異同の深緋(いどうのこきあけ) その1
【あらすじ:心優しい牛飼いが突然、子供の指の骨を折ったというが、にわかには信じられない。他人のも自分のも痛みを感じすぎる人にとって、この世は苦難に満ちている。時平様は今日も冷静に対処する。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は極限の苦痛は死ぬよりもつらいよね!というお話(?)。
ある日、私と若殿が都の小路を歩いていると、貴族の使用人の住まいとして使われている数件が建ち並ぶ小屋の前で、私より少し幼いぐらいの子供が大声をあげて泣いていた。
私がそちらを見るとそばにいる母親が
「泣いていちゃ分からないじゃないの?何があったの?」
と聞くが、その子は真っ赤になり三倍ぐらいに腫れあがった指を見せて
「オジサンに指を掴まれてボキッてされたの~~~!」
と訴えると、若殿も興味を惹かれたらしく、いくらかの銭を母親に渡してその子に話しかけた。
「折れてるかもしれないから、薬師に見せなさい。で、指を折ったのはどんな男だった?」
その子は泣きやみ、しゃくりあげながら
「っうっうっ、近所に住んでると思うけどっ、っうっ名前は知らない。っ牛をっ、引いてるのをっ見たことがあるっ人っうっ。」
母親が思い当たったらしく
「あぁ、それなら無慈丸よ!でも変ねぇ、あの人なら大人しくて優しいことで有名なのに。本当にあの人なの?」
と我が子を疑っている。
若殿が詳しく知りたいという風に
「どういう男ですか?」
母親が困ったように
「無慈丸は憂志原という貴族の牛飼をしている男で、お屋敷の近くに住んでいます。子供のいう事ですから当てにならないですわ!だって無慈丸は今まで誰かに声を荒げたことすらないし、怒ってる姿を誰も見たこともありません。牛にも優しいし、近所に困った人がいたら自分の食べ物や持ち物を分け与えるような人です。苦しんでいる老人のために薬師をよんで治るまで介抱したこともあります。あの人が子供の指を折るなんて信じられませんわ!」
と首を横に振る。
私がその子に向かって
「何が原因で折られたんですか?たまたま無慈丸が強く指を握ったとかの事故じゃないんですか?」
その子は泣き止んで一点をジッと見つめると何も言わずに黙り込んだ。
それ以上何も話そうとしなくなったので、若殿と私は無慈丸から話を聞くために勤め先の憂志原の屋敷に向かった。
憂志原の屋敷のそばで、牛小屋に敷くための藁を運搬する男に出会った。
その男は肘から手首まで、布をぐるぐると巻き付けて、手は力が入らないのかぐったりとして動かしにくそうにしているのに、器用に牛小屋の藁を入れ替えていた。
私が若殿に
「あの藁を変えている人、手が使いにくそうですね?この牛小屋は無慈丸のものなので無慈丸について何か知ってるかも。話を聞かなくていいんですか?」
と言うと若殿が『よし!』と頷いた。
藁を取り換えおわり、汚れた藁を荷車で運ぼうしている男に若殿が
「ここは無慈丸の牛小屋ですよね?少し無慈丸について調べているんですが、話を聞かせてもらえますか?」
その男はうさん臭そうな眼付で若殿をジロジロ見つめ
「役人か?なんだ?無慈丸が何かしたのか?あいつは乱暴な奴だからな。」
とさっきの母親とは真逆の事を言った。
若殿も不思議そうに
「無慈丸は昔から暴力的な男でしたか?例えば子供の指の骨を折るような?」
その男は急に迷惑そうな顔つきになり
「いやっ!知らない!オレは何も話したくない。他を当ってくれ!」
とぶっきらぼうに答えた。
若殿が男の腕に巻いた布をみて
「その腕はどうしました?手が動かしにくそうですね?怪我でもしたんですか?」
その男は慌てて
「何でもねぇ!無慈丸とは関係ねぇ!藁を切りそろえるときに刃物でやっちまったんだ!」
・・・なぜか慌ててる様子が怪しい。
何かを隠していそう。
(その2へつづく)