落成の雲梯之機(らくせいのうんていのき) その3
若殿が袖で口を覆いながら
「煙を吸わないように口を覆って外へ出てください!」
と全員が護摩堂から外の庭に出たが、若殿は厨へ走っていき、水瓶と口が広い壺をもってきて、まず護摩壇の火に口の広い壺をかぶせて煙が出ないようにし、その上から水をかけた。
私やほかの祈祷依頼者たちは外へ出た直後は咳き込んでいたが、しばらくすると落ち着いた。
一番咳込んでいたのは徳一で、煙を近くで吸ったせいだろうけど、激しく、えずくぐらい咳込んでいたと思うとブルブルと全身が震えだした。
弟子が徳一にかけより背中をさするとか、衣を着せるとかして徳一を落ち着かせていた。
別院の使用人たちが白湯を配ったりして介抱してくれたので、祈祷依頼者たちも私もすっかり落ち着いた。
機を見計らって、若殿が
「体調がよくなったら今日はもう帰っていいです。後で話を伺う事があるかもしれませんので、受付で身元を書いてない方は書いてから帰ってください。」
と護摩祈祷はおしまいになった。
皆が帰ると、取り残されたのは我々と徳一たちだけになったが、徳一の様子も大分落ち着いてきたようで弟子と徳一は母屋へ立ち去った。
若殿はその間も、護摩壇の火が消えたことを確認した後、護摩壇の鍋を調べているようで、私が近づいて鍋を覗くと、灰のほかに、銀色のキラキラしたものが鍋の底に残っていた。
私が
「これは何でしょう?これのせいで気分が悪くなったんですか?でも煙は異常な臭いはしませんでしたよねぇ。」
若殿が何かを考えている様子で
「おそらくこれのせいだ。これは何かの金属だろう。何だろう?別院に住む人々に話を聞く必要があるな。」
と言った。
私は今まで起こった事件を誰が何のために起こしたのかがまったくわからないので整理してみることにした。
・大殿が購入した徳一の作った仏像の首が少しの振動で取れた。
・徳一が出席した追善法要で徳一だけが食あたりを免れた。
・徳一が行う護摩祈祷で、護摩壇から有毒煙が発生した。
このそれぞれを誰が、何のために起こしたのだろう?犯人は一人じゃないのかもしれないし、徳一を害したいのか利したいのかも謎。
若殿が言うように徳一本人と徳一の周りの人間から話を聞かなければわからないだろう。
徳一を恨んでる人が、徳一の作品を傷つけたり、徳一の口に入るものに毒を入れたり、徳一の護摩壇に毒をいれたりしたと考えるのが一番筋が通っている気もする。
一番近くにいる弟子が怪しいが・・・と考えていると若殿が話を聞きに行こうと動いたので私も意気込んでついていった。
若殿が忙しそうに走り回る徳一の弟子・利二を随分待った挙句やっと話を聞けることになると、利二は若殿に対面した。
利二はもちろん坊主頭だが、剃り残しが青々とした二十代前半の、ツヤツヤとした肌の、師の徳一と違って筋肉質でハキハキとした気持ちのいい青年だった。
四角い顔はゴツゴツしていて、ニキビ痕があり、鼻が丸くて頬高だが愛嬌のある顔だった。
若殿が利二に向かって
「関白殿が購入した徳一の作品の仏像の頭が、ちょっとした振動で取れたらしいのですが、これはよくあることなのですか?」
と聞いた。(ちなみに若殿は雑色の平次を名乗って身分を明かしていない。)
利二は驚いて
「いいえ!ありえません。師はそんな粗悪な作品は作りません。関白殿に送ったものにそんなものがあったのですか?信じられませんね」
といった後、目を横に動かして何かを考えこんでいると、若殿が不意に
「徳一ではなく別人が作ったんじゃないですか?徳一は非常に多忙で仏像を作る時間がないでしょう?大まかな全体像だけ徳一が決め、弟子に作業を指示するのは仏師(彫刻家の中で特に仏像を専門に作る者)としてよくあることでしょう。」
利二は決心したように、でも声をひそめて
「実は東大寺造寺所に斎部季長という仏師がいるのですが、腕がいいので彼に頼んで彫ってもらい、それを師の名前で世に出しているのです。」
私の知識では東大寺造寺所とは、『東大寺の造営とその付属物の製作や写経事業を担当した機関で、政所・木工所・造瓦所・鋳所・写経所・造物所・造仏所・甲賀・田上山作所・泉津木屋所など、多くの所からなる現業官司の巨大な集合体』らしい。
東大寺にかかわるモノ全般を作る人々ということだ。
若殿が
「斎部季長には当然、それ相当の銭を支払っているんですよね?」
と聞くと、利二はもちろん!と頷く。
じゃあ斎部季長が徳一を恨む筋合いはないか。
私が
「それに斎部季長はずっと奈良の東大寺にいるんでしょう?今日の毒煙事件や追善法要食あたり事件には関係ないでしょう?」
と若殿に言うのを利二が聞きつけ
「いいえ、彼はこの別院にいますよ。仏像の注文が多いので、すぐに納品できるようにこちらでずっと作業していますから。」
と何気なく言うので、若殿と私は顔を見合わせた。
(その4へつづく)