て、デジタルカメラを手渡して来た。随分新しかった。傷一つなく、銀色の光沢が眩しく光っていた。たぶんデパートかどこかで盗んできたのだろう。まあ今さら窃盗しようがたいしたことではないが。
「これで俺を撮ってほしいんだよ。他の周りの奴らは大分いかれちまってるし、見たところ冷静そうなのはあんたぐらいだからさ。頼むよ、時間は撮らせないから」
今度は大分深く頭を下げてきた。こういういかにも不良青年という感じの男がこうまでするのは少し驚いた。やはり地球最後の日のパワーは凄い。
「ここで撮っていいのか?」
「いや、せめてもう少し落ち着いた所がいい。とりあえずここから離れようぜ」
時間はあまり取らせないって言ってなかったか、と思ったが何処かでこの青年の力になってやりたいという気持ちもあった。それになんで写真を撮ってほしいのかも気になる。
とにかく、彼の言うままに街中を出ることにした。どうやら海へ行きたいらしい。ここからだと歩けば一時間以上はかかるのだが。
二人とも黙って歩き続けた。もうさっきの騒音が凄まじかった街中からは抜け出していた。辺りは住宅街に変わり先ほどに比べれば随分静かだ。ここら辺で撮ってもいいのではないか、確かにいつもと比べれば色々な物が散乱していて大分汚いが海に行っても同じことだろう。どうせ砂浜はゴミの浜に変貌しているに違いない。しかし彼は立ち止る様子もなくひたすら歩き続けていた。
「ところで、何で海にこだわるんだ?」
私はしびれを切らし、遂に思っていた事を口にした。その口調には少しとげがあった。
「……」
彼は急に立ち止ると、こっちを向いて学ランの内側の胸ポケットから一枚の写真を取り出して渡してきた。少し恥ずかしそうな顔をしている。
「彼女か?この子は」
写真には彼とその横に女の子が寄り添って立っていた。女の子は黒髪のショートヘアで、綺麗な色白の肌が特徴的だった。小さな瞳に鼻筋の通った容姿で何処か優しそうな雰囲気があった。彼はで黙って頷くと、そして私が写真を返すと彼はおもむろに口を開いた。
「彼女って言うか、元カノなんだよ。中学の時の」
写真を胸ポケットにしまいながら話しを続けた。
「凄い好きだったんだよ、何て言うかスゲー良い奴でさ。俺もその時はまだそんなに荒れてなくて、学校にも普通に行ってたんだよ」
確かにこの時の彼は眉毛も剃っていないし、表情も今よりは落ちついているようにも見える。何より制服のボタンがまだ全部付いていた。
「それで彼女と別れて不良の道へと突き進んでいったわけか」
「そんなところだ。元から俺がつるんでた連中には不良が多かったんだけどな、でも俺自身はそうでも
なかったんだよ」
よく見ると彼の目にはうっすらと涙が浮かびあがっていた。意外と感情的なタイプなようだ。
「それで。いつ別れたんだ?」
「いや、正確にはきっぱりと別れたわけじゃないんだよ。高校が別々になったんだ。一緒の高校受けたんだが案の定、俺のほうは落ちてな。で、それから俺の不良人生がスタートとたってわけだ」
高校に入っても始めのほうは度々会っていたらしい。ただそのうち荒れて行く自分が恥ずかしくなって、段々と疎遠になっていったらしい。今ではもうお互い何の連絡も取り合っていないらしい。
「つまり写真を撮って裏に彼女への想いでも綴って、家まで持っていこうってわけか」
「そんなところだ」
最後の日になると大胆な事をしようと思うやつが多いのか。まあ、やけになって店に押し入って盗みを繰り返したり、川に向かって物を投げ捨てたりするよりはずっと良い事だ。
「それで、彼女には会うつもりなのか?それとも写真を渡すだけか?」
彼は少し戸惑っていた。本当は会いたいのだろうが、会っても大丈夫だろうかという気持ちが強いようだ。
「会うのは恥ずかしいか?気まずいか?」
「まあ、そんなところだ」
気持ちはよく分かる。こんないかにも「不良」になってしまった自分を昔の彼女に見せたくない気持ちは。それに彼女には彼女の人生がある。彼と別れてから別の人と付き合っていて、今頃は最後の日を一緒に迎えようとしているかもしれない。
「ちょっといいか、少年」
少し、いやだいぶ大人ぶってみた。
「君は今から残り短い人生で、三通りの道を選べる。一つ目は、僕に写真を撮ってもらいそれを彼女の
家のポストにそっと届ける。もしかしたら彼女がそれに気付いて今の君の気持ちを理解してくれるだろう。もしかしたら……」
それが彼の望んでいる最高の結果だろう。
「彼女も君と会いたがっていて、君の家に駆け込んできてくれるかもしれない。……でも普通に考えて
そうなる可能性は限りなく低いだろう。そもそも彼女が君の入れた写真に気付かなかったら、それでまでだ」
「二つ目は何なんだ?」
「二つ目は、彼女の事を忘れて最後の一日を過ごすことだ。たった一日だ。今の不良仲間と何か面白い事でもすればいい」
それはない、という顔だ。まあそうしたいならあの街中で騒いでいる連中と一緒になっているだろう。
「三つ目は、今から君は彼女の家を訪れる。そして彼女を目の前にして君の想いを伝えるんだ。もしかしたら彼女は今の君を見て、大きく失望するかもしれない。あるいは別の新しい彼氏といて気まずい空気になるかもしれない」
おそらくその可能性のほうが高そうだ。いや、そうならなかったら驚きだ。ベタなテレビドラマじゃないのだから。
「好きなのを選べばいい。どうせ一日限りなんだから、どれかを選んで後悔したり苦い思いをしたりしても直ぐにそれは終わってくれるんだから」
彼は何も言わずその場に立ちつくしていた。どれにするかを考えているのだろうか。
「いや……違うな。本当はもう決まってるんだろ?」
少しすると彼は頷いた。
「ああ、会いに行くことにするよ。実はあんたに街中で声をかける前からそうしようかと思ってたんだ。でも何か踏ん切りつかなくてさ。悪いな、時間だけ無駄にとらせて」
やはりそうだったか。恐らく彼は誰かに後押しして欲しかったのだろう。計画的にそれをやったのではない、ただ心の何処かでそう思っていたのだろう。
「いや、構わないよ。誰でもそういう時はあるからね、一歩踏み込む時のアクセルを踏んで欲しい時がね」
「そんなところだな。じゃあ行ってくるわ、ほんとにありがとな」
彼は私に手を振りながらその場から走り去って行った。顔はずいぶんと晴れやかなものになっていた。
「『アレヤ・ヤクタ・エスト』賽は投げられた。頑張ってこいよ」
気がつけば私も彼に手を振っていた。
それにしてもカエサル・シーザーか。久々にこの言葉が出てきたものだ。
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