天狗の妖術(てんぐのようじゅつ) その2
若殿から宇多帝との会合の内容を聞くと以下のようなものだった。
宇多帝が
「わしが即位して二年になるが、政の実権はおぬしの父(藤原基経)が握っておるであろう?」
「それは、父に関しては私にも力が及ばないところです。致し方ありません。」
「ふん。まぁ仕方あるまい。では、まず皇太后(藤原高子。基経の同母妹で陽成院の母)の力をそぐことにしようと思ってな。」
「どのように?」
「陽成上皇が帝であったころ、怪しげな術を滝口の侍に教わって、ほら、その妖術で几帳の横木(上の帷をかけた棒)に賀茂祭の供奉人を通らせたりしただろう?」
「その噂はきいたことがありますが、そばで見ていたものが、そう見えたというだけで、本当に小さい人が几帳の上を歩いたわけではないでしょう?」
「そう、その天狗の妖術をな、またこの頃、人にかけて試して遊んでおるらしい。」
若殿は少し眉を上げ驚いたという風に
「ではまず、陽成院から・・・というわけですか。」
という会話があったと、ここまでは若殿は教えてくれたが、これ以上の詳しいことは教えてくれなかった。
私の知識では妖術を陽成院に教えた滝口の侍とは道範という人で、仕事で通りかかった信濃国の郡司の屋敷に宿泊させてもらった際、こともあろうかその妻の寝こみを襲おうとすると自分のマラ(男根)がなくなったという話を聞いたことがある。
道範はマラを郡司から無事返してもらった後、そのマラをなくす術を郡司から教わろうとしたが失敗して、かわりに沓を犬の子に変えたり、草履を三尺ほどの鯉に変えたりできる術を学んだらしい。
私は自分にもあるこのマラが取り外しできる(?)のも知らなかったが、もし一生返してもらえなければ妻を寝取ろうとした罰といえども重すぎる!とぞっとした。
それから数日後、陽成院から呼び出しを受けた若殿は陽成院の御所を訪れるというので私もお供する。
何しろ宇多帝の姫から『兄さまを守って』と言われたことが心にずっと引っかかっているので、若殿に何か起こるのかもしれないといちいち気にしていた。
陽成院と若殿の会合の場に従者が同席などできないので、若殿に頼んでせめて庭に控えて伺候することにした。
陽成院と若殿の他に紀有唆という貴族が円座しているのを御簾越しにうっすら見えたが、急に陽成院が立ち上がって、若殿の目の前にしゃがみこみ何かを始めた。
しばらくすると、若殿ががっくりと頭を前に倒して俯き、力が抜けてだらんと座っているように見えた。
陽成院はその頭をぐるぐる回しながら何かを呟いているようだった。
その後、陽成院がパンと手をたたくと若殿がはっと目ざめ、伸びをしてる姿が見えた。
しばらくして、若殿と屋敷に帰る段になり私は
「何をしていたんですか?」
と聞くと、
「さぁ。私にもよくわからんが、何かふわふわとした、いい気持ちになった。」
と若殿が晴れ晴れした表情で、なおかつ心ここにあらずな感じが少し心配になった。
(その3へつづく)