敗残の山佐知毘古(はいざんのやまさちひこ) その3
近相は若殿から目を逸らし、空をにらんでぽつりぽつりと話し始めた。
「お前は父上が少し言葉がつかえて、上手く会話ができなかったことを知っているだろう?」
「ああ。そのせいで、中央の官職ではなく讃岐権介などの地方官を歴任していたな。」
「陽成帝の頃に帝に気にかけられ、父上が従五位・左衛門佐に任ぜられ京官(在京の官司・官職)になると、基経伯父の攻撃の標的になったんだ。
例えば、朝政の衆目の前でわざと意見を求め父上が要領を得ない答えをどもりながら答える様を見せつけ恥をかかせるというような。
父上は大層、気に病んで家に帰っても暗い顔をして落ち込んでいた。」
若殿は眉をひそめ
「父上は陽成帝の母后・高子様と仲が悪かったから、陽成帝が肩入れして実力以上に出世した弘経叔父が気に食わなかったのかもしれないな」
近相は唐突に
「山佐知毘古の神話を知っているか?」
と若殿に聞く。
私の知識では確か山佐知毘古と言えば古事記の・・・・
『海佐知毘古は漁師として大小の魚をとり、山佐知毘古は猟師として大小の獣をとっていた。
海佐知毘古は山佐知毘古に互いの道具の交換を提案した。
山佐知毘古は三度断ったが、少しの間だけ交換することにした。
山佐知毘古は兄の釣針(海佐知)で魚を釣ろうとしたが1匹も釣れず、しかもその釣針を海の中になくしてしまった。
兄の海佐知毘古も獲物をとることができず、「山佐知も己が佐知さち、海佐知も己が佐知さち(山の幸も海の幸も、自分の道具でなくては得られない)」と言って自分の道具を返してもらおうとした。
山佐知毘古が釣針をなくしたと告げると、海佐知毘古は山佐知毘古を責め取り立てた。
山佐知毘古は自分の十拳劔から1000の釣針を作ったが、海佐知毘古は「やはり元の釣針が欲しい」として受け取らなかった。
山佐知毘古が海辺で泣き悲しんでいると、塩椎神(潮流の神)がやって来た。
山佐知毘古が事情を話すと、塩椎神は小船を作って山佐知毘古を乗せ、綿津見神(海神)の宮殿へ行くように言った。』
で、この後は山佐知毘古は塩椎神に助けられて釣り針を返しただけでなく、海佐知毘古の田んぼを干からびさせたり、襲ってきた海佐知毘古を溺れさせたりという仕返しまでする。
若殿が『知っている』と頷くと近相は
「父は・・・惨敗した山佐知毘古のなれの果てなんだ。」
と呟いた。
山佐知毘古は兄から理不尽な要求をふっかけられて、嫌とも言えず従い続けて困った立場に追い込まれたが、何とか周囲の助けがあって最終的にはうまくいった。
弘経様は兄上の基経様の無理難題にうまく対処することも、仕返しすることもできず、惨めに苦しみながら病死した。
兄から一方的に嫌われて、公衆の面前で恥をかかされ、笑いものにされるなんて、悔しくて辛くてたまらないだろうなぁ。
私なら病気になる前にとっくに官吏なんてやめて逃げ出している。
近相は続けて
「父上が病を得て亡くなったのは昇叙されてから三年後のことだ。」
私はパワハラのせいで生じた強いストレスが死の病を引き起こしたのかもしれないなぁと思った。
大殿は恨まれて矢を射かけられても仕方がないことをしたんだと思った。
若殿が
「それで、山佐知毘古の呪いの文を作って人々に広げたのは、弘経叔父の父上に対する恨みを知ってほしかったからか。」
近相は悔しそうに
「ああ。父上のために、せめて一矢報いたかったんだ。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
呪いでも幸福でも連鎖させようと強いるものはうさん臭いですよね~~。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。