黄昏の八咫烏(たそがれのやたがらす) 後編
「ではあなたが見た、鞠で皿を割った犯人を教えてください」
「それは・・・」
「技丸ですわ!」
そうだよな~~と私は頷いた。
「何を言ってるんだ!竹丸のほうが先に十回蹴れたじゃないか!私は竹丸より下手だっただろ!犯人じゃない!」
「侍女殿に見てもらったのは癖だ。」
「私が見た少年は落とした鞠を拾うために手を使わずつま先で蹴り上げていました。」
「なっ!」
確かに私にはそんな技はできないので納得。
「私が竹丸より先にこの屋敷に来た証拠はない!」
若殿はニヤリと笑って
「では、文箱の中身を見せてやろう」
と私と技丸の文箱の箱を開けた。
中身は文と布知奈(タンポポのこと)がそれぞれに入っていた。
「偶然にも文に添えた花が同じ布知奈だったことが幸いした。竹丸のは花がまだ開いているが、技丸のは花が完全にとじている」
「それがどうしたんだ?」
「布知奈は水分のない涼しい日陰にある状態では二刻(4時間)ぐらいから閉じ始める。つまり技丸のほうが長時間文を持っているということだ。」
「それは私が遠くからここへ来ただけだ!」
「ではどこから来たのだ?一刻(2時間)以上かかるということか?そんなに遠くとは、お前はどこから来たのだ?」
技丸は黙り込んだ。
「もうよい。技丸よ、罪を認めよ。認めれば咎め立てせぬ。」
と橘様が疲れ切ったように呟いた。
「どのみち、あれは過去の栄光だったのだ。これで諦めがつくというもの。」
「お見受けしたところ、あれは唐渡りの三色彩釉陶器で、帝から下賜されたものですね?」
「そうです。私が若いころ仁寿殿の蹴鞠の会で活躍し帝から賜った貴重なものでした。」
「確か、二百回を超えて鞠を蹴り上げたとか。」
「そうです。私はあれ以降、自分には才能があるとうぬぼれ、蹴鞠にのめりこみ、寝食を忘れて練習に明け暮れました。
外で同僚との付き合いも断り、仕事もおろそかになり、今では出世の道も閉ざされました。ほぼすべての自分の時間を鞠を蹴ることに費やしたのです。」
私はすっかり感心し、橘殿に技を見せてもらいたいと思った。
「そんなに練習されているなら、最近の蹴鞠の会でも活躍されているのでしょう?!」
と無邪気に聞く。
「いや、それが・・・天は不公平ですな。関白家の太郎君はじめほかの若者にまったく歯が立たなくなりました。」
橘殿が寂しそうに若殿に笑いかけると、若殿はバツが悪そうな顔をした。
「天は本当に不公平です。彼は家柄も、身分も、政をとる才能もある。それで十分なのに蹴足(蹴鞠の選手)としての才能まであるとなると・・・。
私は人生の全てを蹴鞠 に賭けていたのです。練習に没頭し、家族や周りの期待を裏切り、多くの人々に迷惑をかけました・・・。それなのに・・・それなのに・・・!」
橘殿が屈辱に耐えられないという表情で苦悩を吐露する様子は鬼気迫るものがあった。
私はそれでも、自分の好きなことを存分にできたなら、本人は幸せだっただろうと思う。
だけど、出世や富貴を期待した家族はさぞかし不満だっただろうと思った。
あれ?雑色姿の若殿が関白家の太郎君と気づいていないのかな?それともわかってて皮肉を?
橘殿の表情からは当てこすりを言ってるようには見えず、気づいていない可能性が大。
「私の両親も、妻の両親も私に何度も蹴鞠 をやめるよう説得したのです。それなのに私は頑なに練習を続けました。私にはこれしかないのだと。」
「北の方やお子さんたちも反対されていたのですか?」
と若殿。
「いえ・・・貧しい思いをさせたのに、妻だけは応援してくれました。私を信じている、私が一生懸命打ち込んでいる姿が好きだからと言って。私はそれを支えにしていましたし、妻には今も感謝しています。」
突然、技丸が、思い詰めたように
「あのう・・・実は、私はある方に三彩皿に鞠を当てて壊すように依頼されたのです。依頼主から文と銭をもらいここへ来ました。」
と告白。
私は驚いて
「たまたま文のお使いに来た下人が、たまたま鞠で遊んで壊したように見せかけて、皿を壊すようにという依頼があったのか?」
と言うと技丸は頷いた。
貴重な皿を盗むでもなく、憎んでいるから壊して逃げるでもなく、なぜ偶然壊れたと見せかける必要があったの?と疑問だらけ。
そこまで偶然を装うとなると悪意というより何やら込み入った事情がありそう。
「そうか。なら、なおさらもう蹴鞠をするなという天の意思だろう。」
と橘様はため息をつき寂しそうに笑った。
かといって、橘殿のお年では今更出世も望めなさそう。
「技丸、その依頼文を見せてくれるかい?」
技丸は懐から文を取り出し橘殿に見せた。
橘殿は文を見ると
「・・・はっはっはっ!そうか!はっはっは!」
といきなり肩をゆすって狂ったように笑い始めた。
私は若殿の顔を見て
『大丈夫でしょうか?』
と目配せすると、若殿は頷いて
「では、私たちは失礼します。」
と橘殿に言い、私には
「私たちにできることはない。そっとしておこう」
とささやいた。
屋敷を辞すとき、振り向いてもう一度、橘殿の顔をみると、目には涙が光っていた。
後日、
「橘殿は正式に北の方を離縁し、実家に帰らせたらしい」
と若殿が私に知らせてくれた。
「どうしてですか?唯一の理解者だったのに!」
あの後、刑部大輔邸で何があったのだろう?
もしや北の方の両親が皿を壊すよう依頼した犯人?
と私は考えをめぐらせたが、若殿は
「依頼したのが実は、北の方だったそうだ。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『一発屋芸人』といい蔑む傾向がありますが、一発でも栄光を手にすれば本当にうらやましい限りだと思いますが・・・どうでしょう?
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。