雅楽寮の赤錆(ががくりょうのあかさび) その2
和邇辺が首を横に振りながら
「心の病と聞いていますが、最近まであんなに元気だったのに!・・・・全く、信じられませんね。」
楼英は声をひそめ
「私が聞いたところによると、愛していた恋人が不慮の事故で亡くなったのがきっかけで、心が病んでしまったとか。」
若殿が眉を上げ驚きを示した。
「確か、才原には北の方と子供たちが既にいると聞きましたが、別に恋人がいたんですか?側室ではなく?」
楼英が神妙な顔でウンと頷き
「話が面白く、人を笑わせるのが上手な、一緒にいて楽しい人ですから、女性にもモテますし、常に複数の恋人の元に通ってると聞きました。」
和邇辺もウンと頷き
「私の恋人の友人で奏楽という女子も、才原の恋人の一人でした。確か二人とも大内裏に勤める官人の娘です。奏楽がその亡くなった恋人かどうかは分かりませんが、今度、私の恋人・唱子に話を聞いてみます。」
楼英が興奮したように頬を染め、早口で
「それだけじゃありません!才原さんは屋敷を訪れ歌の個人教授をして、貴族の娘と次々に知り合っては、気に入った姫を恋人にしてたんですが、その色男ぶりがさる高貴な公卿のお耳に入って、その公卿に内々に宴会を催してほしいと頼まれたそうです!モチロン、美女をたくさん用意するように言われたそうです!」
さる高貴な公卿って・・・もしかして?
若殿も眉をひそめ、これでもか!ってほど眉間にしわが寄り
「そのさる公卿が才原の恋人に何かしたせいで不慮の事故がおこったわけじゃないですよね?」
楼英はウウンと首を横に振り
「宴会を催したことは数回あったそうですが、その詳しい内容までは聞いてません。さる公卿が誰かも知りません。」
そうそう。
詳しいことを知らない方が身のためだってことは世の中にたくさんある!
大殿が才原と親しい理由もわかったし、才原の恋人の死の原因が大殿じゃなければ何の問題もない。
もういいんじゃないですか?
帰っても?
深入りしてもいいことありませんよぉ~~!
若殿を見ると難しい顔をしてる。
「才原の住所を教えてくれますか。お見舞いがてら話を聞きたいので。」
というわけで、才原の屋敷を訪れることになった。
才原の屋敷は主殿、北の対の屋の他に厨、侍所、物置、ぐらいのこじんまりした屋敷だったが、庭も屋敷内もきちんと整えられた、気持ちのいい空間だった。
若殿が侍所で雑色に案内を乞うと、主の才原は主殿にいるが病の床に伏しているとのことで、北の対の屋に案内され、妻と面会できることになった。
渡殿を渡る最中、主殿をチラッとみると、格子がおろされ、遣戸も閉じられていたが、中から男性のブツブツと呟く声が聞こえ、若殿が雑色に訊ねると
「お祓いのため、神職に来ていただいております。奥様は殿の病の原因を悪霊だと考えておられます。」
北の対の廊下で、御簾越しに北の方と対面し、若殿が
「才原の病の原因は悪霊と伺いましたが、なぜそう思ったんですか?」
御簾の中から、甲高い、怯えを含んだように震えつつもハキハキとした女性の声が聞こえた。
「恋人の奏楽が死んだせいで、主人は心の病を得て床に伏してしまいました。奏楽が怨霊となっているとしか考えられません!」
奏楽といえば和邇辺の恋人・唱子の友人で、官人の娘という人かぁ。
若殿は険しい顔で
「怨霊になったと考えるなら、才原は呪われる心当たりがあるという事ですか?」
少しの沈黙のあと
「産女を御存じですか?」
若殿は少し眉を上げ興味を示し
「難産で死んだ女性の霊が妖怪化したものですか?川中に潜み、川を渡ると赤子を抱けと要求してくるという。」
「そうです。xx川でその産女を見たと雅楽寮の同僚の楼英が主人に話し、主人は奏楽が産女になったと思い込み心の病に罹ったのです。」
若殿は御簾の中を鋭く睨み付け
「つまり奏楽はお産の最中に亡くなったというわけですね?」
「それが、主人は寝ついてしまって以来、一言も話してくれないのです。ただ通っていた奏楽という恋人がおり、その奏楽に妊娠したと告げられたことは、以前聞いておりましたから、楼英が産女を見たという話を聞き、病の原因はそのせいだと思ったのです。」
「奏楽の妊娠を知った後も才原は奏楽の元に通っていたんですか?」
(その3へつづく)