錦秋の小倉山(きんしゅうのおぐらやま) その2
笠の縁から垂れる薄布ごしにも、若くて美しいと思われる気品があった。
若殿の顔を見ると、いつになく緊張した表情なので『アレ?』と思っているとその女性が
「わたくしは石上樫継の妹の檜女と申します。先日、ある場所であなた様をお見かけし、一目でお慕い申し上げたのです。あなたさえよければ、あなたのものになりたいと思っております。」
と控えめな佇まいからは予想できない大胆な申し出にビックリしたが、若殿は相変わらず硬い表情を浮かべている。
檜女は続けて
「実は、文を差し上げあなたをここへお呼び立てしたのもわたくしです。あなたに今日ここで逢えなければ、死ぬつもりでした。そしてもしあなたに拒まれたなら今日このまま死ぬつもりです!」
とヤバいことを言う。
私は若殿の袖を引っ張り
「あの文は大殿の暗殺予告ではなく、若殿への愛の告白の呼び出し状だったんですね。でもこの人アブナイですよね。自分の命を盾に関係を強要するなんて。」
と囁いた。
若殿は眉一つ動かさず檜女に向かって
「あいにくですが、私は都に心に決めた恋人がいるので、あなたと関係を持つつもりはありません。そういう用向きならもう失礼いたします。」
と踵を返して立ち去ろうとしたので私は急いでついていった。
小走りになりながら、ちらりと後ろを振り返ると檜女と石上樫継は微動だにせず立た済んでいた。
そういえば、と思いつき若殿に
「どうしてあんなに緊張してたんですか?愛の告白と知ってたんですか?」
若殿はまだ硬い表情で
「いや。もしかして石上樫継たちは私の命を狙っていたんじゃないかと思って。私をおびき寄せ襲うつもりじゃないかと思ったんだが。檜女が言うのが本当なら違ったようだ。」
と呟いたがまだ何か裏があるんじゃないかと疑っているようだった。
さっきの茶屋に戻ると大殿と松野の姿が消えていたので驚いた若殿は
「まさか!本当の狙いはやはり父上か!」
と慌てて、茶屋の店主に大殿の行方を聞くと店主が
「展望場所から少し降りたところに東屋があるんですが、そちらに二人で向かったようです。」
と言うので急いで我々もそこへ向かった。
「松野と一緒なら暗殺ではなく、ただの散歩なんじゃないですか?」
と私が気楽に言うと若殿がしかめ面で
「嫌な予感がする。父上はなぜ今日のこの予定の中止を頑なに嫌がったんだ?父上も誰かにここへおびき出されたんじゃないか?おびき出した犯人が父上の暗殺をもくろんでいるかもしれない。松野も犯人の仲間で協力したのかもしれない。」
「じゃあ石上樫継も大殿暗殺に絡んでるんですか?檜女の告白も?若殿を大殿から離しておいて、その隙に大殿を襲うつもりだというんですか?」
「わからない」
と若殿は考え込んだ。
細い山道を下ると、東屋の屋根が見えてきて柱の横に二人の男が向かい合って立っているのが見えた。
一人は大殿の背中で、こちらに正面を向いて立っているのが松野だった。
二人の様子を距離を取って探ろうと、下まで降りて行かず話が聞こえる範囲で若殿が立ち止まって木の蔭に身を隠したので私も真似した。
松野が
「・・・何の言い訳もございません。今日ここで決着をつけようと覚悟しています。殿には申し訳ないと思っています・・・」
大殿が
「何じゃと!できるものならやってみろ!今までの恩をあだで返すというのか!この野郎!」
と激怒していた。
(その3へつづく)