初秋蚕繭の糸(しょしゅうさんけんのいと) その1
【あらすじ:立ち入り禁止の書庫での侍女と遊び人の逢引きと、都に出回る新しくて珍しい品々の出現は蚕の繭のように一本の糸でつながっていた。その関係を見つけるために時平様は今日も思考の糸車を回す。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は情報は大事だけど持ってるだけではどうにもならない?というお話。
ある日、若殿の元に警備の雑色から報告があった。
「当家の侍女・繭見と若殿の友人と名乗る男が、立ち入り禁止の文殿(文書、書籍などを納めておく所)で逢引きしておったところを捕まえました。ご処分をお聞きしたく思いまして参りました。」
と堅苦しく警備の雑色が言うと若殿が
「私の友人?名乗ったか?」
「はい。平貞文と申しておりました。」
若殿は苦い顔をして
「平中か。奴は友人でもない。父上が同じ年頃の貴族と付き合いを持たせようとあてがっただけだ。」
私は若殿の友人と名乗れば上がりこんで侍女と逢引きが可能なこの屋敷の警備はガバガバだなぁと思ったが、若殿に
「平貞文様はたしか今は無官ですが、お血筋が高貴で、祖父は桓武天皇の孫・茂世王のお方でしょう?見た目もいいとか聞きましたけど。」
若殿は頷いて
「それはそうだが、奴の好色なところと、図々しいところがどうしても相容れんので私はできるだけ避けている。父上は奴の人懐こさに懐柔されたようだが。」
警備の雑色は
「で、いかが処分いたしましょう?」
若殿はちょっと何かがひっかかるという表情で
「文殿にいるのか?少し気になるから会いに行こう。」
というので私もついて行った。
文殿につくと、奥には数百冊にもなる書籍や丸めた竹簡が数列の棚にきちんと収められていて、手前の入り口近くに平中と繭見は並んで正座させられていた。
そういえば逢引き場所になぜ文殿を選んだの?とちょっと疑問に思ったが、人気が無くて静かなところというだけかなとも思った。
繭見はクリッと丸い目をした丸顔のサバサバした感じの女性で、私も話したことがあるが、平中のような遊び人を相手にするタイプではないと思ってたのでちょっと意外だった。
平中は確かにイケメンだが、どこか俗っぽいヘラヘラしたところがある男だ。
若殿が二人の前に立って見下ろして厳しい顔で
「いつから付き合ってる?」
平中は顔を上げにっこりと微笑んで
「いや~~!別に悪いことしてたわけじゃないんですよ。彼女がいろいろな文書に興味があるっていうから、文殿を見せて上げようと思ってねぇ。大殿もこの屋敷に自由に上がってもいいと仰ってたので。」
繭見は顔を上げちょっと困った顔で
「その・・・、一月ほど前でしょうか?付き合ってくれと言われて、いい方だと思いまして。」
若殿は奥の文書の並べてある棚の間をウロウロ歩きながら
「ここに入ったのは今日の一回だけか?」
平中が若殿を視線で追いかけて
「いやぁ?はっきり覚えていませんが・・・初めてではないような・・・ねぇ?」
と繭見を見ると繭見は焦って横に首を振り
「いいえ!今日の一回だけですわ!こんなに大事な文書が置いてある場所に何回も入ってません!今日だってどんなお叱りを受けても仕方がないと反省しております!」
と否定した。
若殿は二人の言い訳には興味がなさそうに下の棚の一カ所を見つめながら、
「わかった。以後はここに入らないように。もう皆下がっていい。」
と入り口にいる我々に向かってあっちいけと手をふった。
皆が下がった後、私は気になったので若殿のそばにいって下の棚の一カ所を見つめるとそこには、白い綿の塊のような楕円形の繭とその横に白いモフモフの蛾がいた。
「わぁ!蚕ですね?羽化したばかりでしょうか?なぜここにいるんでしょう!」
と思いがけないものを思いがけない場所で見た驚きでテンションが上がった。
私は蚕を実際に見たことはなく、蚕の成虫の姿が可愛らしいのに驚いた。
ぷっくりとした丸い楕円形のお腹と普通の蛾の羽根の長さが帝の裾(束帯の下襲の後ろ身頃(背部)の引きずる部分)としたら、地下人(殿上の間に上がれない身分の官人)ぐらいの羽根と、つぶらな黒い瞳と全身に生えたモフモフの毛とヨチヨチ歩く感じが可愛かった。
若殿が
「後で庭の木にでも移してやってくれ。あと十日ぐらいの命でも外の空気は美味いかもしれない。」
私が思い出して
「確か繭見は家で養蚕してたんですよね?くっついてきて逢引きしてるうちに落ちたんでしょうか?」
「繭見の父は官人だったな?繭見はうちに奉公に来てるし、狭い屋敷だろうに養蚕も手がけてるとなるとよほど銭に困っているようだな。」
(その2へつづく)