昔日の夜這星(せきじつのよばいぼし) 後編
若殿は三人に
「では、想像でいいので、間男はどんな風采の男だと思いますか?順番に答えてください」
宗岡様はちょっと考えて
「権中納言より年取った老人だと思います。」
御崎様も目をつぶって考えて
「私より若い貴族だと思います」
紀様は
「色白で虚弱な、高貴な身分の方だと思います。」
若殿は権中納言にも
「あなたはどんな男だと思いますか?」
「私ぐらいの年か少し若い、同じぐらいの身分の貴族」
若殿は軽く笑って
「では、例えば、どんな匂いのする奴だと思いますか?できるだけ具体的にお願いします。たとえば焼き魚の匂いがするだとか。」
私は『変な質問だなぁ』と思ったが、
宗岡様は思い出したようにして微笑んで
「牛乳の匂いがするんじゃないですかね」
御崎様は楽しそうに笑って
「いやいや、馬糞の匂いじゃないですか」
紀様も少し考えて笑って
「多分、完熟梅の匂いですよ!」
権中納言はそれを聞いて不思議そうに
「鬢付け油の匂いか、たきしめた香の匂いでしょう?普通。」
私は権中納言以外の三人の言葉があまりにも具体的だったのでちょっと驚いたが、若殿はしめしめという顔をしている。
「ところで、最初に北の方の房から出てきた男を見たと言った雑色はいつからここにいますか?彼をよんできてください」
権中納言は雑色・浪速益荒男を連れてくると
「うちにきてもう三年になりますかね。よく働く、正直な男で、何でも上手くやるので頼りにしています。」
浪速益荒男は若殿にペコリと頭を下げた。
浪速益荒男は三十代半ばの日に焼けた、逞しい、肉体労働はじめ何でも軽くこなしそうな頼もしい感じの、涼しげな眼をして顎が少し張っているが整った顔立ちの男だった。
若殿は浪速益荒男に
「貴方はここに来る前、どこで働いていたかを言えますか?」
え?一週間前、北の方の房から出てくる誰を見たか?の質問じゃないの?
と私は目がテン。
浪速益荒男は困った顔をして言いにくそうに
「それは・・・その・・・」
と口ごもる。
若殿が
「あなたは宗岡様、御崎様、紀様の屋敷で以前、料理人、従者、庭師として働いていたのではないですか?」
「えぇっ!?どーしてわかるんですか?」
と私が思わずいうと
若殿が
「嘘をつくときは、具体的に思い浮かべてみてそれに手を加えて表現するのが一番手っ取り早い。
三人が間男が誰かを知っていて風采を言い表そうとしたときは、質問が抽象的だから思い浮かべた浪速益荒男と真逆の像をゆっくりと考えながら描くが、
匂いのような感覚的なものを具体的に描こうとすれば、思い出すままをすぐに言ってしまうだろうと思ったんだ。」
「えー!三人ははじめから間男が浪速益荒男だと知っていたんですか?」
「そう。お互いをかばいあうような優しい方達なら当然、本当の相手を知っていたとしてもかばうだろう。
浪速益荒男は権中納言に聞かれとっさに思いついた親しい三人の名を挙げてしまったが、その三人なら自分を守ってくれるかもしれないという思惑もあったはず。」
浪速益荒男は落ち込んだ顔をして
「一週間前の夜中、彼女の房の近くにいるところを、主に見つかってしまって、とっさに『男が房から出ていくのを見た』と嘘をついてしまったのです。主に追及され、見かけた間男に似た風貌の男の名を挙げろと言われ、一人ではすぐに嘘がばれると思い、三人の名前を言いました。
・・・三人には濡れ衣を着せるような真似をして本当に申し訳なく思っています。私は以前の働き先でお世話した三人の少年たちが今でも私を慕ってくれてるのを利用しました。」
「今でもお互い近況報告の文を交わすような間柄なのですね?」
浪速益荒男はうなずき、宗岡様、御崎様、紀様はうつむいて黙り込んでいた。
宗岡様がぐっと顔を上げ浪速益荒男に向って微笑み
「浪速益荒男は私に蘇(乳を煮詰めた乳製品で美味しいもの)を作ってくれたんだ。初めて蘇を食べたときその美味しさにびっくりしたので今でも浪速益荒男を思い出すときはその匂いがするんだ。」
御崎様は
「私もはじめて馬に乗った時、馬の口を引いてくれたのが浪速益荒男だった。」
紀様は
「子供のころ、完熟梅の桃のようなにおいに惹かれ、取ってくれとせがんでとってくれた梅の実を食べてみると酸っぱかったのが印象に残ってね。」
とそれぞれ浪速益荒男との思い出を語る。
ここまでは子供のころのほっこりしたいい思い出に浸る和やかな雰囲気だったが、権中納言だけは顔を真っ赤にして怒っていた。
「お前が・・・!お前が俺の女を寝取ったのか!この野郎!許せんっ!殺してやるっ!二度と起き上がれんようにしてやる!」
と浪速益荒男につかみかかって殴ろうとこぶしを振り上げると、若殿が間に入って
「浪速益荒男を殺すと北の方も死ぬとおっしゃったのでは?いいのですか?」
と権中納言をじっと見つめる。
宗岡様が若殿と同じく間に入って権中納言を制し
「浪速益荒男は本当に北の方を愛していて、駆け落ちしようとするまで思い詰めていたのです!」
「浪速益荒男はあなたに申し訳ないと何度も文に書いていました!」
「そうです。いっそのことあなたに打ち明けて二人で屋敷を出て暮らそうと考えていたと!」
御崎様、紀様も口々に暴露した。
私は純愛だなぁ~~と感心したが、浪速益荒男の口が軽すぎて不義密通なのにベラベラしゃべり過ぎなのはいかがなものかと思った。
浪速益荒男は
「殺すなら、私だけにしてください。彼女は私にそそのかされただけで何の罪もありません。私一人を殺してください。」
と泣きながら土下座した。
後日分かったことは結局、権中納言は北の方と離縁して、北の方は浪速益荒男と一緒になるらしいということだ。
帰り道、夜空を眺めて歩きながら若殿に
「そういえば、一週間前、御崎様が宗岡様と朝まで飲んで過ごしたというのは本当なんですかねぇ?宗岡様は御崎様の狩衣の色を知ってたわけですし。」
「御崎様が『寅の刻に明日香へ旅にいった話で盛り上がった』と言っていただろう?明日香には中国の四神である、白虎、玄武、朱雀、青龍をモチーフにした古墳がたくさんある。虎といえば白虎だろう。」
「だから白ですか!」
と私は納得。
空を見上げると一筋の流れ星がスッと流れたので
「あっ!流れ星です」
と私が興奮して叫ぶと、若殿が見上げ
「ああ、また一つ、夜這星が落ちたな。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
流れ星の昔の呼び方である「夜這星」は確かにロマンチックじゃないですよね~!
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。