暗中飛躍の黒蛇(あんちゅうひやくのくろへび) その3
独楽回しの舞楽人が黒姫の周り一周してすぐに帷の中に入ると、次は何が起こるの?という期待とは裏腹に、何も起きない時間がしばらく続いた。
黒姫は池のほとりでウッウッ!とか『あぁどうしましょう!』とか時々言いながら、泣いている演技を続けるが一向に何も起こらない。
しばらくすると、人だかりのあちこちで、
「何だ?これで終わりか?」
「中途半端だな。どうなってる?」
声が上がり、観客がザワザワと騒ぎ始めた。
黒姫も観客の騒めきに反応して時々袖から顔を上げ、控室の帷のほうをチラチラ見る。
やっとのことで帷を揺らして、黒水干男が帯も締めず、髪は童のように垂らしたまま、水干もダラっと垂らした姿で現れた。
袴の色も白になってる。
池の真ん中まで来ると、一旦しゃがみこんで、ゆっくり立ち上がり咽喉に手を当て
「うっううっっ!!!苦しいっ!!何てことだっ!お前の気配を感じて飲み込んだはずが、髪の毛とともに刀子を飲み込んでしまったっ!!痛いっっ!!咽喉が裂けるっ!!
あぁっ!!こうなったら正体を明かしてやろう!私はこの池の竜神だ!黒蝮から千五百年の歳月をかけてやっと竜神となれたというのに!お前に恋したばかりにこんな最後を迎えるとは!
黒姫っ!!お前が憎い!恨めしいっ!!」
ドンッ!!!
ドドンッ!
ドンドンドンドドドドド・・・・ッ!!!
ピィ~~~~~~ッ!
ヒャラ~~~~~~~~~~~!!!
太鼓と笛の音が鳴り、
プゥーーワァーーーーーー!!!
だんだん音が大きく、強くなる篳篥。
激しい太鼓の地響きと、風のような吹き物の音に、思わず、上空に螺旋を描きながら舞い上がる枯れ葉、波が荒れ狂い逆巻く川面、嵐の中で激怒する竜神、の光景が目の前に浮かんだ。
黒水干姿の竜神は叫んだあと、黒姫を睨み付けながら、ザンバラの背中まである長い髪を振り乱し、喉を掻きむしりながら黒姫に手を伸ばし掴みかかろうと指を開いたり閉じたりする。
圧倒され、息をのんでみていると、竜神はもがきながらもゆっくりと池に沈んでいくように横たわり静かになった。
「あぁーーーーーーっっ!!!」
泣き叫びながら地面に突っ伏した黒姫。
黒姫のすすり泣く声と暗い曲が周囲に響き、悲しみの余韻が観客を包んだ。
ピッピッ!ピッヒャララ~~~~!
突然、曲調が変わり、明るい、軽い、律動的な、調べになった。
ムクッ!
黒姫と竜神が起き上がり曲にあわせて手拍子しはじめた。
竜神役の黒水干男が
「今回の公演はここまでとなります。ご観覧ありがとうございました。心づけはこの葛籠にお入れください。」
よく見ると最前列の中央には葛籠が置いてあった。
パチパチ拍手しながら若殿に
「面白かったですね~~~!興奮しました!竜神が人間の娘に恋する異類婚姻譚モノって禁忌な感じがゾクゾクしてたまりませんよね~~!」
若殿が怪訝な顔で私をジッと見つめ
「お前はときどき恋愛に関する趣味嗜好について大人より博識、というか変態的なところを見せるなぁ。」
変なところを探り出そうとするかのように上から下まで全身を隅々までマジマジと観察する。
変態って!!
失礼なっ!!
人より好奇心が旺盛なだけっ!!
若殿が私の変態度調査を終えると、控室の帷の方を見て
「何か思いがけない不慮の出来事があったようだ。話を聞きに行こう。」
控室へサッサと歩いていくので急いでついていった。
途中、アッ!と思い出し
「そういえば、変なものを見ました!僧坊の縁側に長い髪の毛の束が置いてあったんです!黒蛇かと思いましたよぉ~~!」
若殿が控室の帷をめくって中に入り、私も入ってグルっと周囲を見回すと、下げみづらの舞楽人姿の三人と、竜神役の黒水干男、黒姫役の女性の五人が、手をとめて闖入した若殿を見る。
幕で側面を取り囲んである控室の内部には大小の葛籠が地面においてあり、木製の足に布を張って折り畳めるようにした簡易腰かけである胡床や、衣がかけてある衣装掛けがあり、角には几帳で囲って目隠ししてる場所もあった。
高さ二尺(60cm)ぐらいの木枠に直径一尺四寸(42cm)ぐらいの太鼓をつるした釣太鼓もあった。
これがあのズンズン地響きするようないい音を出してたやつね!
若殿が誰にともなく話しかける。
「突然失礼します。今日の公演中何か困りごとが起きたのではないかと思いまして、お役に立ちたいと伺いました。ある貴族の雑色をしております、平次と申します。」
何の躊躇いも無く偽名を名乗る。
黒水干男はザンバラ髪を紐で束ねたあと、萎え烏帽子を頭にのせ、若殿に向かってニヤッと微笑んだ。
「では、我々の何を見て困っていると考えられたのか、理由をお聞かせください。」
(その4へつづく)