天狗の妖術(てんぐのようじゅつ) その3
その次の日、頭中将である若殿と紀有唆が、二・三人の貴族とともに宿直で清涼殿の宇多帝に伺候しているとき、事件は起こった。
私は庭に控えていたが、殿上間からざわめく声が聞こえ庭からそちらの方向を眺めると、なにやら肌脱ぎし上半身が裸の男が扇を手にくるくると舞っている。
『まさか!』と思ったがそのまさかだった。
殿上間の様子が見える位置まで近づき、近くでみると、若殿が肌脱ぎして漢詩を口ずさみながら腰を落としすり足で『舞って』いる。
その表情は真剣そのもので、ふざけているようには見えない。
私は『若殿・・・終わった~~~~~~』と思った。
帝に肌を見せるなんて、宮中でこれ以上無礼な振舞はないといえるくらいの奇行であり、若殿の精神状態が心配になった。
周囲の貴族たちも異様な雰囲気にのまれて何も言えず思考停止しているようだ。
帝が御帳台から厳かに
「見苦しいぞ頭中将、何のつもりだ?朕は不愉快だ。下がれ!自宅にて一か月、禁足せよ。」
と低い声で若殿に命じると、舞うのをやめた若殿はその場で頭を下げ御前を退いた。
何とか藤原邸に若殿を連れて帰り、若殿の対に押し込んだが、私も、その話を聞きつけた大殿も、まるで腫れ物に触るように若殿を扱った。
大奥様は泣きながら大殿に
「うっ、ううっ・・・なぜ?このようなことがおこったのですか?あなた・・・太郎に一体何があったのでしょう?」
と言いながら泣き崩れ、大殿は
「わしにもわからん。なぜ急にこのような狂態をさらしたのじゃ!竹丸!お前は何か知っておるのか?!」
私は陽成院のところで何やら妖術をかけられたようだと告げると大殿は
「何っ!?あやつにそんな業があったのか!・・・許せん!太郎の将来をメチャクチャにしおって!どうしてくれよう!」
と歯ぎしりした。
私は一生避けるわけにもいかないので几帳や屏風を四方に立てかけた房にこもっている若殿に白湯と夕餉を運びつつ話しかける。
「若殿・・・具合はどうですか?まだ気分が悪いですか?」
若殿はケロッとした顔で
「ああ、竹丸か。私は気分など悪くないぞ。」
無自覚にあの奇行をしたとなるといよいよ深刻な病状だと思ったので
「自分が何をしたか覚えてないんですか?」
若殿はニヤリと笑って
「そうだ。まったく覚えておらん。なんだか家中が大騒ぎだな。」
私はため息をついた。
出世頭の関白の太郎君に仕えていれば将来きっと楽な暮らしができると思ったからこそ様々な苦労に耐え忍んできたのに、ここで若殿の出世も途絶えるとなると、私はどうしたらいいのか・・・。
宇多帝の姫が言っていた『にいさまを守って』とはこのことなのか?
でもこんなこと防ぎようがないじゃないか!と私は憤った。
陽成院の御所に行く前に止めればよかったのか?
あんなに洗練された、知的な、上品な若殿が妖術のせいとはいえあんなに恥ずかしいマネをするなんて!
いくら几帳の陰で女房が若殿の裸を喜んでいたって、帝が不愉快になったのではこの先、官人を続けられるかどうかも怪しい。
お気楽そうにニヤニヤしてる若殿に哀れみの視線を向けて、私は退出した。
お先真っ暗で絶望する日々が一週間ほど続いた後、突然帝からの詔勅で若殿の禁足が解け、すぐに参内することになった。
私はとりあえずホッとしてお供したが、他の貴族がこちらをみてヒソヒソと噂話をする様子には身が縮こまる思いがした。
若殿の顔をちらっと見ると相変わらずケロッとしている。
私は本人には記憶がないから恥ずかしくないのかなぁ?それとももう普通の恥の感覚すらなくなったのかしら?と思った。
まるであの事件の再現のように、帝は御帳台に御座し、宿直の貴族たちのうちの一人は紀有唆だった。
私は庭からチラチラと殿上間をうかがっていたが、伺候する殿上人たちには談笑している中にも張り詰めた空気があった。
しばらく何も起こらないので庭で控える私はウトウトと舟をこぎ始めた。
ハッと気づいた時には、あの時同様、殿上の間でザワザワと貴族達が立ち上がってウロウロしている。
『まさか!また、若殿が?!』と私もあわてて近づいた。
しかし、今度は紀有唆が上半身裸の肌脱ぎになって若殿と同じように舞をさしていた。
私は『また?今度は帝も激怒するかな?』と見ていると、紀有唆は腰を落としくるくると小さい円を描いて足早に回り、だんだん速度が速くなったかと思うと御帳台の巻き上げた帷から見える帝に転ぶようにして倒れ込んだ。
「時平っ!朕を助けよっ!」
と鋭い叫び声が聞こえるより一瞬早く、若殿が飛びついて紀有唆を取り押さえていた。
若殿が紀有唆の手を抑えたつけように見え、その手には小刀がきらめいていた。
そのときになってやっと、周囲でぼんやり見ていた貴族たちが慌てて
「くっ、曲者!」
「何?!刺客かっ?!」
「紀有唆が刺客だ!紀有唆が謀反だっ!紀有唆を取り押さえよ!」
「だ、誰か!主上をお守りせよっ!」
と口々に叫んだ。
私は心臓がドキドキしすぎて、何もできずじっと見守っていたが、大舎人や近衛府の役人が渡殿をバタバタと踏み鳴らし続々と駆け付けた。
役人たちに引っ立てられていく紀有唆の表情はあの時の若殿のようにぼんやりとして何が起きたか分かっていないようだった。
(その4へつづく)