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14.家デート

 休日の朝、自室にいると幸希から電話がかかってくる。出ると、「おはよ」と幸希の声が聞こえてくる。まだ少し眠たそうな、浮遊感のある声だ。寝起きかな?


「おはよ」と僕も返す。「いま起きたの?」


「えー? なんで?」


「眠そうっていうか、ぽーっとしてる声だから」


「ぽーっとしてる」と返ってくる。「豊に会いたいなーって」


「…………」


「また買い物行きたい。行かない?」


 行きたい。行きたい行きたい行きたい。すぐに用意して鷹座駅へ向かいたい。でも「行けないよ」と返事する義務が僕にはある。「ほ、ほら、僕には黒江さんもいるし、幸希と二人きりってのはまずいかも」


 だいぶ間が空いてから「私達は友達でしょ?」と言われる。「友達と買い物に行ったらまずいの?」


「や……」

 あー……不機嫌になっちゃったと思うが、幸希にも慣れていってもらわなくちゃならない。買い物ぐらい構わないんだけど、幸希と二人きりだと何が起こるかわからないから恐いのだ。たぶん何か起きるし、本当にどうしようもないんだけれど、僕もまだそれを期待してしまっている。僕と幸希は将来的に、この空気感から脱しなければならない。この、二人でいると何かしてしまいそうな空気感から。


「わかった。いいよ」と幸希が平坦なトーンで言う。


 通話を切られそうだったので「ごめん。もともと用事があったんだ」とだけ伝える。嘘じゃない。今日は黒江さんが家に来ることになっている。幸希には詳細まで話せない……話したくないが。


「わかったよ」


 通話が終了し、部屋が再び静まり返る。買い物、メチャクチャ行きたかった。また幸希が楽しそうにしている姿を見られただろうに……そう思うと惜しくて惜しくてたまらない。前回のファッションビルでの買い物を思い出し、僕は居ても立ってもいられず、そわそわしてしまう。なんか、早くも一日を無駄にした気になってしまう。まだ一日は始まったばかりだし、今日は黒江さんと遊ぶというのに。


 時刻を確認し、絲草駅まで黒江さんを迎えに行く。黒江さんはティーシャツにジーンズとシンプルな格好だったが、綺麗で長身だとなんでも似合って見える。改めて眺めると、異様なくらい美人だ。僕はまた緊張してくる。


 改札を抜けて、「おはよう」と黒江さんが言う。


「お、おはよ」と僕もかろうじて挨拶を返す。「あの、き、綺麗だね」


「え?」こんな服装なのに?とでも言いたげに自身を見下ろしてから、でも「ありがとう」と黒江さんは簡素にお礼を口ずさむ。


「えっと、わざわざごめんね。僕が黒江さんの家に行ってもよかったんだけど」


「いいわ。自宅だと逆に居心地が悪いから」


「そう?」


「うん。行きましょ。豊くんの家は、ここからけっこう歩くのかしら?」


「いや、そんなには」僕は移動を開始する。「行こっか」


 黒江さんもついて来る。黒江さんは本当に身長が高くて、並ばれると少しだけ負けているように見えてしまい、正確なサイズを確認し合うのが躊躇われる。勇馬と並ぶとちょうどバランスが取れて、見映えもよさそうなのに。


「休日はお友達と遊ばないの?」と訊かれる。


「遊ぶときもあるよ」

 今日も電話がかかってきたし、黒江さんとの約束がなかったら危なかったかもしれない。


「ちなみに、あたしが幸希ちゃんや勇馬くんと遊ぶのはアリ? ナシかしら?」


「ん? 別に構わないんじゃない?」と僕。「遊びたかったら、二人に連絡してみたらいいよ。連絡しづらいなら僕から話してあげる」


「そ」と黒江さん。「あたしが勇馬くんと二人で遊びに行ったとしても、豊くんは構わないのかしら」


「んー……勇馬がオッケーなら大丈夫なんじゃないかな」

 勇馬が行きたがるかはなんとも言えないけど、僕は特に禁止したりとかはしない。それによって完璧な世界が崩れることは……おそらくない。うん。ないだろう。


「今のは例えばの話よ?」と黒江さんはフォローを入れる。「でも、ひとつだけ確認してもいいかしら」


「うん。何かな?」


「豊くんって、あたしのこと別に好きじゃないわよね?」


「…………」なんか、急に根本的な確認をされてしまった。だけど取り繕うつもりはない。「黒江さんのこと、まだあんまり知らないから。たしかに好きとか嫌いとかはないよ」


「ふふ」と黒江さんは静かに笑う。「正直ね。いつもそんなに正直なの?」


「どうかな……」嫌味を言われている気がする……のは、黒江さんが嫌味を言っているからではなく、僕自身にいろいろと後ろめたいことがあるからだ。「黒江さんにもひとつ、確認していい?」


「いいわよ」


「うーーん……いや」思いなおして、僕は言葉を呑み込む。「やっぱりやめとく。なんでもないよ」


「なあに? 気になるわね」


「ごめん。またいつか訊くことにするよ」


「そう? でもなんとなく察しはついたかもしれないわね」黒江さんは微笑み、「んーーっ」と伸びをする。「おかげで、リラックスできたかも」


「何も訊いてないんだけど?」と僕は笑ってしまう。「何も訊いてないし、何も答えてないのにリラックスできるなんて……」


「すごい才能ね、豊くん」


「…………」

 だけど、そういう反応をするということはもう確認するまでもなく……いや、全然見当違いなことをお互いに知ったふうな顔で受け入れた気でいるだけかもしれない。


 十分……十数分ほど歩くと堺井家に到着する。僕は黒江さんを連れて自室に籠る。何をするのかと問われると予定なんてないんだけれど、今日は適当に話をしようという雑な感じで約束をしているのだった。


「黒江さんは、僕が六組に……勇馬のところへ遊びに行ったときに僕のことを知ったの?」


「違うわね。逆。三組……豊くんのクラスを通りかかったときに、勇馬くんを見かけたから覗いてみたら、あなたがいたのよ」


「ふうん」


「勇馬くんは幸希ちゃんと付き合ってるのよね? どういうきっかけで付き合い始めたの?」


「この間話してなかったっけ? 勇馬はなんて言ってた?」


「普通に告白して、普通に付き合い始めたって言ってたけど。勇馬くんの方から告白してね」


「だったらそうなんじゃない? 勇馬が口にしないことを、僕は口にできないよ」


「何か含みがあるわね」


「や、そんなことないよ」勇馬が幸希と付き合い始めたのは、僕へのいじめが終息してからだ。だから勇馬が言葉を濁したとするなら、その辺が明るみに出ないよう配慮してくれたからに違いない。「僕も二人の馴れ初めについてはあんまり詳しく知らないんだ。もともと同じ小学校だったから、親交があったんじゃないかな」


「豊くんも同じ小学校なんでしょう?」


「うん。ちなみに、僕と幸希は保育園も同じ」


「勇馬くんは別の保育園だったんだ?」


「うん。小学校で合流したんだ。でも、実を言うと僕は、中二になるまで勇馬とはそこまで親しくなかったんだよね。知り合ってからはずっと仲良しだけど」


「幸希ちゃんは?」


「幸希とは保育園から小学校、中学校とずっと友達だったよ。僕は男子だし幸希は女子だから、いつもベッタリって感じじゃなかったけど、よく話してたし、ときどき遊んでたよ」

 どちらかといえば、幸希と勇馬が付き合い始めて完璧な世界が創造されてからだ、僕が幸希とより親しくなっていったのは。いや、この言い方だと肝心な部分が隠されてしまうか。おそらく、いじめによって深く沈んだ僕の心を、幸希や勇馬は引き上げようとしてくれていたんだろう。だから幸希が僕に話しかけてくる頻度も増えたのだ。


 感謝しなくちゃいけないのだ……と僕は改めてしみじみとする。僕が今こうして知らない女の子と元気よく話せているのも、勇馬が助けてくれて、幸希が癒してくれたおかげなのだ。勇馬がいなかったら僕は文字通り殺されていたかもしれないし、幸希がいなかったら僕は今も死んだように日々を消費しているだけだったかもしれない。


 二人とも、僕にとってかけがえのない存在で、僕は二人に幸せになってもらいたいのだ。そうだ。そんな二人が恋愛をし、僕はそれを最上の出来事だと喜んだんじゃないか。僕にとって唯一無二である二人が……この表現はおかしいけれど……でも、唯一無二の二人が仲睦まじくいっしょになるのだから、こんなにすばらしいことはない。そんなふうに小躍りをして、一人でお祭り騒ぎみたいにして大喜びしたんじゃないか。それを忘れちゃいけない。何があってもそれだけは忘れちゃいけない。いけなかったのだ。


 だけど、「幸希ちゃんは」と黒江さんが言う。「豊くんのこと、好きよね?」


「…………」


「どうして?」


「どうして?って、好きかどうかはわからないよ?」

 好きだと言われたことはないし、幸希は勇馬と付き合っているわけだから、順当に勇馬のことが好きなはずだ。好きだと、実際この間そう言っていた。いや、それは当たり前だ。好きじゃないなら付き合わなくていいし、付き合っているなら、その相手のことが好きでないとおかしい。だからこそ、勇馬より僕のことが好きだなんてありえない。


「好きでしょ。あたしはまだ交流が浅いけれど、そんなの一目見たらわかるわよ。幸希ちゃん、勇馬くんといるときと、豊くんといるときで、あからさまに態度が違うもの」


「…………」


「自覚ないの?」


「それは……態度なんてその人その人で変わるもんでしょ。勇馬に対してはこういう態度で僕に対してはこういう態度だから僕の方が好かれてるなんて、そんなの断言できないよ」


「もうひとつ言ってもいい?」


「ダメ」


 ダメだと言ったのに、黒江さんは無視をして、「豊くんも幸希ちゃんのこと好きよね?」と簡単に、いとも容易い感じで言ってしまう。「あたしのことが好きかどうかはわからないんでしょうけど、幸希ちゃんのことは好きでしょう? 大好きでしょ?」


「それは……」

 言っちゃいけない言葉だったのに。絶対に、誰であろうと、口にしちゃいけない言葉だったのに。その『好き』だけは。


 友達としてじゃない。女の子として、僕は幸希が好きだ。あのとき、休日、ファッションビルで買い物をしていて、僕は元気いっぱいに笑う幸希を見て、自由に動き回る幸希を見て、やっぱり幸希のことが好きだと、そんなよからぬことを間違えて思ってしまったのだ。『やっぱり』? そうだ。僕はずっとずっと昔から幸希のことが好きで、大好きで……思い出した……でもそれはあの怒濤のいじめが開始されたときに捨て去った気持ちだったはずだ。中学校に上がったら幸希ともっといっしょにいられそうで、それに少し大人に近づいたから今までとは違う関係にもなれるかもしれないなんて夢を膨らませて、でもそんな浅はかな期待はあの瞬間に、あの思い出したくもないあいつらが僕に目をつけた瞬間に、砕け散ったのだ。跡形もなく、風化していったのだ。


 なんとか生き延びた……勇馬に生かしてもらった僕は、しかしもう幸希の隣へ戻ることができなかった。そこには勇馬がいて、幸希とは付き合っていて、好き合っていた。


 僕は健康に生きているだけでも僥倖なくらいで、それ以上を望む権利なんてなくて、そんなのおこがましくて、だったらもう二人を祝福するしかないじゃないか。僕の大切で大切でどうしようもない二人。そんな二人の幸福を妬むなんて、そんな愚かなことできるわけない。したくても、できない。してはいけない。


 だから自分自身に繰り返し繰り返し言い聞かせたのだ。小躍りして、お祭り騒ぎをして、狂ったように喜ぶことで、それが最高の状態なんだと自分に思い込ませたのだ。それ以外は悪なのだと、自分を洗脳したのだ。


「ごめん……っ」

 僕は部屋を飛び出し、頑張って走り、なんとかトイレに辿り着いて嘔吐する。吐いたのなんて小学生の頃に車で酔ったとき以来だ。苦しい。吐いたあとも胸の調子が悪くて、喉も震えるし、何かと思ったら僕は泣いてもいる。最悪だ……などと頭では冷静に嘆いたりしてみているが、心はもういっぱいいっぱいで涙を大量生産してくる。僕はずっとしゃくり上げている。苦しすぎる。心臓が止まりそうだ。心が止まりそうだ。

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