雅楽寮の赤錆(ががくりょうのあかさび) その4
京の都を出て、南東へすすみ、近江国との県境にある山の端に迫る場所に、その川はあった。
歩けば一刻半(3時間)はゆうにかかるので、馬を駆った。
とっくに日は沈み、辺りは真っ暗で、月は見えない。
雨がない日が続き、川の水が少なくなっていた。
暗闇に目が慣れてくると、わずかな星明りを頼りに見えたのは、川辺の土手に茂る背の高い葦のような草や、それに蔓を絡ませて這い登る葛、セイタカアワダチソウの黄色い花の茂み、豆科の薄紫色の房状の花、ススキなど、地面が見えないくらい生い茂る植物。
短い草の歩きやすい部分を見つけ、なだらかな斜面を降りる三人についていき、川の水に触れる場所まで降りた。
水が干上がり、小さい多数の丸い石が敷き詰められた川底が一部露出してた。
和邇辺が懐から笛を取り出し唇に当てると
「邪気を祓う呪いの意味を込めて奏します。」
龍笛のピィ~~~~~という、か細く鳴り始め、徐々に大きくなり、最高潮で突然、低い太い音に変わる調べや、かと思うと再び細い高い音に移り変わる自在な音色に酔いしれた。
若殿に訊くと『越天楽』という曲らしく、不安を掻き立てる、どこか切なくて寂しい、グッと胸に迫る曲だった。
余計に怖さが増したじゃん!!
今にも妖怪がでそうっ!!
雰囲気出さなくていいのにっ!!
ビクビクしながら辺りを見回していると北の空の山際が夕焼けのように少し赤く色づいてるのに気づいた。
若殿の袖を引っ張り指をさし
「こんな時間に夕焼けでしょうか?」
チラッと見ると
「ふむ。珍しい光景だ。おそらく赤気だな。」
よく見ると赤いかな?ぐらいなので和邇辺と楼英はまだ気づいていないようだった。
吹き終わった和邇辺が笛を懐にしまい
「ここです!この場所を向こう岸までいって帰ってくる途中に産女に襲われるのです!!」
興奮気味に呟く。
楼英は若殿に
「頭中将様が向こう岸へいかれるんですよね?私はご免です!」
若殿がサッサと指貫をたくし上げ膝の上で裾の紐を縛り、沓と下沓を脱いでふくらはぎまでを裸にした。
ジャブジャブと躊躇なく川に入っていく。
かろうじて見えていた狩衣の背中が黒い影になり水音がしなくなったので若殿が向こう岸に着いた様子。
向こう岸に着いたと思ったら、黒い影はキョロキョロ辺りを見回し、再びこちらを向いて帰ってくる。
ジャブッ、ジャブッ、ジャブッ。
水音をたてて渡ってくる最中、楼英が突然大声で
「あっ!!後に女がいるぞっ!!何か抱いてるっ!!産女だっ!!」
こちらを向いた男の影の後ろに重なるように、背の低い、細い体つきの小袖姿の影が見えた。
一瞬、ギョッとしたけど、よく見ると足もちゃんとあるし、姿形はクッキリしてる。
どうみても小柄な女性?
二つの影は川の真ん中あたりで、一抱えぐらいの何かを受け渡してた。
耳を澄ましても、チョロチョロ川の流れる音しか聞こえず、和邇辺の言ったように赤子の泣き声はしない。
妖怪じゃなく、生きた人間じゃないの?
産女の存在を疑い始めたとき、若殿が片手に包みを抱え、もう一方でその女性の腕を掴み、引っ張りながら歩き始めた。
ジャブジャブの足音に、乱れたチャプチャプの足音が加わり実在の女性が川を引っ張られながら渡っているように見えた。
二人とも無事河岸に歩きつくと、若殿は掴んでいた腕を放し、女性は草むらに両手両膝をついてヘナヘナと座り込んだ。
肩までの髪はザンバラに乱れて顔を隠し、和邇辺の言ったように白い小袖姿で、下半身に真っ赤に染まった大きなシミがあった。
血?
気持ち悪っ!!
ゾッとして少し後ろに下がる。
若殿は平然と
「世の中を騒がせていた産女を捕まえました。」
和邇辺も楼英も目を丸くして女と若殿を交互に見つめる。
楼英が声を絞り出し
「よ、よくも、怖ろしいことを!肝が太いですな!」
和邇辺も震える声で
「おいっ!お前っ!なぜ産女の真似をしたんだっ!!」
(その5へつづく)