独り夢想の針(ひとりむそうのはり) その1
【あらすじ:使い古した針を労って、技芸上達を願う『針供養』にお伴した私は、ある裁縫上手な女性とその従者の妙な会話を耳にする。各々が出来事を、自分勝手に解釈した結果が命の危機をもたらすとなると、確認は怠らないでおこう!とつくづく実感。時平様は今日も実の妹には自ずと冷淡で無関心を貫く!】
私の名前は竹丸。
歳は十になったばかりだ。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭兼右近衛権中将・藤原時平様に仕える侍従である。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は蒟蒻より綿を詰めた針山の方が柔らかいですよね?というお話(?)・・・ではないです。
外回りのときは温石(石を温めて真綿や布などでくるみ懐中に入れて胸や腹などの暖を取る)が恋しくなる初冬のある日、というか十二月八日だが、めずらしく私は、若殿の異母の妹君・逸子姫のお伴で出かけることになった。
京の郊外、西の山際にある法輪寺へ、折れ、曲がり、錆びなどによって、使えなくなった縫い針を供養するために奉納する『針供養』に訪れた。
逸子姫は十代半ばの、若殿に似た涼やかな切れ長の目元で、ぷくっとした頬にあどけなさが残る、親しい友人、家族に囲まれてるときには勝気でおしゃべりになる姫君。
母君と死別し、身寄りが無くなって以来、関白家で育ち、苦労知らず・世間知らずで育ったせいか、関白家のお姫様という自負の強い、自惚れ屋のところがある。
そんな逸子姫が待子という、中流貴族の娘と『針供養』へ出かけることになった経緯は、大奥様が裁縫の技術を逸子姫に身につけさせようと、家庭教師として屋敷に待子を度々招いたことから、親しくなったようだ。
嵐山の紅葉を見物ついでに、『姫君たちのお伴』は楽な仕事かと思われたけど、片道十五里(8.2km)の歩きは結構しんどい。
姫君たちはもちろん牛車なので、牛と、牛飼童と、亥兎丸という待子の従者と私が徒歩だった。
待子は二十代後半の縫殿寮の縫部(衛士などの衣服を裁縫する技術者)をしていた役人を父に持つ、裁縫の名人で、関白家の姫君や大奥様は袿や単衣や袴の仕立ての仕事を依頼してる。
私も以前、関白家で待子を見かけたことがある。
頬がこけ、眉間にしわのよった、血色の悪いピリピリ雰囲気はいつものことだが、今日は特に目じりがピクピク痙攣して、心配事があるのか落ち着かない様子だった。
ボンヤリ歩くのも暇なので、牛車の軋む音の合間に聞こえる待子と逸子姫の会話に耳を澄ませる。
逸子姫が
「ねぇ、待子さん、聞いてくださる?つい先日、播山という縫殿寮のお役人から恋文を頂いたの。でもぉ~~わたくしは、関白家の息女でしょう?姉上は今上帝の妃(藤原温子)ですしぃ、他の姉上たちもことごとく代々の帝の女御でらっしゃるでしょ?将来は帝か皇子様か、親王様の妃となるのが相応しいと父上も母上も、口には出さないけど、考えてると思うんですぅ~~。でも播山は縫殿允で従七位上相当でしょ?身分が違いすぎると思いますのぉ~~。どう思われます?」
待子の父君がその縫殿寮の職人であったという事実を知ってか知らずか、さらに上司の縫殿允を見下すような発言を平気でしてしまうところが残念な人だが。
権門勢家の子女ともなれば、自然と傲慢になってしまうのかも。
でも、播山が出世して公卿にならないとも言い切れない。
待子は少しも意に介していないような声色で
「そうですわね。姫様には相応しくない身分ですわね。お断りの文は送られましたの?」
「ええ。でもしつこくて!何度も送りつけてくるんです!内容も狂気めいたもので、死ぬまであきらめないだの、呪い師を雇って恋が成就するよう祈っているだのと怖ろしいことばかり書いてあるの!それが怖くって!!!もし無理強いなんてされてしまえば、帝に嫁げなくなってしまうわ!わたくし、悔やんでも悔やみきれない!もしそんなことになれば、一生恨んで呪い殺してやるっ!!」
う~~~ん。
まだ起こっても無い出来事に、これだけ感情移入できるのは立派。
そんな事になればホントに殺しかねない?
そんなこんなでやっと法輪寺へ到着し、牛車から降りた壺装束姿の姫君たちと山門をくぐると、赤や黄に色づいた落葉樹の枝が、歓迎するように垂れ下がる参道をゆっくりと登った。
石段と石畳で緩やかな坂になってるけど、もう少しで目的地だ!と頑張る。
その道中、従者の亥兎丸が待子に話しかけてるのが何となく耳に入った。
亥兎丸が声を弾ませるけど、内緒話のように
「姫様、小さいころは蒟蒻に針をブスブス刺す感触が好きだとおっしゃって、毎年この日が来るのをウズウズして待ってらしたでしょう?今でもお変わりないですか?それと、今年は東市で買った蝦夷のアレも奉納なさるのでしょう?」
キッ!!
待子が信じられない!というように驚いた土色の顔で、大げさに亥兎丸の方を振り向いたかと思うと、眉間に深い皺をよせ、亥兎丸を睨み付けると、そのまま無言の数十秒。
その後、小さな低い声で
「お前、もしかして、わたくしを・・・・・・。
は、針は奉納して悪縁を断つわ!そうして後腐れなく全て忘れてしまうの!
でも、一つだけ心配なのは、奉納した針を盗まれることね。そうなれば針を供養できないもの。」
(その2へつづく)