獄門の木(ごくもんのき) その1
【あらすじ:夫の浮気を疑うある貴族の妻の依頼と、地方で散発的におこるそれまで健康だった人の神経異常症状。貴族の浮気と神経異常症状の発生は何か関係があるのか?私も注意深く行動しないと!危険はいつもそばにある。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は病は何が原因にでもなりうる?というお話。
ある日の午後、私はいつものように藤原邸の侍所で待機していると、市女笠をかぶり壺装束の女性客が訪ねてきた。
「あのう。突然なのですが、関白殿の太郎君にお会いしたいのですが。」
というので、私は
「若殿ですか?お約束がおありなのですか?」
「いいえ。実は折り入ってお願いしたいことがございまして。」
私はよくわからないが、若殿の知り合いかもしれないのでとりあえず出居に通し、若殿を出居に呼び出した。
出居で向かい合って座り、若殿が女性客を見ながら
「私にご用とは何でしょう?どこかでお会いしましたか?どちら様でしょう?」
女性客は市女笠を脱ごうとせず、うつむいたまま
「大変ぶしつけなのですが、頭中将様はいろいろな困りごとを解決してくださるとの噂を聞きつけてまいりました。」
と丁寧だが押し殺した低い声で言った。
若殿はその迫力に気おされて
「はぁ。まぁお話だけでも伺ってよろしいですか。お引き受けするかどうかはそれから判断します。」
女性客は少し顔を上げ、垂れ衣の向こうから値踏みするように若殿を見つめると、
「実は、わたくしの夫・中条千尋の浮気相手を突き止めてほしいのです。」
若殿は明らかに失望したという表情でため息をつき
「あぁ~~~っと、いえ、そういう依頼は受けかねます。それほど暇な体でもないものですから。」
と門前払いをくらわせようとすると
「お願いしますっ!」
と市女笠の縁を床にぶつけながら女性客は頭を下げ
「夫は、あの人は!私に求婚した時には妻になってくれと頭を下げて懇願し、私を一生大事にして、何でも欲しいものを好きなだけ買ってやるとか、いつも一緒にいるとか都合のいいことばかり言ったくせに!
私だけを一生愛し続けると誓ったくせに!・・・それなのに!今はほとんど家に帰らず、いろいろな地方にいる女に多くの贈り物ばかりして・・・いつも、いつも私を独りぼっちにするのです!」
と吐き捨てるように言った。
私はよくある男性の心変わりで別に珍しいことじゃないし、貴族の男なんて口先だけで女性を口説いて関係を持てばそのままサヨナラしても痛くもかゆくもない生き物だとわかっているので、甘言を真に受けてるこの女性の方が少しおかしいと思った。
『よくある話ですよねぇ~~~』と若殿の顔を見ると、感銘を受けたような顔をしてるので『あれ?』と思って
「若殿、どうしたんですか?」
と肘打ちすると若殿はハッとして
「いや。気の毒な話だから少し力になってあげようと思う。」
というので、何がそんなに若殿の気に入ったのかわからなかったが、その女性客をよくみると、市女笠から袿から、重ね着の下にのぞく単から何から何まで高級そうな流行りのいいものを身に着けている。
私は『あれ?浮気しているという夫から今でも十分愛されてるからこんなにいい身なりができるんじゃないだろうか』と違和感を覚えた。
中条千尋の妻は懐からくしゃくしゃになった紙を取り出して若殿の前に広げ
「わたくし、夫が文を出すとき、下人の寄三郎から奪い取って内容を書き写しましたの。全てですわ!見てくださいな。」
若殿も私もあっけにとられたが、その紙を見てみると
「xxxに贈り物を届けよ。六月十日」
のxxxにはいろいろな地名があり、地名と日付が書かれている紙が数十枚もあった。
中には
「牟婁郡(現在の和歌山県・三重県にあった郡)、苦楝子、苦楝皮、千 大両、二千文、四月中」
などとの書き付けもあった。
中条千尋の妻は
「牟婁にいるのは苦楝子という女ですわきっと!その女に贈り物と銭を送って!まったく腹立たしいわ!」
と怒りをにじませている。
若殿が
「この紙は預かってもよろしいですか?」
「もちろんですわ!では引き受けてくださるのね!よろしくお願いしますね。」
ともう一度、頭を下げて中条千尋の妻はさっさと帰った。
私は若殿に
「どうやって調べるんですか?いちいちこの書いてある場所へ出かけるんですか?」
というと若殿が
「地名だけでは詳しい場所が分からんから、贈り物を届ける役目の下人の寄三郎から話を聞くしかないなぁ」
などと話していると、大殿から呼び出しを受けたので私も若殿について大殿のいる対へいった。
つくと早速、大殿が
「ああ太郎、実はお前に調査してもらいたい件があってな」
「何でしょう?」
「最近、いろいろな地方の村でそれまで健康だった村人が突然発狂する事件が散発的にあってな」
えぇ!発狂って穏やかじゃないな!と思ったが、そんなことはどこでも日常的に起こっているが、周囲の人が外聞が悪いから隠しているはずじゃないのかなぁ?なぜ大殿の耳に入って事件とまでいわれるの?と疑問。
若殿も少し眉を上げ
「それは、なぜそれが事件なのですか?」
大殿は声をひそめ
「普通と言っては何だが、狂人というものはたいてい身内がよってたかって隠そうとして屋敷内に匿うだろう?だが、隠しきれないくらい多くの、それも今までに一人もいなかったような地域で多発しているのだ。」
こう言っては何だが、ある程度、裕福な家なら狂人を隠し通せるが、隠せないとすると、貧しい庶民の中に狂人がたくさんでているという事か。
若殿が少し考えた後
「考えられるのは疫病、もしくは中毒ですか?」
大殿が苦い顔をして頷くと
「あるいは、陽成院のように天狗の妖術かもしれんが。だからお前も調査に行くときは十分注意するように」
えぇっ!調査に行くのは決定なのっ?!もしかして私も?と焦って若殿の顔を見るとこちらを見てニヤリとした。
(その2へつづく)