欲動の歓喜仏曼荼羅(よくどうのかんきぶつまんだら) その3
鈴杵丸はある貴族の雑色だとわかったので、鈴杵丸の元を訊ねた。
鈴杵丸はやっぱり手足が長くてヒョロヒョロの、髪の毛はくせ毛だが髭のない色の白い男で歳は二十代半ばだった。
若殿は自分の犯行がばれて怯えて震える鈴杵丸に
「密教集団に拒否された恨みがあるから、歓喜仏を強姦の犯行現場に残してあの集団の仕業に見せかけようとしたんですね?」
鈴杵丸は真っ青な顔で頷くと若殿は
「なぜそこまであの集団に入りたかったんですか?性欲を満たすためなら別にあの集団でなくてもいいですよね?何か特別な魅力があるんですか?」
鈴杵丸はうつむきがちで小さな声で呟く
「あの人たちは、男らしい強さの象徴なんだ!我が身の危険を顧みず誰もが恐怖する状況に飛び込む精神力と、それを楽しむ余裕があるし、もちろん肉体的にも頑強で逞しく、僕のあこがれなんです。だからたくさんの女性と、・・・その、何できるし、それが当然ですよね!」
私はそれって別に一人で訓練すればできるんじゃないの?あの反社会的な集団に属さなくてもと思ったが言葉は喉元で抑え込んだ。
「か弱い女性を連続で強姦するという卑怯で簡単な犯罪ではあの集団にはとても認めてもらえないのではないですか?我が身を危険にさらすだけの覚悟がなければ?」
と若殿が鈴杵丸に皮肉を言うと鈴杵丸は屈辱で怒りの表情を浮かべたが、すぐに凹んだ顔になって
「そうなんです。彼らはやっぱりどこかおかしいんです。死ぬかもしれない状況を楽しめるなんて。それに彼らは危険であればあるほど命が助かった時の快感が忘れられないとやることの危険の度合いを増したのです。
例えば崖から海に飛び込んで命が助かれば次はもっと高い崖から飛び込むとか、崖と崖の間に綱を渡してその上を歩いて渡って見せるとか、命綱なしで崖を登るとかです。
現世で死にかける回数が多いほど成仏しやすく位が高い仏に生まれ変われるという教義だそうです。私は、・・・憧れますがその勇気がなくて。」
私も高いところに上った時、そこからふと飛び降りたくなることがあって、自分のことが怖ろしくなった覚えがある。
自分の中にある自己破壊衝動はどのタイミングで現れるかわからないが、あの集団の人々ほど頻繁にはふつう現れないと思う。
でも鈴杵丸のあの集団に対するリスペクトは歓喜仏を手彫りして曼荼羅まで見立てるというこだわりにも表れていてこれも充分普通じゃないと思う。
若殿が考え込む私に向かって
「あの屋敷には猫がたくさんいただろう?猫に寄生するある原虫がネズミに感染すると、ネズミは猫を恐れなくなるらしい。同じことが人間にも起これば、危険を恐れない向こう見ずな人間になるだろうな。」
「そういう人々が作った集団ということですか?」
「そうかもしれない。」
と私たちが話す横で、弾正台の役人は鈴杵丸に
「ところで被害者が付けられたというネバネバした油は一体なんだ?」
鈴杵丸は恥ずかしそうに赤面したが
「あれは鹿鞭(シカの陰茎および睾丸)をまぜた植物油です。精力増強と強壮のためにあれを陰部に塗るのです。僕には男らしさが足りないので。」
男らしさと強さに対する飽くなき欲望に憑りつかれると大変だなぁ。
弾正台の役人は渋い厳しい顔をして
「お前は、連続強姦犯人だ。刑部へ引っ立て、獄舎につながれ裁かれることになる。わかったな。」
と鈴杵丸に言うと、鈴杵丸は観念したがポツリと
「わかりました。でも、あの密教集団はもっと怖ろしいことを計画している。」
と呟いた。
数か月後、鈴杵丸の言った言葉の意味が明らかになった。
突如、密教集団の屋敷から火が出て屋敷が全焼した。
主殿からは十数体の焼死体がでたが、そのどれもが男女が密着して抱き合って座った姿で、中心に二人と、八方に二人ずつ十六人と規則正しく並んでいた。
死亡したのはあの時面会した人々をおそらく含む密教集団の信者たちだった。
私は痛ましい姿を見てショックを受けたが
「彼らは性愛への欲動もすさまじかったですが、それは同時に死への欲動も伴うものなんでしょうか?」
というと、若殿は少し悲しそうに
「わからないな。『死ぬほどの退屈』と言っていたが、刺激がなくなるくらいなら、歓喜仏の姿で焼け死んで成仏し、曼荼羅をこの世に体現しようとしたのか、
・・・それとも、これほど絶望的な死を潜り抜けるという奇跡を体験したかったのかもな。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
性欲は生きる欲ですが、死への誘惑は一体なんでしょうねぇ。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。