憐憫の獄卒(れんびんのごくそつ) その3~地獄の鬼、不憫な幼子を憐れむ~
それに気付いた使用人がその対の屋に様子を見に行くと、朱が屏風や衝立や格子に体をぶつけながら、ドンドンと地面を踏み鳴らして歩き回り、刀を振り回していたそうだ。
その対の屋では妻子が寝ていたはずだと寝所を見ると、ピクリとも動かず横たわる数体の黒い影が見えた。
朱がピタリと立ち止まる目の前に、突如、七尺(210cm)はあろうかと見える大男が立ちはだかった。
大男は狩衣、烏帽子姿だったがそれまでどこに隠れていたのか、まるで空中から現れたようだった。
朱は大声で
「クソっ!!畜生ッ!!鬼めっ!!まだ仲間がいたのかっ!!このっ!始末してやるっ!退治してやるっ!!」
叫びながらその大男に切りかかるが、刀で切られても刺されてもビクともしない。
大男が低い地響きのような唸り声で
「終にやってしまったのだな!
周りをよく見て見ろ!
お前が殺したのは鬼ではない。
お前の妻と子供たちだ!
私の邪気にあたり、錯乱したのかっっ?!!それとも・・・」
朱はそこで正気に戻ったように辺りを見回し、頭を抱えて座り込み
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!何だっ!!鬼だった!妖怪だった!イヤッ!違うっ!こんなはずじゃないっ!!こ、殺したのは鬼のはずだったのにぃっっ!!!ぅぅぅーーーーっ!!!」
突っ伏して泣き叫んだ。
大男がおもむろに烏帽子を脱ぐと、頭には太い二本の角が生えていた。』」
えっ!!
「えぇっっーーーーっっ!!!本物の鬼っ?!!」
話の途中にも関わらず大声を出してしまった。
巌谷が眉を上げて驚き、若殿はチッ!と舌打ち。
巌谷が続けて
「さらにその使用人の話では、鬼は胸元から紙を取り出し、朱の目の前に突きつけ
『先日見せた地獄からの召喚状だ。
大判事・張というのはこの世での仮の姿で、私は牛頭の獄卒だ。
二十年前、幼子だったお前を地獄へ連れて行くはずだったが、お前が母親から酷い虐待を受け、心身ともに死に瀕しているのを見て可哀想に思った。
少しでも生かしてやろうと、持参した召喚状を破り捨て、お前の命をとらずにいた。
地獄へ帰れば閻魔大王に罰せられるのを怖れ、この世にさまよっていたのだ。
だがそのせいで、お前の残虐な行為を放任し、罪のない妻子や囚人たちを苦しめる羽目になってしまった。
物部たちが鬼のフリをする機会を与えてくれてよかった。
召喚状を用意できた今こそ本当にお前を地獄へ連れて行く!』
元・張だった鬼はそういうと姿をかき消し、朱はその場にバッタリと倒れ込み息絶えた。」
へぇ~~~っ!!
は~~~~っっ!!!
感心して
「その後、張もいなくなったんですよね?」
巌谷が渋い顔でウンと頷いた。
納得したものの、釈然としない気分になり、
「じゃあ、朱はもともと、二十年前に死ぬはずだったのを、獄卒である張に見逃してもらえてたってことですよね?
せっかく生き延びても残虐な事を繰り返しただけってことですか?
結局、殺された妻子と虐待された囚人が増えただけってことは、張が朱を助けた意味なんて全く無かったじゃないですかっ!!
子供のうちに朱を地獄に連れて行った方が良かったってことですよねっ!!!?」
興奮して唾を飛ばす。
若殿は眉根を寄せ、苦悩に満ちた顔つきで首を横に振り
「朱だって子供の頃に母親から受けた虐待の傷に苦しんでいたのかもしれない。
それを紛らわすために囚人を虐待したのかもしれない。
そうなるまいと固く決心したとしても、自分ではどうしようもできないこともある。
張はただ朱を哀れんだだけだし、朱は母親からの虐待で心を病んだまま大人になり、錯乱して妻子を手にかけた。
誰が悪いとも言えない。
自分の行動すべてに責任をとることなど、不可能なのかもしれないな。」
ポツリと呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この話は元ネタを
「岡本綺堂 著『中国怪奇小説集』『異聞総録・其他(宋)』『張鬼子』」
と
「岡本綺堂 著『中国怪奇小説集』『子不語(清)』『平陽の令』」
からとって合わせています。
落ちは全く異なっております。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。