愛欲の明王(あいよくのみょうおう) その3
次の客に話を聞く。
楽我というある貴族の侍女は自称その貴族の愛人だそうで、その貴族自体があまり裕福ではなさそうだが、出居に通してくれた。
楽我は訪問の際、自ら対応してくれたので、今更、御簾越しというわけでなく、対面して話す。
私は『自称愛人というが、この屋敷には北の方と楽我と下人一人という小所帯ぽいので、使用人以上、側室未満という感じだろうなぁ』と思った。
私は子供ながら世知にたけていると自分でも思う。
若殿はさっきのように症状と調伏の手順と、効果の有無を質問すると、楽我は少し恥ずかしそうに
「私は、その、殿方の前で言いにくいのですが月のもの(月経)が少々、不安定ですの。それが何かの祟りか呪いじゃないかしらと思って」
というと、若殿が
「何か祟られることをなさったのですか」
楽我は手を振って否定し
「いいえ!そんな大それたことではないですわ!ただ・・・その・・・お付き合いする男性の挌を次々と上げていくのは、心もとない身よりの女としては当然でしょう?」
と上目遣いで若殿を見る。
過去の捨てた恋人に恨まれている自覚がガッツリあるんだなぁ。
格上の男が現れたら今の恋人を切り捨てるということか。
・・・若殿っ!気をつけてっ!
若殿が
「あなたも薬を二回飲まされたんですね?ほかになにか違う部分はありますか?」
「吐き気と腹痛がひどくて苦しかった時に寂運僧都がいらして、手に彫りかけの仏像を持っていたのを見た気がします。」
「その後、二つ目の薬を飲まされたんですね?」
「多分。でも苦しすぎてはっきり覚えてませんの。しばらくしてやっと吐き気がおさまったので助かりました。お祓いの後、月経不順も治まらないので二度と行きたくないですわ。」
と嫌な顔をして首を横に振った。
楽我には効果はなかったようだ。
悪霊の姿も見えないのでは楽我には全くの無意味な苦痛だったのかぁ。
「ああ!でも二つめの薬は大変おいしかったのを思い出しました!何でしょう?今まで味わったことのないほどおいしかったですわ!」
悪霊の調伏で朦朧とした意識の中、飲まされた変な液体のうまみを感じるとはこの人のメンタル鬼並みだな。
次に話を聞いたのはある貴族の真如という姫だった。
御簾越しで真如は、小声でぽつりぽつりとさっきの二人と同じような事を言ったが、違ったところはこの真如は寂運僧都の調伏を何度も受けているという事だった。
その理由を若殿がきくと真如は
「なぜかしら、また行きたくなるのです。炎の揺らめきと、煙の匂い、あの苦痛とそこから解き放たれる快感・・・とすべてが忘れ難いのです。」
とうっとりと話す。
「症状は改善しましたか?」
「さぁ?父上が私がぼんやりしすぎていると心配して護摩をうけさせたのですが、自分では何とも。」
と自主性の感じられない答え。
その後も何人か話を聞くと他には「読経の声が怖ろしかった」や「身体が急に痙攣した」とか「目の前に色とりどりの模様が浮かんだ」とか様々だが、共通していることは護摩行の手順と二種類の液体を飲んだということ。
「腹痛や吐き気や痙攣や幻覚はその液体のせいですか?」
と私が聞くと若殿は
「いや、煙や、火にくべた供物のせいかもしれない。」
「寂運僧都の読経のせいかも?催眠術とか?」
若殿は考え込んで
「もう一度、寺にいって話を聞こう。」
次の日、もう一度、寂運僧都の寺を訪れ多喜に話を聞いた。
「護摩木や供物の調達は誰がしているのですか?」
と若殿が多喜に尋ねると、多喜は若殿の腕に自分の腕を絡ませ、脇腹をつついてくねくねしながら
「まぁ。堅苦しい話ばかり。今日も二人きりになってお話でもいたしますか?」
と若殿の顔を上目遣いでみている。
若殿は
「そうですね、煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)についてでも話しますか?」
多喜は笑って、
「ふふふ、おもしろい方ね。護摩木や供物の調達は無頼という下人がやっております。今ちょうど裏の林にいますわ。」
と言いながら若殿の腕から離れた。
若殿は礼を言って私と裏の林に向かった。
無頼は私に護摩行の延期を伝えたあのガタイのいい無精ひげ雑色で、大きい枝から鉈で小さい枝に切りそろえているところだった。
若殿は無頼に向かって軽く会釈し、
「少しお聞きしたいのですが、護摩木や乳木や供物にはどんなものを使っていますか?」
無頼はめんどくさそうに手を止めずにぼそりと
「護摩木には白膠木や柔らかい木ですね、乳木には桑など何でもいいですが生木をつかいます。供物には寂運僧都の命令通りに、木の実や花、キノコや果物や米ですかね。」
「寂運僧都が飲ませる液体は何が材料かわかりますか?」
無頼は少し手を止めて、腰を伸ばして若殿を不安そうに見る。
「何かまずいことでもありますか?犯罪というような。」
若殿は大したことはないというように手を振り
「いいえ、別に、そうではありませんが、どんなものが入っているのか気になったのです。」
「取ってきましょう」
と無頼は厨に入ってカサにイボの付いた乾燥キノコや八角形の木の実、菊の花や栗や橘の実などが入った巾着を持ってきた。
「これを少しずついただけますか?」
「ええ。そのために持ってきました。」
と無頼は巾着ごと若殿に渡した。
(その4へ続く)