06.お泊まり会、朝
小さい子供の夢を見た。それは都市伝説の『小さいおじさん』のような極端な小ささではないが、それでも小さいなと僕が感じるくらいには小さかった。
目を覚ますと、見慣れない景色に僕は少し慌てる。普段ベッドで寝ているから、敷き布団からの視界は室内をいやに巨大に錯覚させる。
ガバッと体を起こすと、隣に幸希がいて、その向こうに勇馬がいる。そうだった。昨晩は三人揃った完全版のお泊まり会を実行したんだった。僕は寝ぼけている。
勇馬も上半身を起こしていて、まだ眠っている幸希を見下ろしていたみたいだったが、僕の急な覚醒に驚き体を後退させる。「うおお……びっくりした」
「あ、びっくりした? ごめん」僕は目を擦りつつ謝る。「おはよう、勇馬」
「おはよ。幸希よりお前の方が先に目覚めるとはな」
「そうだね。僕が一番寝過ごしそうなもんだけど」朝は苦手だし。
「ま、二度寝したっていいぜ? うちの親はまだ帰ってこないし、ゆっくりできるぞ」
「うん。のんびりさせてもらうよ」
「おう……」
「…………」
「…………」勇馬は頭を掻き、「見たか?」と僕に訊いてくる。
当然「なにを?」と僕は訊き返す。
「いや、その……俺が幸希に今しようとしてたこと」
「え? ううん。見てない。何かしようとしてたの?」
「や、別に……見てねえんだったらいいんだけど」
「ふうん……」
「…………」
「…………」
なんだろう?この間……とぎこちなく思っていると、勇馬が「寝てる幸希にキスしたかったんだ」と告げてくる。
「あ、邪魔しちゃった?」僕は申し訳なくなる。「ごめん。僕は二度寝するから、すればいいよ」
「はは」と笑われる。「そんなふうに言われちゃあ、もうできねえよ」
「はは。え? そう? 別にすればいいんじゃないの?」
「俺にもプライドってもんがあるんだよ。そもそも、寝てる彼女にしかキスできないってどうなんだよって感じだけどな」
「…………」『寝てる彼女にしか』ってどういう意味だろう? 起きている幸希にはキスできないってこと? そういえば幸希は僕に抱きついてきたとき『勇馬とはこういうことはしていない』と言ったけれど、あれってキスも含めての話だったっけ? 「……ねえ、勇馬って幸希とキスしたことある?」
唐突にも不躾な質問をしてしまったが、勇馬は苦笑しながらも「あるよ」と答えてくれる。「そりゃ、あるだろ。恋人同士なんだし」
「だ、だよね……」
だとしたら幸希はやっぱり勇馬とそういうことをきちんとやっていて、あのときはなんとなく嘘をついたんだろう。嘘? 嘘なんてつくかな? つく必要性がない気もするが……。しかし、何はともあれ、勇馬と幸希がちゃんと仲良しであるなら僕はそれでいいのだ。勇馬も幸希もきっと照れ臭いんだろう。
勇馬がおもむろに言う。「俺が幸希とキスしたことがないかもしれない……っていう前提での質問みたいだったな」
「い、いや……」僕はメッチャ焦る。さすが、鋭い。でも変に焦っても怪しまれるだけだ。「……そんな前提、ありえないでしょ。そんなつもりで質問したんじゃないよ。だって、勇馬と幸希は付き合ってもう一年半は経つでしょ?」
「次の夏で二年だな」
「キスぐらいしてるんじゃない?」
「簡単に言ってくれるが……そうだよ。してるよ」
「うん」
しているなら、そんなに怪しまなくたっていいじゃない。僕は心臓をヒヤヒヤさせながら思う。
今度は勇馬が唐突な質問をしてくる。「豊は、幸希のこと、好きじゃねえの?」
「うん? 好きだよ?」
僕がそう言うと、勇馬の表情が険しくなる。「そうかよ」
「あ、でも勘違いしないでよ? 恋人にしたいとかじゃないから。僕は勇馬が好きだし、幸希が好き。そのレベルの『好き』だと思って?」
「ああ……おう」勇馬が肩をすくめ、頷く。「わかったよ。……いや、わかってるよ」
「幸希は僕にとって、お姉ちゃんみたいな、妹みたいな存在だから」
「へえ……」と呆けてから「妹?」と勇馬は笑う。「豊が幸希を妹扱いしてるとこは、あんまり見たことねえけどな。どっちかっつーと、豊が弟扱いじゃねえ?」
「そうだね」僕も笑う。「なんで妹って言ったんだろ。たしかに妹感はないよね、幸希には」
「ま、要約すると家族みたいな感じってことだな」
「そうなるね」僕はまだ眠っている幸希を眺める。可愛らしい寝顔。寝てさえいれば可愛いのに……なんて僕は思わないし、起きているときも幸希は可愛らしいけれど、こうして安眠している姿は、眺めていてもなんだか落ち着く。「……勇馬は、幸希のこと好き?」
僕の質問返しに、勇馬も「好きだよ」と応じる。「姉だとも妹だとも思ってねえ。女として好きだよ」
「えへへ。僕まで照れちゃう」
「なんでだよ……気持ち悪ぃなあ」
「そんなこと言わないでよ」
羨ましいなあ……とまた思う。誰かを愛することができるっていうのは、愛する誰かが存在するっていうのは、この上なく幸福なことなんだろうなと思う。勇馬と幸希はきっと今、この上なく幸福なんだろう。僕の好きな人が二人揃って幸福。だからこそ、僕も幸福だ。
ふと気付く。布団の下、僕の手は今もまだ幸希に握られていて、僕も無意識的にずっと握り返していた。僕は幸希の温もりと感触に、言い知れぬ胸の痛みを覚える。そうだ。勇馬と幸希、それから僕の幸福……完璧であるはずの世界に対して、今現在、不明瞭な脅威がちらついているのだ。幸希の僕へのちょっかい。僕はこれを解決しなければならない。解決って、どうすればいいのかわからないけれど、とにかくなんとかするしかない。なんとか。