落成の雲梯之機(らくせいのうんていのき) その4
若殿が何かを考えこんだが、やっと気づいたというように
「なるほど・・・全てがつながった。利二さん、徳一と斎部季長を呼んで集まる場所を用意してくれませんか?」
利二が
「では東の対に集めましょう」
と言って立ち去った。
私は『えーっ!全てが説明できる答えがあるの?』と思ったが、自分でも考えてみる。
う~~んと考えて、私が見つけた共通点は全て東大寺に関係しているという事ぐらいだった。
だけど、
・大殿が購入した徳一の作った仏像の首が少しの振動で取れた。
→もし犯人が三人の中にいるとすると、なぜ犯人は仏像の首を落とす細工をしたのか?
・徳一が出席した追善法要で徳一だけが食あたりを免れた
→黒い粉のせいで大丈夫だったとすると、徳一の食あたりを防いだ黒い粉は何?
・徳一が行う護摩祈祷で、護摩壇から有毒煙が発生した。
→有毒煙がキラキラした銀色の金属せいだとすると、燃えて毒煙を出した匂いのしない金属は何?
・犯人は誰でなぜ三つの事件をおこしたのか?
は謎だった。
徳一と利二と斎部季長と我々が東の対に集まり、若殿が話し始めた。
と、その前に斎部季長はどんな人かというと、斎部季長は三十半ばの人で、背が低くがっちりした体格の僧で、物静かな感じだがジロジロ若殿を見る眼付は何かを警戒していた。
水干にたすき掛けして袖を留めていて、いかにも作業を中断されたという格好でイヤイヤ出てきた感じだった。
若殿が
「まず、追善法要で起きた食あたりですが、あれは徳一が利二とおこした毒物混入事件ですね。」
とギロっと徳一と利二をにらんだ。
利二は慌てたが、徳一はフフンと鼻で笑い
「何を根拠にそんなことを言うのですか?」
「根拠は、あなたが神通力の源と称するその活性炭の粉を汁物に入れてから飲み干したということです。利二を使って庭木の馬酔木を汁物に混入させたんですね。そして自分は活性炭で毒素を吸着させ、毒に当たらないようにし、神通力で免れたように装った。そうですね利二?」
と利二を問い詰めると、利二は焦ってすがるように徳一の方を見たが、徳一は憎らし気に若殿を見返していた。
若殿が続けて
「利二が必死で食あたりの人々を介抱したのも、自分が毒を盛った罪悪感からでしょうし、徳一にも逆らえず板挟みで苦しんだでしょう。そういう詐術をずっとさせられてきたのなら。」
利二が項垂れ、
「・・・はい。」
とだけ呟いた。
逆に徳一は開き直って
「だから何ですか?現に東大寺を都で有名にしてもう一度、封戸を増やそうと頑張っているのは私ですよ!私のおかげで大仏建立以来、東大寺は最も注目を集めているじゃないですか!」
封戸とは『俸禄として支給した戸のことで、そこからの調と庸および田租の半分が支給される』というもので、5000戸という東大寺の封戸では5000戸の税を取り立てることができるという意味だ。
私の知識では平安京遷都後、政治への仏教の影響力を排除しようと桓武天皇が東大寺の封戸を削ったと聞く。
若殿は待ってましたとばかり
「そう!その大仏です。すべてはそこから始まっているのです。我が家の仏像は何の仏だった?竹丸?」
私はう~~んと考えて
「大日如来です。」
若殿がそうと頷き
「東大寺の大仏である毘盧遮那仏は密教の大日如来とおなじです。その首が取れるという細工は、斉衡二年(855年)の地震で被災し、首が落下した大仏のことを示唆しています。」
私は驚いて
「えぇっ!あの奈良の大仏の首が落ちたんですか!何て縁起の悪い!当時は大騒ぎしたでしょう?で、今はどうなってるんですか?全然知りませんでした。」
民衆の心を安らかにするという目的で造立された大仏の首が落ちたなんて、不幸や災害の暗示かしら?と縁起をかつぐ人々は大騒ぎしたに違いない。
なのにあんまり知られてないという事は噂が遠くまで広がらないように箝口令をしいたとか、すばやく何事もなかったように修理したんだろうなと思った。
そうでなくても、災害や飢饉は毎年のように起こっているのに、心を安んじるどころか不安にさせる効果しかないなら大仏の意味はないなぁと。
大仏造立の際も『貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制が崩壊寸前になる地方も出た』らしいので、必ずしも人々のためにはなってない気もする。
(その5へつづく)