07.買い物デート、午前
幸希は僕を可哀想だと思っている節があるようだ。つまり、幸希は勇馬と付き合っていて幸せだけど、僕には相手がいないから幸せじゃなくて不憫だと考えているっぽい。たしかに恋愛ができる状況っていうのは幸福かもしれないが、僕は幸希と勇馬を見ているだけで充分なのだ。可哀想だなんて気を遣ってもらいたくないし、幸希のそんな思いは幸希自身の幸福の妨げになるだろう。僕は幸希の邪魔にはなりたくない。それを幸希に伝えるべきなのだ、僕は。
しかし、そんな話題にはならないまま、そういう機会が訪れないまま、幸希は僕にさりげないちょっかいをかけたりイタズラをしたりして日々を過ごしていく。僕は勇馬に悟られないかだけが不安で、もう勘弁してくださいという感じだった。
五月の終わり頃、幸希から買い物に誘われる。よくよく確認すると勇馬不在での二人きりでの買い物だった。丁重にお断りしたんだけど、「勇馬に見せるための夏用の服選びだから、勇馬には秘密でいっしょに吟味して」と言われたら、まああんまり強くは拒めず、けっきょく僕は地下鉄に乗って鷹座まで行ってしまうのだった。地下鉄乗り場で待ち合わせなかったのは、さすがに芳日町内だと勇馬に出くわす危険性があるからなのかもしれない。僕と幸希は鷹座駅の外で待ち合わせし、そのまま隣のファッションビル『VVVIROW』に入る。
僕は根本的にダサいし暗い人種なので、ファッションビルなんて建物には近寄ったことすらなかった。僕には必要のないビルなのだ。しかし今日、とうとう付き添いで中へ突入してしまう。
もっとギラギラして不穏な空気が漂っているのかと警戒していたが、入ってみると普通だった。ショッピングモールと大差なかった。ただ、あらゆるショップがファッションに関連しており、僕には無縁の空間。
「久々に来たな」と幸希がつぶやく。
「来たことあるんだ……?」僕は気持ち、幸希の背後に隠れるようなポジショニングだ。
「受験前までは来てたよ。さすがに受験勉強中は来なかったけど」
「ふうん」中学生だったのに、ませてるなあ。
でも、しかし、通い慣れていただけあってなのかはわからないけれど、幸希の格好はこの空間にいてもなんら不自然じゃないオシャレなものだった。正直よくわからないんだけど、なんか、大袈裟すぎない細かなレースの入ったブラウスに、ゆったりとした羽織りものを重ねていて、それを同じくゆとりのあるズボンと合わせていて、たぶん様になっている。お泊まり会のときは雑な服装しかしていないが、今日は気合いが入っていた。僕はダサい上着にダサいズボンを穿いていて、この空間に押し潰されて消えてしまいそうだ。
肩にかけているバッグも幸希はオシャレだ。「じゃあ行こっか」
「う、うん」
幸希が手を繋ごうとしてくるんじゃないかと身構えたが、そうはせず、僕より先んじて歩き出す。まあ、芳日高校のクラスメイトや昔の知り合いがいないとも限らないし……というか鷹座駅周辺はもっとも賑わうエリアなので、おそらく誰かしらとはすれ違うはずなのだ。要注意。
「豊が好きな服選んで。私それ買うから」
「え、勇馬が好きそうな服でしょ?」
「あんたが好きな服でいいんじゃない? どうせあんたも勇馬も、おんなじような好みでしょ。幼馴染みなんだし」
「そうかなあ……。そんなことある?」
僕と勇馬ってだいぶ違うと思うんだけど。でも、だったら勇馬がどんな服装を好むのかと問われても、僕には見当もつかない。僕は誰とだってファッションの話なんてしたことがない。
「豊もたまには服ぐらい買ったら? それ、お母さんが買ってきてくれた服でしょ?」
その通りすぎて僕は恥ずかしくなってしまう。顔が熱い。「ぼ、僕のことは気にしなくていいから。今日は幸希の服を買いに来たんでしょ?」
幸希は僕を眺めて笑い「時間はたくさんあるから」と言う。「私がお返しに豊の服を選んであげるよ」
「いや、いいよ。お金ないし」
「買ってあげよっか?」
「い、いいよ。そんなの悪いから」
「私が選んだ服着てれば、モテるよ?」
「モテなくていいし。それに幸希が買ってくれた一着だけを着続けるわけにもいかないから」
「あはは。それもそれで、だよね」幸希は笑ってから「モテたくないの?」と訊いてくる。
「そもそも女子苦手だし」
「オシャレしたらモテるだろうになあ、豊。もったいない」
「僕はこのままで構わないよ。僕に女子は必要ないし、女子にも僕は不必要」
「私は? 私も一応女子だけど?」
「幸希は友達」
「あっそう」
『友達』は軽かったかなと思いなおし、「大切な人だよ」と訂正する。
「どれくらい大切?」
「どれくらいって言われてもなあ……」
「私と勇馬、どっちが大切?」
「えぇ……」それは僕が勇馬にした質問と似ているが……たしかに答えづらいな。僕はなんて質問を勇馬にしてしまったんだろうと今さら悔やむ。「幸希と勇馬は大切さのベクトルが違うから……」などと勇馬の台詞をなぞって返そうと試みるが、いや、勇馬の場合、僕と幸希はそれぞれ友達と恋人だから間違いなくベクトルは別なんだけど、僕にとっては幸希も勇馬も友達の枠で……。
口ごもっていると、「私と勇馬でどう違うの?」とやはりツッコまれる。
同じだ。同じか? 厳密には違うような気もするけれど、何が違うのかと言われても言葉にできない。わからない。余計なことを口走ってしまったもんだ。「……幸希は女の子で、勇馬は男の子だから」
当たり前のことしか言えず、さらなる厳しい追及を覚悟していたんだが、幸希はどうでもよくなったのか、それとも何か気に入る点でもあったのか、「そっか」と話を切り上げる。「私のことも『女の子』だとは思ってるんだね」
「そりゃそうでしょ」
「ん。行こう」
そこからは延々と服屋を連れ回される。幸希は僕の選んだ服を買うと言っていたのに、僕の話なんて一切聞かず、自分の好みの服を、店と店と店を何往復もして比較を繰り返しながら厳選する。僕は「その店、五分前にも行ったよ?」「その服は候補から外すってさっき言ってたじゃん……」「そこのお店は値段が高いからスルーだって最初に言ってなかったっけ!?」などと何度も言わされる。服屋を前にした幸希は奔放すぎて、いや、やっぱり『女の子』だよね、と僕はより強く思わされる。だけど、幸希はずっと楽しそうで、僕はそれが嬉しく、その気持ちのおかげでなんとかショップ巡りにも耐えることができそうだった。幸希はお泊まり会とかよりも、こうして買い物をしている方が性に合うのかもしれない。お泊まり会のときはムッツリしている瞬間が多かったから、僕はなんとなくホッとする。……ん? でも最初のお泊まり会のときはそんなでもなかったから……まあ気分とかもいろいろあるのかもしれない。そこら辺も『女の子』っぽいかなと思う。
「迷う」幸希はまだ迷っている。
「そこまでの僅差ならもうどれも同じだよ」と僕は早く休憩したくて言う。
「あんたは早く帰りたいだけでしょ」とすぐに心を読まれる。
「帰りたいわけじゃないけど……他のことしたい」
「他のことって何?」
「うーん……」服以外の店を見て回る……のは歩き疲れている以上もう無理だし嫌だ。でもそうなると、こんなファッションビルや鷹座駅でできることなんてほとんどないな。「……昼ごはん食べたい」
「まだ十時半だよ」
「まだ十時半なの!?」
もう五年くらいこの建物に幽閉されている気がしていた。まだ幸希と合流してからあんまり時間が経っていない。え。僕、耐えられるかな?
「あと三十分待って? そしたら食べ物屋さん見に行こうよ」
「三十分って何年だっけ?」
「三十分は1800秒だよ」
「はあ……」
「疲れた?」
「ううん、平気……」
「我慢しなくていいから。そしたら息抜きに、豊のオススメしてくれてた服を試着してあげる」
「僕のオススメの服、すぐに候補から除外されたよね……」
「豊の推してくる服って、なんかオタク臭いんだもん」
「えっ」
「いや、オタクはいいんだけどさ、私には似合わないかなと思って」
「そうかなあ」
ともかく件のショップへ行き、幸希は僕の推し服と共に試着室へ入り、着替えて出てくる。黒いレースのワンピースで、スカートの裾の部分が可愛らしく装飾されており、いい。よくない? 僕は好きなんだけど。
「どうかな」
訊かれるや否や「可愛いじゃない」と僕は前のめりに答える。「黒、似合うし。それに幸希は脚も細くて綺麗だから、少し見えてると魅力が増すと思うんだ。だぼだぼズボンなんて穿いてたらそれこそもったいないんじゃない?」
「へえ!?」幸希は真っ赤になり、試着室に舞い戻ってしまう。
「あ、あれ……?」
別に辱しめるようなことは言っていないはずなのに。幸希が恥じらうもんだから、僕もつられてなんか恥ずかしい。店の中で再び一人ぼっちにされて、その点でも居たたまれない。
試着室の中から、ぎこちない「ありがとう」が聞こえる。「この服、買おうかな……」
「え、いや、どうしたの?急に。その服、すぐに落選したじゃん」
幸希の候補の中から瞬く間に消去されていた。しかも夏用の服っていう縛りだと、黒い色はなんだか暑そうで、今更ながらに僕はやっぱりセンスがないんだなと思い知る。
「買う」と言いながら幸希がまた試着室から出てきて、商品を身につけたままレジへ向かう。
「ちょ、ちょっと、冷静になってよ」
僕は引き止めるが、幸希は「冷静だから」と返してくる。
顔赤いよ。全然冷静そうじゃない。可愛らしい服装に包まれてしおらしくしている幸希に、僕は妙な気分にさせられる。またつられて赤面してしまう。「……む、無駄遣いしない方がいいよ」
「豊が選んでくれた服だし」
「いや、予選敗退してたでしょ?さっき」
「敗者復活戦でまた勝ち上がってきた……」
「ふふ」と僕は思わず笑う。「予選敗退なのに優勝? なに?それ」
「あはは。場合によってはあるんじゃない?そういうことも」
「…………」
僕は……僕は、なんだろう、服装が自分好みすぎてそこばかり見てしまい口の方が動いてくれない。
「買ってくるね」と幸希。
「ぼ、僕が買うよ」と僕は言っている。ホントに? でもなんだか申し訳ない。その服は幸希の嗜好から外れているし、本来なら購入されるはずではなかったのだ。「幸希、六月が誕生日じゃない? 誕生日プレゼントとして、僕が買うよ、それ」
「豊……」
「誕生日プレゼントだから。僕がお金を払ってもいいでしょ?」
「……そんなことしてくれなくてもいいんだけど」幸希はちょっと口元を押さえて、わからないけどたぶん、戸惑っている。「私が買いたくて買うだけだし」
「でも一度は候補から外れた服だし、僕のせいで敗者復活してきたんだから、僕がプレゼントとして買うよ」
「いや、でも……」
「いいからいいから」僕は幸希を追い越してレジへ行く。「幸希、早く来て」
「うん……」
幸希はまだ恥ずかしそうな、でも服を買ってもらえるから嬉しそうな、微妙な表情を浮かべている。
僕がレジのお姉さんに「これください」と幸希を指差したら笑われてしまう。
浮かない顔をしていた幸希も爆笑してくれる。
「私ごと買うと高いと思うよ!」
ワンピースだけでも充分に高かった……。べらぼうに高いじゃないか。だから幸希は遠慮してくれていたのか。僕のお小遣いは消滅した。だけどこれで幸希の誕生日プレゼントのミッションも達成でき、僕は一息つける。毎年、幸希の誕生日はプレゼントに迷うのだ。幸希を喜ばせたいけれど、僕程度では幸希が何に喜ぶのかが全然わからなくて、けっきょくすごくくだらないものをいつもプレゼントしている気がする。だけど今年は、そこそこ意味のあるものをプレゼントできたんじゃないだろうか。
店から出ると、黒いワンピースの幸希が改めて「ありがとう」と恭しく頭を下げる。「せっかくだからこのまま着てるね」
「うん……」目のやり場に困る……という表現が適切でないなら、可愛らしすぎて直視できないと言うべきか。「た、誕生日おめでとう」
「まだ早いから」と笑われる。「誕生日当日にもちゃんと言ってね?」
「それはもちろん言うよ」
「ん。じゃあごはん食べる?」
幸希は僕に背を向けると、食べ物屋のフロアへ移動するべくエスカレーターの方へと歩き出す。
「うん」と僕もついていく。
それにしても、違和感だ。最近の幸希だったら、ことあるごとに僕に触れてきて、今日だって触れるようなタイミングが何度となくあったんだけど、まだ一度たりとも触れてこない。いや、恋人じゃない男子にはボディタッチなんてしないのが普通なんだけど、幸希の場合は全然そうじゃないから今日は違和感だらけなのだ。行き交う他人の目を気にしている……なら学校でも控えるようにしてもらいたいし。ちょっかいをかけるのにももう飽きたんだろうか? それならそれで望むところなのだが、最近の僕は幸希に触られすぎていて、触られないことで逆にある種の不安感を覚えるほどだ。体調が悪いとかでなければいいんだけど、とまで考えてしまう。