初花(はつはな)の色 後編
広い広い右大臣家を思う存分歩き回って、豪華な調度品や芸術品やおいしそうな料理やお菓子やきれいな侍女たちを堪能して大君の房に戻ってきたころには、若殿は料紙箱をあさっていた。
その料紙箱には、まだ使われていないまっすぐできれいな料紙もあったが、のびきったヨレヨレの料紙も何枚もあった。
右大臣家って見かけより裕福じゃないの?悪い紙もつかってるの?権力を究めても案外家計は大変なんだなとなんとなく思ってると、
「竹丸、収穫はあったか?」
「いいえ。お菓子と料理の味見だけで、お土産まではくれませんでした。」
あっ!賊を探しにいったことをすっかり忘れてた。
「いえっ!賊の染治はどこにもいませんでした!」
若殿はフフンと鼻で笑って、
「大君を襲った凶器をみつけたのでこれから大君に確かめに行くが一緒に来るか?」
もちろん!と何回もうなずいて若殿について大君のいる几帳の後ろへいく。
「大君、あなたの手首の傷の原因はこれですか?」
と若殿は血の付いた一枚の料紙を大君に見せた。
その高級な料紙は折り目がついていたが、薄くて縁がまっすぐだった。
それにしても柔らかい紙で手首を切れるのだろうか?
「縁だけ1枚になるようにして、あとは強度を持たせるために折り曲げ、手首に当て素早く引き抜けば、木よりも柔らかい肉は切れる。」
と若殿。
確かに血がついているので、本当なら自分の手以外で試してみたい。
大君はぼんやりとその紙を見ていたが急にわっと泣き伏した。
大君の手首には包帯が巻かれていた。
私は包帯が巻かれる前の大君の手首に、新しい切り傷以外にも、治った形跡のある傷があったのを思い出した。
もしかして、大君は自分で手首を切ったのか?
それも何回も?
右大臣が『この房に刃物はないはず』といってたのも、以前自分で傷つけたことがあるせい?
「あなたが自分でやったのですね?」
と若殿が柔らかな声できくと、大姫は顔を床に伏せたまま頷いた。
私は『若殿!理由を聞いてください!』と心で念じたが、若殿は気配りのできる人らしく何も言わずその場を離れた。
料紙箱からヨレヨレの数枚の紙のなかから一枚を取り出し、
「これが原因ですね?」
大君は顔を上げ、赤い目をしてそれを見ると頷いた。
私はその紙には文字が書いてないことと、ヨレヨレで粗悪なものという以外に何も見いだせなかった。
若殿はまた別の青色一色に塗られた紙を私に差し出し
「竹丸、この青花紙(*『あおばな』の色素を和紙に染み込ませたもの)から濡らした筆で染料を取って、水を張った茶碗に溶いて色水を作ってきてくれ」
と言われその通りにした。
青い色水を若殿にわたすと若殿は大君に
「いいですか?」
と聞き、大君は頷いた。
若殿はヨレヨレの紙を色水に浸して紙全体になじませた。
すると、生成り色の紙にうっすら文字のようなものが透明になって浮かび上がった。
しかし文字が滲んで何が書いてあるかは判別できなかった。
「若殿!読めませんね!」
「これは以前、水に浸かってるから文字の成分が水に流されたんだ。一度目は読めただろう。ね?大君?これをやり取りする方と恋仲だったんでしょう?」
姫はまた突っ伏して肩を震わせて泣き始めた。
横で見ていた侍女が、ため息をついて話し始めた。
「姫様の代わりに私が話します。姫様はある殿方と恋仲になり、他の人には読めない文をやり取りしていたのです。
しかし、結局その殿方とはうまくいかず、別れてから大層お嘆きで・・・その・・。
何度も手首をお切りになるので、刃物や尖ったものを房に置かないようにして、私がおそばで見張っていたのです。
まさか紙でお切りになるとまでは思いませんでした。」
「では、賊は作り話ですか?」
「そうです。誰も出入りしていません。御簾が揺れたところも見てませんから。」
「なぜその方とうまくいかなかったのですか?浮気者だったのですか?そんな男のために自分を傷つけるなんてばかばかしいですよ!」
と私は好奇心と同情心からつい口をはさんでしまった。
それになぜ他人に見られて困る文を書く必要があるのだろう?
文のやり取りは貴族の嗜みなので、他人に読まれたって恥ずかしくはない。多分。
文の歌が本になってるくらいだし。
「身分が違うからよ。」
と、急に大君が身を起こして背筋を伸ばして座り、赤い腫れた目でこちらをみてきっぱりと言った。
「四日前に暇をだされた染治が、あなたの恋人ですね。」
と若殿。
「『だった』のよ。でも、その侍従の言う通り、故郷で許嫁と結婚するからと突然帰ったのよ!二股かけられてたの!私がこんなに悲しむ必要なんてなかったわっ!」
と早口でまくしたてた。
でもまたすぐ、涙がボロボロと頬をつたってこぼれ落ちた。
強気な言葉と崩れそうな態度が健気で胸を打たれた。
下人と貴族の姫様では結婚は無理だろう。
かといって、駆け落ちするほどの情熱はないということか。
でも少なくとも大君は自殺しようとするぐらい思いつめてるという事は、薄情なのは男のほう。
大君が可哀想だな、若殿が慰めてあげればいいのにと思って若殿を見ると、深刻な表情を浮かべていたが、慰めるほどの気はきかない。
仲良くなるチャンスなのに。
「わ、私は・・・、家を出て、彼の実家の染屋の嫁として暮らすつもりだったの・・・。もうすぐ・・・もうすぐ一緒に行くはずだったのに・・・」
大君が鼻をすすりながら話すと、若殿が
「そうですか。残念でしたね」
と他人行儀。それでも大君は
「私がまだ幼いころ、染治が家にやってきて、そのころから、ずっと・・・ずっと一緒いて。今になって離れて暮らすなんて・・・。耐えられない・・・。」
とまた泣き伏す。
若殿は本当に困った顔をしていたが、簡単に女性に触れるわけにはいかないので、手持ち無沙汰にしてる。
「別のいい人がみつかりますよ!元気を出してください」
と私が無責任な事を話しているうちに侍女に手招きされて、若殿が庇に出たので私もついてった。
侍女が
「実は、最後の文は大殿にすり替えろと言われてすり替えたんです。姫様が読んだ『故郷で許嫁と結婚する』という文は私が作りました。」
「どうやって作るんですか?」
好奇心からつい口をはさむと
「灰汁の上澄みでかくと乾くと何も書いてないように見えるのよ」
若殿が
「続きをどうぞ」
「姫様は染治が書いた本当の最後の文の内容を知らないのです。」
「つまり右大臣が姫と染治の密通に気づいて仲を裂いたんですか。」
「・・・ええ。そうですわ。姫様は右大臣家の大切な娘ですから。」
政治の駒としても、交友関係の構築にもね。
「最後の文の内容は誰も知らないのですね?」
「はい。私も大殿も見ても仕方がないし、姫様には未練を残すような文なら見せられません。」
「『一緒に死にましょう』なんてあったらやっかいですものね」
と私はいらぬ口をはさむ。
でも大君がますます不憫になった。
恋人の本当の最後の言葉も知らずに、二股かけられて逃げられたと思ってあんなに悲しんでる。
たとえ手遅れだとしても大君が次の恋に希望を見出せるように!
と綺麗ごとはさておき、染治は最後に大君に何を言ったのかが気になるので
ちらと、若殿を見て
「色水作ってきましょうか?」
「頼む。」
作った色水に侍女のもってきた文を浸してみると透明の文字が浮かび上がり、次のような歌が記されていた。
『紅の 初花染めの 色深く 思ひし心 我忘れめや
(紅の初花染の色が濃いように、深くあの人のことを思った心を私は忘れようか。)』
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
色水は、つつじでやってみて、灰汁で書いた文字が青くなるはずが透明だったのでこうしました!
濃い赤とかならもっと面白かったのかもしれません。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。