落成の雲梯之機(らくせいのうんていのき) その5
若殿は続けて
「そう。その時はあまり噂が広がらないよう斎部文山という名前の東大寺造寺所に属する凄腕工人によって速やかに修理されました。彼が偉大なところはろくろの技術を駆使し、雲梯(折りたたみ式の梯子車)を巧みに組み合わせて落ちた仏頭を断頭に引き上げ、大仏の頸部に溶鋳して新造のようにするという修理を成功させたところです。」
斎部季長が黙っていられないというように
「そうです!その雲梯之機を作って、使って、修理を成功させたのが私の父です!その偉大な父がせいぜい従五位下に昇叙されたぐらいで、なぜ徳一のような詐欺師が都でちやほやされるのか、まったくわかりません!朝廷が行った大仏の修理落成供養の呪願文でもたった四行でしか触れられていません。朝廷は大仏の頭が落ちたという事をできるだけ秘密にして、修理が終わったことだけを盛大に祝おうとした。父は偉大なことを成し遂げた自分に満足したかもしれませんが、私は父が正当に評価されてないと思います!
・・・もっと世間に知ってほしかったんだ!父の偉業を!」
と吐き捨てた。
若殿が
「だからといって、徳一の護摩壇に水銀をくべるのはやりすぎではないですか?」
私は疑問に思って
「えぇ?あれは水銀ですか?大仏と何の関係があるんですか?」
「大仏の鍍金の溶剤として用いられた水銀の蒸気を吸い込み多くの人命が失われたというくらい、水銀は危険なんだ。」
「あぁ!それなら聞いたことがあります。確か大仏の表面に金をくっつけるために、水銀と混ぜて金を溶かして大仏に塗った後、水銀を蒸発させるんですよねぇ。」
大仏を金ピカな表面にしたいがために多くの人命を犠牲に?と思ったが当時はその害が知られてなかったのかもしれないなぁ。
そして結局、さっきの疑問の答えは
・なぜ犯人は仏像の首を落とす細工をしたのか?・・・斉衡二年(855年)の地震で首が落ちた東大寺の大仏を暗示した。
・徳一の食あたりを防いだ黒い粉は何?・・・活性炭で毒を吸着させた。
・護摩壇で毒煙を出した匂いのしない金属は何?・・・水銀でこれも大仏を示していた。
・犯人は誰でなぜ3つの事件をおこしたのか?・・・追善法要食あたり事件は徳一の自作自演で奇跡を演出するため、あとの二つは斎部季長が父の斎部文山を世間にもっと評価してほしかったからということか。
若殿は徳一と斎部季長の処分をどうするんだろう?と思ってみていると、若殿は徳一と斎部季長に
「これ以上、他人を傷つけるような真似を続けるなら、朝廷か弾正台に訴えます。わかりましたね?」
と言い聞かせた。
若殿の公的裁きを受けさせるかの判断基準を察するに、人が死んでるかどうかがその分け目のようだ。
でも首の取れた仏像は斎部季長にタダで直してもらわないと割に合わないよねぇ。
帰り道、若殿に
「でも、斎部季長の気持ちもわかりますね。世間って有名になれば詐欺師でもチヤホヤするけど、本当にすごいことをした人には注目しませんよねぇ」
というと、若殿は
「でも斎部季長があんな犯罪を犯す理由にはならない。斎部文山の作った雲梯之機に上って高いところへ行けたことを、自分の力だと勘違いしているところもある。」
「奈良の大仏の首が落ちたという話も私は聞いたことがありませんでした。斎部季長がいうように朝廷は関係者に口止めしたんでしょうか?」
まぁそれは仕方がないのかなとも思ったが、若殿が空を見上げながら
「朝廷は国にとって大事な頭とはいえ、体となる民衆が支えられないならば、落ちてしかるべきなのかもな。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
自分自身が東大寺大仏の首が地震で落ちた事を知らなかったので、びっくりしました。
当時の世間?朝廷?のパニックが目に浮かぶ気がしました。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。