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千金の下肥(せんきんのしもごえ) その4

「私が貧しい夫婦の子や、親を亡くした子たちを引き取り、立派な僧侶に教育し、安定した暮らしを与えてあげようと今まで努力していたことは周知の事実だ。

私は全ての子供たちを愛し、その思いを伝えようと愛情を注いだ結果、その行為が子供たちの心に深い傷を負わせ、暴力的な行為や反抗的な態度や手当たり次第の淫行の原因になったことについては、今まで気が付かなかった。

たとえ気が付いていても、すぐにはやめられなかった。

せめてもの(つぐな)いに、愛した子供たちにはできるだけ良い境遇を与え、理解してもらおうとした。

しかし惟時(これとき)の怪我の原因が篤丸(あつまる)であることが世間に(あらわ)になり、篤丸(あつまる)がなぜそんなことをしたのかと原因を追究され、篤丸(あつまる)が話せば、私が長年少年たちにしてきたことも暴露されるだろう。

篤丸(あつまる)は幼いころから聡明で物分かりのいい、素直で、年少の子供たちにも優しい、虫も殺せないような気弱な少年だった。

私は愛していることを伝え、行為を受け入れることによって篤丸(あつまる)にも恩恵があることを充分に話したつもりだったが、その数回の行為の後、篤丸(あつまる)は変わってしまった。

生き物を殺すことに何のためらいもない残虐な性格になり、年下の子たちを殴り合わせ、卑猥な事や盗みをさせそれを眺めて楽しむような(ゆが)んだ少年になってしまった。

私が今まで愛した少年たちの中で、最も愛した美しい純粋な少年だったのに、彼だけが最も(ひど)く残虐で(いや)しい人間になってしまった。

私にも粗野(そや)横暴(おうぼう)な口をきくようになり、拒絶するようになった。

そのことでショックを受けたあまり、他の少年たちにも話を聞いたが、篤丸(あつまる)だけが現実を受け入れられず傷ついているようだった。

惟時(これとき)則之(のりゆき)やほかの子供たちは私が提示する恩恵と引き換えに彼らの身体を私に与えることに納得し満足していた。

則之(のりゆき)は私を愛しているとさえ言った。

惟時(これとき)篤丸(あつまる)にも身体を与え、奉仕させていたことには驚いたが、子供たちは納得していたのだ。

篤丸(あつまる)だけが、()を張り、横暴(おうぼう)を押し通そうとした。

しかし、篤丸(あつまる)の悪行が世間に暴露されて、私がその責任を問われれば今までの名声が地に落ちてしまう。

この文を一番に読むであろう僧は決して篤丸(あつまる)に話をさせてはならない。

惟時(これとき)の怪我の原因を追究させてはいけない。

私だけが子供たちを傷つけたわけではないことはお前たちも承知しているだろう。

世間や女人と隔離されたこの世界では少年たちを性処理の対象にした者は私だけではない。

最後に強調したいのは、私は子供たちを傷つけるつもりは全くなかった。ただ彼らを愛しただけだ。彼らに幸せになってほしかった。それを理解してほしい。」


私は女人禁制の大規模寺院で稚児(ちご)が男色や性処理の対象としてみなされ、半ば文化とまで言われて正当化されていることは知識として知っていたが、それを甘んじて受け入れてきた少年たちが一体何人いたんだろう?と思った。

『天台宗においては「稚児灌頂(ちごかんじょう)」という儀式が行われ、これを受けた稚児(ちご)は観音菩薩と同格とされ、神聖視された』らしく、観音菩薩となら性交渉しても戒律には触れないという(ゆが)んだ理屈(りくつ)を作って稚児(ちご)と性交渉したようだが、そうまでして性欲を抑えられない僧侶に一体どんな解脱ができるというのだろうか?

則之(のりゆき)慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)から一方的に犯されたことで『自分は慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)を愛している』と認知をゆがめ、慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)の行為を正当化して受け入れることで精神の平穏を保とうとしてるかもしれない。

惟時(これとき)篤丸(あつまる)にも陰部を舐めさせることで、慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)にされていることを卑小化して何でもない事として、平凡化、日常化することで落ち着こうとしていたのかもしれない。

そんな方法を見つけられない篤丸(あつまる)だけが、自分の苦しみを破壊行動で紛らわし、無意識に誰かに気付いてもらおうと、もがいていたのかもしれない。

惟時(これとき)則之(のりゆき)には帰る場所があるが、篤丸(あつまる)はこの世界で生きるしか方法がないと思えたんだろう。

永遠に続く絶望から逃れられないなら、自分が壊れるまで世界を破壊しつくすしか方法はないのかもしれない。

世知(せち)に長けた大人から見れば、『視野が狭い』『一時(いっとき)我慢すればいい』『嫌なら逃げればいい』と思うかもしれないが、その閉鎖空間でのできごとが人生の縮図(しゅくず)だとしか想像ができない子供にとって、

「もし外の世界に出ても同じだとしたら?」

と考えてしまえば、どうすればいいのだろう?

他の子が平気で受け入れているなら自分もできるはずだと我慢して、ついには篤丸(あつまる)のように精神が破壊されてしまうだろう。

私は自分には耐えられないと吐き気がした。

 そんなことを考えていると、周囲では僧侶たちが慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)の葬儀の準備や、死後の段取りの手配など、忙しく走り回っていた。

慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)の死去の報せにより、法堂では泣き崩れる子供たちや僧侶たちがたくさんおり、慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)は皆に慕われているように見えた。

何も知らなければ私でさえ慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)は皆に慕われ、愛されていた立派な人格者なんだろうなぁと素直に思っただろう。

事実、我々の世話を焼いてくれた僧侶も泣き崩れて悲しんで

「我々はもう、あなた方の世話をすることはできません。どうぞ、お引き取りください。帰る家がある行儀見習いの子たちには、しばらく実家に帰ってもらいます。・・・うううっ」

(つぶや)いた。

若殿(わかとの)が言わなければならないと決意した表情で

慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)は子供たちを性的に虐待していたようですが、あなたたちは見逃していたのですね?惟時(これとき)の局部を噛み切ったのは篤丸(あつまる)で、篤丸(あつまる)慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)の行為によって精神を病んで今でも非行を犯し続けています。一体どうするつもりですか?」

僧侶は泣きながら怒って

「だから何だというんですか!篤丸(あつまる)惟時(これとき)なんかより慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)の方がよっぽど我々には大切だったんだ!彼のおかげで我が寺は成り立ったんだ!彼がいなければこの寺はおしまいだ!どうしてくれる!我々の生活はどうなる!」

若殿(わかとの)は何も言えず、私たちは寺を去ることにした。


 帰り道、私は若殿(わかとの)

「あの僧侶も、子供の頃に被害にあったかもしれないし、慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)も被害にあったかもしれないですよね。被害に苦しまずに人生の(かて)として昇華できる強い人はいいですが、篤丸(あつまる)のように病んでしまって一生苦しむ人にとってはやっぱり慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)は極悪人だと思います。」

若殿(わかとの)が眉根を寄せ苦しそうに

慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)も中身は汚らわしい(ケダモノ)だが、僧侶たちにとっては支え導いてくれる頼もしい指導者だった。

慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)から受ける恩恵の大きさを考えると性被害など取るに足りない問題だった。

下肥(しもごえ)も中は腐敗し汚くて臭いが、農作物には役に立つし必要だ。その発酵熱は内部では殺菌作用として重要だし表面上はちょうどいい温もりであるように、慈屋仁権大僧都(じやにごんのだいそうづ)の温もりと魅力は凍える人々を惹きつけ離さないのかもしれない。」

と言った。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

・・・別に触れなくてもいいんですけど、やっぱり気になる問題なので触れてしまいました。

時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。

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