多勢の豚(たぜいのぶた) 後編
廉子女王様のお使いと名乗る侍女は
「あの~~私、姫様宛の恋文に興味がありまして、中身を見てしまいましたの。そして毒の話を伺って怖ろしくなりまして解毒剤をいただきたいと思いまして。」
若殿は私に向かってニヤリとして
「な?」
お使いの侍女に向かって
「何人分ですか?」
侍女はえ?という顔をして
「一人分ですわ」
「中身はどんなものでしたか?見たんでしょう?」
侍女は思い出すようにそして違和感を感じたように
「政にかかわると姫様に伺ってましたが、私が見たものは恋の歌でしたわ。どうして恋の歌が政に関係あるのでしょう?」
私と若殿は訳が分からず顔を見合わせた。
「それよりも!解毒剤を早く頂きたいですわ!」
と侍女が焦るので、若殿は私に『水を持ってこい』と耳打ちした。
私が水を侍女に渡すと侍女がそれを飲み干すのを待って、
「本当にあなただけが中身を見たんですね。廉子女王様は見ていないという事ですね。」
と侍女に確認し、やっと納得した。
侍女は礼を言って帰ったが、私には疑問がたくさん残った。
「荘園目録じゃなくて恋の歌だったと言ってましたが、なぜですか?あの侍女が荘園目録を隠し持ってるんですか?それならなぜ恋の歌だったなんて嘘をつくんですか?」
「解毒剤を一人分しか必要とせず、しかもその場で飲み干したという事はあの侍女だけが文を触ったということだから、荘園目録を隠すとしたら彼女だけだ。」
「伴鮫雄様が荘園目録を持っているという疑いは完全に消えたんでしょうか?」
「廉子女王様の侍女が勘違いして別の恋文をみて、荘園目録はそのまま伴殿の手に渡った場合は考えられるが、護衛を求めなかったことから、どちらにしても伴殿は何も見ていないだろう。」
「廉子女王様の侍女が荘園目録を隠しているならなぜ返すように言わなかったんですか?」
若殿は考え込んだが
「いや、廉子女王様の侍女は嘘をついておらず、すべてを説明できる仮説が一つだけある。」
「えぇ!それは何ですか?」
「それは・・・」
私は緊張して次の若殿の言葉を待っていたがそこへ大殿が現れた。
「太郎。荘園目録を回収できたのか?」
と大殿はなぜか面白そうに尋ねる。
若殿はこちらも口の端をゆがめて笑い
「ないものは回収できません。」
「どういうことだ?」
「伴鮫雄殿が燃やしてしまったと言っていました。」
大殿は満足そうにうなずいて
「それなら仕方がないな。ご苦労だった。」
とねぎらい、立ち去ろうとすると
「父上、一つ聞きたいことがあります。」
と若殿がうつむき加減で視線を合わさず大殿に尋ねると、大殿が立ち止まり振り返ったが同じく視線を合わせず
「何だ」
「良心に呵責はありませんか?私は父上を信じてよろしいのですか?」
「いざとなったらわしがお前を助けてやるから信用しろ。我が子を悪いようにはせん。」
「承知しました。」
若殿はいつになく真剣な顔をしていた。
私は二人の会話の意味が分からずキョトンとしていたが、どうやら『すべてを説明できる仮説』に関係がありそう。
若殿に勢い込んで
「一体、荘園目録はどこにいったんですか?大殿が関係してるんですか?」
というと、若殿は
「そうだ。父上がわざと荘園目録を隠し、恋文の複製を作り、伴殿の恋文とすりかえ、伴殿の恋文を帝に提出したのだ。」
「なぜ?大殿はそんなことをしたんですか?」
「考えられることは、父上がその荘園目録をすぐには帝に提出したくなかったからだ。そこには父上に不都合なことが書かれてあった。」
「例えばどんなことですか?」
「例えば我々藤原家の所有する荘園をあわせて、租税で表した額が、皇族全体のそれの額を上回っていたとしたら?帝はどうお思いになるだろう?我々から荘園を取り上げる仕組みを考えようとなさるかもしれない。」
私も思いついて
「そして藤原家が地方貴族や富豪農民から荘園の寄進を過剰に受けていると疑われたりするということですか?」
「そう。そうでなくても太政官が符を発行して認めた免田(*税金を免除された田)の増加は政府の税収を減少させるからな。」
「大殿が符を発行して免田を作り、その見返りに免田を寄進されていることで関白といえども糾弾されるという事ですか?」
「いや。それを罰する法律は今のところない。だから、父上が罰せられることはない。ただ、我々の私腹が肥える一方で、政府の税収が減少し、民が窮乏するという道徳的な悪があるだけだ。」
と若殿は苦渋の表情を浮かべた。
私は朝廷随一の権門・藤原家の太郎君でありながら、大殿の事を無批判で受け入れるほど、若殿は道徳的に堕落していないのだなぁと思った。
ただ、その潔癖さは普通の人間には疎ましく、傲慢に見えるかもしれないなぁとも思った。
だって、誰だってラクして自分の財産が増えることを願っているし、毎日お腹いっぱいに食べて、明日の食べ物の心配もない暮らしをしたいはずだ。
若殿が道徳的に正しくいられるのは、大殿が悪いことをしてでも精いっぱい働いて、今の地位を築いたおかげだし、そんな正義感は空腹を味わったことのないお坊ちゃん貴族の道楽だと思う人もたくさんいるはず。
若殿の正義感の真価が問われるのは若殿が太政官となった未来だ。
果たして私腹を肥やすことより、民のことを優先できるのだろうか?
私は若殿の未来を楽しみにすることにした。
私は『あれ?』とあることに気づいて
「でも、大殿はなぜ荘園目録をわざわざ若殿に準備させたんですか?自分で白紙でも持っていけばいいじゃないですか?」
「そうだ。そこが父上の慎重なところさ。私に準備させ、私が回収できないとなれば、父上には何の落ち度もない。」
「荘園目録がすぐに提出できないのを若殿のせいにするためですか!」
だから『信じてよろしいのですか』という会話!
大殿の深慮遠謀と我が子すら手駒として使うという非情さに舌を巻いた。
『もしかして伴鮫雄様に文を燃やすようにと大殿が命じたのか?』とすら疑った。
廉子女王様を若殿にしきりに進めてたのも大殿の根回しの匂いがする。
「じゃあ大殿は、作り直した荘園目録には藤原家の荘園の数を減らす細工をするということですか?そんな悪事を見過ごすんですか?」
と若殿に強く出ると若殿は半ばあきらめたような、苦しそうな表情で
「父上を責めることは・・・できない。
汚い飯を作って食う父上が豚だというなら、それを食って育った私も豚なんだ。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
権門勢家の勢家は「多勢之家」という意味だそうです。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。