初秋蚕繭の糸(しょしゅうさんけんのいと) その4
私は驚いて
「えぇっ!そうなんですか!凄いなぁ!犂とか湾刀とかあんなに斬新なものを次々世に出すなんて凄いですよ~~!なぜ隠すんですか!」
と興奮してつい口をはさんでしまった。
若殿にギロっと睨まれたので静かにした。
若殿は続けて
「そう。斬新なものを世に出すためにはまず作らなければならない。必要なのは情報です。あなたはその情報を盗むために繭見を我が屋敷に侍女として送り込んだ。
そして平中を操って逢引きを理由に立ち入り禁止の文殿に繭見は入り、目的の最新情報が書いてある書物を盗んだ。」
私は『そうか、繭見は通いの侍女だから夜に忍び込むこともできないから昼間に入るには平中の図々しさが必要だったのか』と納得。
私は思い出して
「あれ?でも若殿、平中と繭見の逢引きの時には文殿で何も盗まれてないと言ってましたよね?」
「そう。繭見は前に盗んだものを、あの時に返したんだ。あの時、蚕がちょうど羽化したばかりということは、前に五齢幼虫の段階で、繭見は自分の衣に蚕の幼虫をくっつけて知らないうちに文殿に持ち込んだという事だ。
蚕繭から成虫まで二週間かかるから、逢引きを見つけた時の二週間前に一度盗みに入ったということだ。」
「そういえば、平中は以前にも文殿で逢引きしたと言いたそうでしたよね。」
と納得。
女主人は慌てた様子だったがすぐに立て直して
「わたくしが『百科目録座』の首領だとしても、繭見を使って情報を盗んだ証拠はどこにもありませんわ!繭見が盗んだと仰る情報は本当に関白邸にだけあるものですか?わたくしの部下が別の場所で入手した情報を使って新しいものを作り出したのです。」
若殿は今日一番ニヤリとして
「偽牛黄を作ったのが『百科目録座』に属した薬屋だというのが証拠です。私は人中黄の作り方をまねして、『牛糞を甘草の粉末に混ぜて固める』という作り方を牛黄の作り方として百科全書の『秘府略』に付け加えたのです。
再び文殿に盗みに入った繭見がまんまとそれを盗んで、あなた方がそれを使って偽牛黄を大量に作って流通させたことで発覚しました。」
私は『若殿えらいっ!すごいっ!』と思ったが、まてよ、じゃあ『人中黄』て薬はつまり、人のウンコと甘草の粉末を混ぜたもの?そんなのあるの?それを飲むの?とぞっとした。
若殿は続けて
「あなたに感心するのは、これがすべてあなたの計画どおりだったということです。あなたはまず斡旋している養蚕で収入を得たいと申し出た繭見に目をつけ、繭見の弟が賭博狂いな事を利用し、酒屋で高利の借金をさせ、繭見に返済を催促して脅し、藤原邸に侵入させ平中を誘惑させ、書物を盗ませた。」
私は、絹製扇の蚕の絵柄、酒屋の『月借銭』の看板、にも『百科目録座』の印があったのを思い出した。
盗ませた書物の情報を使って珍しい薬・犂・湾刀を作ったのか!でも今までに世にないものを作り出すのは大変だし、難しいのでそれはそれですごいことだなぁと思った。
女主人ははじめて几帳の陰からでてきて若殿を睨み、毅然として
「わたくしを盗賊として弾正台に突き出すのですか?関白殿がお許しになるかしら?」
と言い放った。
女主人はまつ毛の長い、鼻筋の通った美人だが、白粉と紅を濃く塗ってごまかしているので見た目は四十ぐらいだが、頬の皴から察するに実年齢はもっと老けてそうだった。
私はすっかり『百科目録座』に心酔していたので慌てて若殿に
「いいじゃないですか!情報を一般に公開しない今の規則が間違ってるんですよ!いろいろな人が書物を読めばいろんなアイデアで新しいものを作ってくれて生活が豊かになるじゃないですかぁ!この人は悪くないと思います!」
と盾突いてしまった。
若殿も困った顔をして
「確かに、この人のやっている『百科目録座』は業種間の壁を超えて情報を伝え合うという新しい組合で、異業種の視点を活かすという利点もあると思う。だから、今度からは文殿に入る許可を父から得て、人を遣わしてください。わざわざ人をだますような真似をせず。」
女主人はほっと安心の溜息をついて
「じゃあ、関白殿が許せばわたくし自らお屋敷に伺ってもよろしいかしらね?」
とにっこり微笑むと若殿は
「ええ」
と頷いた。
「『百科目録座』とはどういう意味なんですか?」
と私は一応聞いてみると、女主人は
「できるだけ多くの業種(百科)が一堂に会して(目録)、情報を共有する組合という意味よ。ある分野では当たり前でも関係ないように見える分野に応用すると今までになかった新しい物を作り出せると思ったのよ。例えば車を引く牛馬の力を、田畑の耕作に使うことはできないかしら?とかね。」
そういう人がいっぱいいると、これからもっと、楽に豊かに過ごせる!と思うとワクワクした。
帰り道、女主人の手腕にすっかり感心した私は思い返してしみじみと
「今回の出来事は蚕繭の糸みたいに、すべて一本につながっていたんですねぇ」
というと若殿が少し感傷的に
「もしかして父上に近づいたところから・・・女主人の計画は始まっていたのかもな」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
人中黄は『解熱や解毒作用があるとされ、応用例では丹毒(細菌性皮膚疾患)や傷寒熱病(チフスの類)、吐痰などに用いられた。』らしいです。
大便にはいいモノも入ってるんでしょうかねぇ。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。