応身の厨子(おうじんのずし) その2
八支正道が主殿へ先立って案内し、我々がついていった。
主殿につくとそこは北西の角に塗籠があり、その他は東西南北それぞれに御簾で廂(廊下)と母屋を区切ってある、普通の寝殿。
母屋には屏風と衝立、几帳で寝所をしつらえている空間があるが、それ以外は座所としての畳と脇息、文机、文箱、料紙箱や、書棚が置いてあるぐらいで、人が隠れそうなところはない。
若殿が塗籠の妻戸をあけ放ち、外から光を入れ、調査するため中に入ったのについていく。
この塗籠の妻戸は東側一カ所で、他の三方向は土壁になってる。
中を見渡すと左壁ぎわには厨子、書棚、小さい櫃が数個並べておいてある。
奧には色とりどりの単衣を何枚も掛けてある衣装掛け、右壁ぎわには琴と琵琶、数本の反物が置いてあった。
小さい櫃は全て、一辺が一尺半(45cm)ぐらいかそれより小さい箱で、中を見てないけど人は入れなさそう。
幅二尺(60cm)ぐらいの四段の書棚には、経本が数冊ずつ積んだ束が、棚に隅から隅までぎっしり詰まってた。
なのに、書棚の下の床にも、ぱっと見、十数冊?の経本が落ちてた。
侍女がここで経本を探してたとき、変な声にビックリして落としたのかな?
この屋敷で一番豪華で人目を引きそうなものは、書棚の隣の立派な厨子!!
全体が黒漆塗りでツヤツヤの、高さ四尺(120cm)、直径三尺(90cm)ぐらいの円筒形の本体の上に八角形の屋根が乗ってて、小さいお堂みたい。
前開きの両面扉はキッチリ金具で閉じられておらず、少し開いてた。
若殿が扉を開くと扉の内側には梵天・阿難など仏の姿絵が金箔や截金を使って、キンキラな上に赤や青の色彩豊かで華麗で精緻に描かれてた。
「へぇ~~~~!凄いです!見事な芸術品ですよねぇ~~!そう言えば、厨子って中に何を入れるんですか?あれ?経本が数冊入ってますけど・・・」
若殿が中の経本を手に取りパラパラと見る。
「そもそも厨子とはおもに仏像や経典などを納めておく戸棚だ。ここは、経本を入れてたんだろうけど、数冊とは少ないな。すぐ読めるように横の書棚に出してあるのかもしれない。」
その他、塗籠内に、置いてあった小さい櫃を一つずつ開けて中身を調べると、壺や皿と言った骨とう品もあれば、絹織物や厚手の帷用の布が入った櫃もあった。
単衣の掛けてある衣装掛け、琵琶や琴や反物にも別に変なところは無かった。
侍女が塗籠の中に入るのも恐ろしそうに、妻戸のある入り口で中にいる我々におそるおそる話しかけた。
「どうですか?声の原因はわかりました?」
若殿は首を横に振り
「いいえ。二人の人が隠れられそうな場所はありませんね。床下の鼠や猫、鼬といった動物の鳴き声を聞き間違えたのでは?」
侍女がムッとしたように尖った声で
「そんなはずありませんわ!会話もしっかりと覚えてます。確か、
『私の珠を返せっ!』
『イヤよっ!あんたのじゃないわよっ!』
『何だとっ!くそっ!こうなったらっ』
『うっ』
『お前が悪いんだっ・・・うっうっ』
という感じでしたわ!」
はぁ??!!!
ガッツリ諍い?の声じゃない??!!!
しかも激しめのっ??!!
不穏だし、誰か何かされてそうっ!!
宝石の『玉』の取り合い?
宝石を盗んだ泥棒同士が奪い合って喧嘩したの?
若殿は眉をひそめ難しい顔で腕を組んで考え込んだ。
侍女がハッ!と何かに気づいたように
「そういえば、女性の声は一年前に亡くなった北の方にそっくりでしたわ!!それなら・・・死霊となった奥様の声だったの?だって、奥様はここで・・・・」
「余計な事をお客様に申し上げるんじゃない!聞かれたことだけに答えるんだ!噂好きのはしたない女子だと思われてもいいのか?」
いつの間にか侍女の後ろにいた八支正道が低い声で叱った。
若殿が顔を上げ、侍女に向かって
「北の方はどのようにして亡くなったんですか?」
口を開きかけた侍女を遮り八支正道が硬い表情で口早に
「私の目を盗んで通ってきていた間男に、この塗籠で殺されたんです。
私が宿直で屋敷を度々空けるのを利用し、妻は男を通わせ、不届きにも、この塗籠で密通していたのです!
一年前、私が宿直を終え屋敷に戻ると、妻が男に頸を絞められているのを見ました。
大声で怒鳴りつけると、その間男は妻から手を放し、東門の方へ駆けだしました。
妻を助けようとしましたが既に息は無く手遅れでした。
すぐに雑色たちに追いかけるよう指示しましたが逃げられてしまい、弾正台に訴え出てもいまだに捕まらずどこの誰だかもわかりません。」
若殿が
「北の方と結婚されたのはいつのことですか?」
(その3へつづく)