撓やかなる山吹(しなやかなるやまぶき) その2
その次の日、恭子姫の侍女のお玉が走りこんできて、
「姫様が!姫様が危険です!助けてください!こんな文が届いたのです!」
若殿に差し出された文には
『恭子姫をいよいよ俺のものにする日が来た!覚悟していろ』
とあった。
私も覗きこんで驚いて
「若殿!早く助けにいかないと姫はさらわれてしまうのでは?」
「お玉殿、恭子姫の屋敷には腕の立つ使用人がいないのですか?」
お玉は少し慌てて
「え?いいえ!いますけど、今はあいにく皆で出払っておりまして・・・。早く姫様をお助けくださいな!平次様!」
若殿は迷惑そうな顔をしたが、もしものことがあっては大変だと思いなおしたのか私を連れて恭子姫の屋敷へ向かった。
屋敷へ着くとお玉が先に立って姫に呼びかけながら姫の房へ走り、私たちはそれについていく。
姫の房では、全身黒ずくめの衣をまとい、目だけが見えるような覆面をした男が姫の腕を掴み連れ去ろうとしている。
若殿が素早く近づき、男の腹を蹴り飛ばすと男は後ろに飛び尻餅をつき、体を支えるように両手をついた。
男は手首を痛めたのか気にしながらもモタモタと立ち上がり
「まだあきらめんぞ!覚えていろ!この若造め!」
と捨て台詞を吐きながら逃げた。
私はハラハラと見ているだけだったがショックのあまり身動きできなかった。
なのに恭子姫はショックから立ち直るのが早く、私が気づいた時には若殿に抱き着いて
「平次様!怖かったわ!助けに来てくださらなければどうなっていたことか!」
若殿は恭子姫を身体から離し、
「若い女性がむやみに男に抱き着いてはいけません」
とたしなめると、恭子姫は恥ずかしそうに袖で顔を隠し、
「まぁ・・・。私としたことがはしたない真似をして、恥ずかしくて死んでしまいそうですわ。」
と顔を赤らめた。
恭子姫の房は他の独り身の姫のと比べて少し違和感を覚えたが、
それが化粧箱が二つあることのせいなのか、まったく合わない数種類の香が混ざっているのを嗅いだせいかは分からなかった。
恭子姫の文机には難しそうな漢文の本『文華秀麗集』がのっていたせいかもしれない。
装飾が地味なほうの化粧箱のそばには蔓壺(サネカズラを浸けておく入れ物)があったり、椿油の匂いがした。
「二人ともお座りになって!お酒と膳を運ばせますわ」
と姫が嬉しそうにいい、私たちに軽い食事と酒を用意する。
若殿は
「われわれは長居するつもりはありません。どうぞお気遣いなく。」
といったが、私は目の前に並んだ焼いたアユやサトイモの煮たのをどうしても食べたくなったので
「平次さん!ここはごちそうになりましょうよ!せっかく来たんですから」
と言って若殿の袖を引っ張り座らせた。
若殿はしぶしぶ座について酒を飲もうと口に盃を近づけたが匂いを嗅ぐと、姫が近くにいないことを確認して私に
「何も飲み込むな。口に入れてもいいが、袖に吐き出すように」
と耳打ちした。
若殿には頷いたが、私に『口に入れたものを出せ』などと無理な注文で、吐き出そうと袖を口元に持ってきたときにはすでにサトイモはのどを通過していた。
「無理でした!」
と若殿にコソッとささやくと、若殿は呆れた顔をしたがそれ以上何も言わなかった。
最後の一個のサトイモを片付けようと口に運んだとたん、目の前が真っ暗になり意識を失ってしまった。
なので、ここからは若殿から後で聞いた話である。
私が気を失って倒れこんだ直後、若殿も倒れこんだ。
御簾を隔てた奥から弱々しいしゃがれた声で
「恭子よ・・・もうこんなことはやめよう・・・。なっ?こんな怖ろしいことは・・・」
「父宮、何をおっしゃるのです!伸るか反るかの最後の大勝負ですよ!」
という声がすると、恭子姫が若殿のそばにきて
「お玉、太郎君の衣を脱がせ単衣にして私の寝床に運びなさい。朝になれば万事完了よ。」
若殿は急にあくびをしながら起き上がって
「あ~~!これは失礼しました!少し眠気があったので寝てしまいました!」
恭子姫は驚いたが、とろけそうな妖艶な笑みを浮かべて
「まぁ!お疲れなのでしょう?奥で少しお休みになりますか?」
「いいえ、そんなわけにはいきません・・・が、竹丸の目が覚めるまでの余興に、さっきの暴漢を捕まえて見せましょう」
恭子姫は今度は本当に驚いたようで
「えぇっ!?そんなことが?・・・お出来になるなら、やっていただきたいわ」
「では、この屋敷の使用人をすべて集めてください」
使用人が全て集まり並んで立っていると若殿はひとりひとりの身体に触れながら
「よろしく。名前と役目を教えてくれるかい?」
と使用人全てに名乗らせた。
あるものには肩に触れ、あるものには腕、手首、などあいさつ程度だが、使用人は初めて会う身分ある若者に親しげに触られることに少し面食らった。
全ての名前と役目を確認すると若殿は恭子姫に
「では先ほどの暴漢を紹介しましょう。庭男の八兵衛だ。」
と手首に大きな玉の数珠をつけた一人の使用人を示した。
八兵衛は動揺し助けを求めて恭子姫のほうを見たが恭子姫は落ち着いたそぶりで
「まぁ!我が家の庭男がなぜ私を攫うなどと考えてらっしゃるの?」
「先ほどの暴漢は私の反撃を受け手首を怪我したようでした。あいさつしながら手首を触って確認すると痛そうに顔をしかめました。」
「それだけ?別の仕事で手首を痛めたのでしょう?八兵衛?」
八兵衛は何度もうなずいた。
「それだけではありません。暴漢もその数珠を手首にしていたのを見ました。」
八兵衛はこれには怒って反論した
「そんなはずはない!ちゃんと数珠は外していた!何を見ていたんだ!」
恭子姫はしまったという顔をし、その表情を見た八兵衛も気づいたようで
「・・・すみません。姫。」
恭子姫は、観念したように袖で顔を覆って泣き崩れた。
「あぁ・・・!こうなっては仕方がありません。全てを打ち明けますわ!」
(その3へつづく)