20.リラックス
お昼を外で済ませた僕と幸希はそそくさといったふうに堺井家へ戻り、僕の部屋へ行くとどちらからともなくベッドに乗り、久しぶりの口付けを交わす。僕は幸希を抱きしめながら唇を吸う。幸希は僕のキスを受けながら、ときどき舌を伸ばして僕の顔を、まぶたを、鼻先を、ペロペロ舐める。
舐め合いっこ……と僕はふと思う。幸希は保育園の頃に僕とそれをしたと言っていたが、僕にもなんとなくその記憶が漠然と甦ってくる。キスだとかそういう認識ではなく、遊びの一環として、僕と幸希はお互いの体を舐め合っていたような気がする。
高校生になった僕は園児の頃と同じく幸希を舐めるけれど、この行為の意味は昔と今とでは行って帰ってくるほど違う。それから幸希の反応も。柔らかく瞳を閉じた幸希は、ともすると心配になってしまうほど呼吸を忙しなくさせている。
部屋の外……廊下を誰かがパタ、パタ、と歩いていく。家族の誰かだ。僕は「親が入ってきたらごめんね」と先に謝っておく。「ウチの親、そういうところ無頓着で……」
幸希は黙って首を振る。「見られたってもう私は構わないよ」
「見られたら嫌だな」と僕は笑う。
「なんだっていい」と幸希も笑う。吐息が熱っぽい。「豊が欲しい……」
「僕は……」
でも僕は自信がないし、彼氏でもない。幸希に笑われないようにこっそり予習したりもしているが、そもそもで恥ずかしい。もっと根本的なところで、繰り返しになるけれど、僕と幸希は付き合ってもいない。
「豊じゃないと嫌」と言われる。「初めては、豊がいい……」
「僕も……幸希以外ありえないけど」
「迷ってる?」と訊かれる。
「…………」
「黒江ちゃん?」
「ううん」
黒江さんは僕を愛していない。たぶん、僕と幸希のことを応援してくれている。黒江さんのことは気にしていない。
幸希が僕に軽く口付けし、「せめて初めてくらい、豊としたい」と苦笑を浮かべる。
わかっているクセに、僕は「それはどういう意味……?」などと口ずさんでしまう。
わかっているし聞きたくもないのに、「私の体は勇馬にあげなくちゃいけないから」と幸希に言わせてしまう。「約束してるから」
「約束……」約束とは、その話のことだったのか。
「だからその前に、私は豊と全部したい」
「…………」
「いろんなこと、豊としちゃいたい」
「…………」
「今までごめんね?」と謝られる。「豊をその気にさせたくて、強引なこともしちゃったよね」
「ううん……」
「して!って、はっきり口で言えばよかったかな」
「いや……」それだけ言われても、僕は何もできなかったと思う。しなかったと思う。幸希のちょっかいだとかイタズラだとか、ああいうのが僕の気持ちを少しずつ引き戻したんだと思う。僕の、幸希を愛する気持ちを。「でも、どうして……」
幸希がもう一度キスしてくる。「豊。して」
僕は情けない。「緊張してる」
幸希が笑って、僕を撫でてくる。またキスをする。「昔から、ホントに可愛いんだから」
「可愛いわけじゃないよ……」
「可愛いよ」幸希は愛しげに目を細める。「ずっとそのままでいてね」
「そんなんでいいのかなあ」などと僕は肩をすくめるしかない。こんな情けないままで?
「リラックスさせてあげる」
「リラックス……?」
「うん。いったん気持ちを楽にしてね」幸希が僕の着ているシャツに手をかけてくる。「服、脱いで。上手にできるかわかんないけど……」
僕が日頃、悶々としてしまったときなどに、自分の頭の中の世界で幸希にさせていたことを、現実の、目の前の幸希がしてくれる。僕は本当に恥ずかしくて自然発火しそうだったが、幸希は優しくて、僕の空想上の幸希よりも遥かに優しくて、しかも遥かに気持ちよくて、僕はリラックスというよりも魂を抜かれてしまう。
「…………」
僕は下着姿でベッドにうつ伏せに沈んでしまう。
「可愛かった」とまた言われてしまう。幸希は僕の背中を上から下へ、なぞるように撫でる。「疲れちゃった?」
「疲れ……てはないけど、眠たくなってきちゃったかも。ごめん」
「お昼寝休憩する? 保育園みたいに」
僕はベッドに顔を埋めたまま少し笑う。「うん」
「私も服脱いでいい?」
「え! なんで?」
「なんでって……隣でいっしょに寝たいし、でも着たまま寝たらせっかくのワンピ、くしゃくしゃになっちゃうじゃん」
「……恥ずかしい」
笑われる。「恥ずかしいのは私なんだけど。でも、豊がそうやって恥ずかしがってくれるおかげで、私はあんまり恥ずかしい気持ちにならずに済むから、助かる」
「…………」
衣擦れの音が聞こえてきて、幸希も下着姿になっているんだ……と思うと僕はもう顔を上げられない。こんなことではいけないんだけど、それでもそう思う。ほどなくして、幸希が僕の隣に寝転んで並ぶ。僕の肩に触れている幸希の肩も地肌で、脱いでるんだ……とまた思う。
「豊、おやすみ」
「幸希、ごめんね」
「なにが?」
「いや、こんな途中で眠たくなっちゃって……」
「リラックスさせすぎちゃったね」と幸希は笑う。「でもそれはそれで嬉しい」
「恥ずかしい……」
「私も恥ずかしいよ?」
「全然そんなふうに見えない……」
「ふふ。必死だからってのもあるかも」
「…………」
「おやすみ。起きたら続き、しようね」
「うん……」
「今度は私をリラックスさせてね」
僕は「ひゅっ」と息を呑まされてしまう。
「あはは。無理だったら大丈夫だから。私に任せといて」
「いや」本当にそんなんじゃダメだ。「僕も幸希に触りたい」
「ううう~……」と珍しく幸希が悶える。「……うん。触って。豊にはこんなこと言う必要ないと思うけど、優しくしてね?」
「は、はい……」
「ふふ。おやすみ」
興奮しすぎて眠れるはずない……と頭では思うのに、やっぱり眠くて僕はうつらうつら……すぐに意識を手放してしまう。幸希の肌に包まれる。幸希の肌は驚くほどきめ細やかで、赤ちゃんみたいで、園児みたいで、僕は心地よさの中で眠る。
夢を見る。小さい子供の夢をまた見る。そこは通い慣れた懐かしい保育園で、僕自身もまた幼い姿になっている。思い返すことさえ困難な、遠い遠い、あの頃の僕がそこにいた。