多勢の豚(たぜいのぶた) 前編
【あらすじ:父君の急な命令にいつも素直に応じる時平様だが、やっぱり悪いことはしたくなさそう。
でもいい暮らしをするためにはやむを得ないのか?時平様は今日もドンヨリ悩まされる。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は豚の子は豚?というお話。
ある日、朝政が終わって応天門を出てきた若殿は文箱を手に腑に落ちない顔をしていた。
「若殿、何ですかその文箱は?」
「いや、伴鮫雄という貴族に頼まれて、この恋文を廉子女王というある親王の姫のところへ届けることになった。」
「恋の仲立ちを朴念仁の若殿に頼むとは、世間知らずですねぇ。」
怒るかと思ったのに若殿は同感だと言った口調で
「そうなんだ。それほど親しいわけでもないのになぜ私に頼むのかが分からん。まぁ引き受けた以上は届けるとするか。」
と廉子女王のところへすぐに出かけるかと思いきや文箱を文机の上に置いたとたん大殿から呼び出された。
「太郎、最新の荘園目録(*開墾された田とその管理のために建てられた家屋を合わせて荘園という。その荘園の所在と持ち主などを記した書)をな、我が家の書庫にあるはずなのじゃが、それを急に主上が確認したいと仰せでな。明日までに探しておいてくれ。」
私はなぜそんな公的な文書が藤原邸にあるのか不思議に思ったが、若殿は
「承知しました。」
とすぐに探しに行った。
私は若殿が探し出して見つけた最新の荘園目録を文箱に入れ伴鮫雄様の恋文の入った文箱の横に置いておいた。
若殿が伸びをしながら面倒くさそうに
「竹丸、明日でいいから、伴殿の恋文を廉子女王様に届けてくれないか?私の代理だと言って。」
「若殿、いいんですか?伴鮫雄様は若殿の権力を笠に着て廉子女王様に言い寄りたいのでは?」
ますます、興味がないという顔で若殿があくびをしながら
「お前が私の代理だと言えば同じ笠を着れるだろう。それで伴殿の思惑も果たせるだろう。」
というので次の日の朝、私は文机の上に一つ残っている文箱を持って廉子女王様のところへお使いに出かけた。
もちろんちゃんと廉子女王様には『蔵人頭兼、右近衛権中将・藤原時平の代理で伴鮫雄様からの文を持ってきました』と(何じゃこりゃ?と思いながら)ややこしい口上を述べて。
若殿が大殿に呼び出されたのはその日の夜だった。
大殿は険しい顔をして若殿に向かって
「わしが主上にさしだした文箱を開けなさって中の書をご覧になった主上の顔をお前にも見せてやりたかったわ。」
「どういう意味ですか?」
「一瞥なされ、妙な顔をされた後、『一の大臣、これは恋文だが、まさか朕に恋しているわけではあるまい!わっはっは!』とお笑いになってな。とんだ大恥をかいたわ!」
と言葉の割にはさほど恥ずかしそうでもなく楽しげに大殿は話す。
若殿は私を見て『やってくれたな!』と目で叱ったが、私は
「私は一つ残っていた文箱を廉子女王様のところへもっていっただけです!間違えたのは大殿です!」
とヒソヒソと反論した。
若殿は大殿に向かって真面目な顔で
「荘園目録は伴殿の文と間違えて、竹丸に廉子女王様の元へ運ばせてしまいました。」
大殿は少し表情を引き締め
「誰が見ても別に構わんもんだが、悪用されてはいかんから回収しておくように。」
と命令した。
廉子女王様の屋敷へ今度は若殿と一緒に出掛けると廉子女王様は御簾越しに会ってくれて
「伴殿という方は多情な方と聞いておりますので、わたくし、文箱も開けず、文も見ずに使いのものをやってそのまま伴殿に返しましたの。」
と風鈴のような涼やかな、可愛らしい声でいうので、私は前に出て
『浮気な男がお嫌いなら、うちの若殿は一途で純情な男ですよ~~』
と営業しようかと思ったが若殿が首根っこをつかんで引き戻す。
若殿が怖い顔をして
「ならば、あなたの身は安全ですね。実は竹丸が間違えて届けたあの文は政の成否にかかわる重要文書なのです。本当にあの文に触っていませんね?もし触っていたなら・・・」
と御簾越しに廉子女王様を見つめる。
「もし触っていたなら、どうなりますの?」
「盗人が触ると毒に当たって死ぬようになっています。我々は無毒化する薬を塗ってから触るようにしています。」
と若殿が真剣なまなざしで言うと廉子女王様は
「まぁ!怖い。触らなくてよかったわ」
とほっと溜息をついた。
私は『若殿はなんでこんな嘘をつくんだろう?』と思ったが、若殿は続けて
「では、もし文を触ったものがいるなら私の屋敷へ来るようにしてください。解毒剤を渡しますから」
と言い、屋敷を辞すことにした。
続けて伴鮫雄様の屋敷を訪れ面会した。
伴鮫雄様は気の弱そうな、ひげのないツルっとした顔にハの字型の細い眉の貴族だ。
若殿が正直に
「申し訳ありません。頼まれていましたが、竹丸が間違えて別の文を廉子女王様に渡してしまったのです。」
と謝ると
「いえいえ。どうせ、中も見ずに突き返されたのです。あの方は親王の娘で高貴な上に、大変美しいと噂に聞いて、身分違いにも懸想してしまいました。
私などとても相手にしてくれる方ではなかったのです。頭中将殿の方がお似合いでしたでしょう?どうでしたか?姿を見ましたか?声はどうでした?美しかったですか?」
と興味津々だが、フラれた相手を若殿に進めてくるのはどういう意味?
若殿も変な奴だなと思ったようだが
「お声は可愛らしかったように思いますが、私は興味を持ちませんでした。ところでその書をどうしました?」
伴鮫雄様は何でもないというように
「ああ。もう燃やしてしまいました。」
「中を読みましたか?」
「いいえ。自分の書いたものを読み返す必要はないでしょう?」
「本当ですか?」
伴鮫雄様は驚いて
「どうして気になるのですか?あれは何か重要なものでしたか?」
若殿は緊張した顔つきで
「実はあれは高貴なお方にまつわる重要な機密書類なのです。あれを見てその秘密を知ってしまったものが次々と変死しているのです。」
「なぜ?誰に殺されたのですか?」
「死因は調査中です。あなたがもし内容を知ってしまったとしたら、護衛を手配しますが。」
伴鮫雄様は考えこんでいるが
「でも、私は本当に中身をみてないので、何も知りません。心遣いはありがたいのですが、内容さえ知らなければ命を狙われないのでしょう?」
と心配そうに尋ねると、若殿は少し眉を挙げたが
「ええ。そうです。では大丈夫ですね。」
と拍子抜けしたようだった。
私は『また変な嘘を若殿はついてる。なぜそんな必要があるの?』と疑問。
屋敷へ帰り、若殿の部屋である北西の対で私は若殿に
「なぜ内容を見てないか鎌をかけてまで確かめたんですか?」
ときくと、若殿は
「荘園目録に何か使い道があって、隠し持っているかもしれないからな。」
「何の使い道があるんですか?そういえば、燃やしたっていってましたが、燃やされてしまってもいいんですか?」
「どこかに少なくとも去年の目録はあるだろうからまた作り直すのだろうな。」
私は伴鮫雄様と廉子女王様が偶然中身を見ずに済ますということがあるだろうか?と疑問に思ったので
「もし、二人とも荘園目録であることを知っていて隠したとしたらどうなりますか?」
「もし廉子女王様が隠しているなら伴鮫雄様には白紙か適当な文字を書いた紙を返すだろう。そして解毒剤を求めてくるだろう」
とその時ちょうど廉子女王様のお使いと名乗る侍女が現れた。
(後編へ続く)