敗残の山佐知毘古(はいざんのやまさちひこ) その1
【あらすじ:太政大臣・藤原基経様が朝政の最中、大勢の官人の眼前で矢を射かけられた。犯人は巷に広がる呪いの文に操られたと主張するが、人を操り暗殺させる黒幕とは?その目的は?時平様は今日も真相の正鵠を射る。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は呪いを使って人を操ることはできるのか?というお話。
ある日、朝政が終わった正午ごろ、私は馬をひいて応天門にやってくると、なぜか若殿が朝堂院(朝政をするところ)からでてこない。
門から出てきた官人のひとりを捕まえて若殿のことを尋ねると
「頭中将殿は関白殿を支えて、関白殿の車でお帰りになったようだ。」
若殿が大殿と一緒に帰るなんて異常事態なので
「何かあったんですか?」
その官人は興奮気味に
「知らないのか?関白殿が弓矢で射かけられたんだよ!暗殺未遂があったんだよ!」
「えぇっ!」
と私はびっくりして急いで藤原邸に帰った。
大殿のいる母屋の前で若殿を待っていると若殿が出てきたので
「大殿に何があったんですか?」
とさっそく聞くと
「実は、朝政がちょうど終わった時間に、朝庭(朝堂院の中央を占める庭部分)の中央から東にいる父上に向かって矢が放たれたらしい。私は蔵人所にいて、その現場を見ていなかったんだが。」
「そう聞きましたが、犯人は捕まったんですか?」
「矢を射た後、ぼんやりしていたところを数人の官人が取り押さえたらしい。」
「取り調べは?動機は?」
「犯人は、皇嘉門(大内裏の南面、朱雀門の西、二条大路に面し、皇嘉門大路に向かう)内にある刑部省の官舎に留め置かれて取り調べられているようだが。後で面会に行くとしよう。」
「大殿の様子は?」
「矢は逸れて当たらず傷一つないが、驚いたらしく落ち込んでいるので塗籠に寝かせた。」
あの肝が太く、大胆不敵で、豪放磊落、傲岸不遜で傍若無人で厚顔無恥、な大殿が落ち込むだなんてよっぽど怖かったんだなぁと思った。
・・・途中から悪口になったような気がする。
とにかく、権勢随一の関白太政大臣の暗殺未遂なんてめったにない大事件だ!若殿にくっついてしっかり顛末を見守らなければ!と気合を入れた。
早速、若殿が刑部省の官舎に向かうというので、私もついていく。
若殿は、犯人を取り調べしていた刑部大輔に犯人と面会させてもらうように頼んだ。
面会すると、犯人の顔はどことなく若殿に似ていて、特に目元の切れ長なところがそっくりな二十前後の男だった。
犯人と相対すると若殿は
「久しぶりだな、近相。何年ぶりだろう?」
と話しかけたので、えぇっ!知り合い?ってゆーか誰?と聞きたくてウズウズしたが、割り込める雰囲気ではないので我慢。
近相と呼ばれた人物はちらりと若殿を上目遣いで見て、ぼそりと
「父の葬儀以来だから、四年ぶりだな。」
若殿は神妙な顔をして、少しためらっていたが
「なぜ?お前の伯父を狙って矢を放ったんだ?」
近相は、口の端をゆがめて笑い、肩をすくめ
「さぁな。自分でもわからんのだ。何かに操られていたとしか思えない。」
「どういう事だ?」
「数日前に、呪いの文を受け取ってな。それに書いてある通りのことをせねば呪われて死ぬと書かれていたからその通りにした。」
「その文は今どこにある?」
「三人に同じ文面を書いて送ってから焼却せねば、やっぱり呪われると書いてあったので焼き捨てた。」
「三人とは誰に送ったのだ?」
と若殿が言うと近相は三人の名前を挙げた。
近相は
「自分を弁護させてもらうが、私は弓矢が朝庭の中央にあったのを見つけてはじめて、無意識のうちに『矢を射らねばならない』という気持ちになってフラフラと近づいたんだ。
気が付いたら矢を射た後で、関白殿を射た記憶すらなく取り押さえられていたんだ。弓矢がそこになければ何もしていなかっただろう。」
「お前が弓矢を朝堂院に持ち込んでいない証拠はないだろう?お前は蔵人の見習いだから内裏のみならず朝堂院にだってとがめられず出入りできただろう?」
「朝堂院の門番に尋ねてみてくれてもいいが、私は弓矢を持ち込んでいない。私は操られたんだ。私の意志じゃない!」
と近相は言い張った。
やっと面会が終わったので私は聞きたいことを順番に若殿に聞いてみる。
「近相とは知り合いですか?誰なんですか?」
「藤原近相は藤原弘経という私の叔父の子つまり、いとこだ。」
「えぇ!じゃあ近相様は自分の伯父の命を狙ったんですか」
「そうだ。」
何てことだ!身内どうしで憎みあうなんてあり得ない!と思ったが、大殿の皇太后(藤原高子・同母の妹)嫌いは世間でも有名だった。
つまり大殿は身内にだろうが他人にだろうが、憎まれるようなことをしていてもおかしくないということか、と一人で納得する。
「でも、近相様は呪いの文で操られたと言ってましたよね?自分の意志じゃないと。人を操る文とはどんな内容でしょう?これから文を送った三人にも話を聞くんですか?」
「そうだな。」
と私たちは話を聞きに行くことにした。
そのうちの一人は呪いの連鎖を他人につなげることに馬鹿らしさを覚えて、送られた文をそのまま取っていたので見せてもらった。
その内容は大体こんな感じだった。
『この文は山佐知毘古の呪いがかかった文である。
次のことをしなければお前は山佐知毘古に呪い殺される。
一.七月三十日に朝庭中央にある弓矢を見つけたなら、その場所から丑寅(北東・鬼門)に向かって矢を放つこと
一.この同じ文面を書き写して三人の他人に渡すこと
一.書き写した後この文は焼却すること
以上のことを実行しなければお前は一月以内に確実に死ぬ。』
とおどろおどろしい内容だった。
私はぞ~~っとしたが、内容通り実行したのは近相だけなので、この文を受け取った何人かは一月以内に死ぬ!とドキドキした。
(その2へつづく)