目一箇の鬼神(まひとつのおにがみ) その4
夫が蒼白な顔で虚ろな目を梶に向け、魂が抜け出たような表情で
『ここは、この・・・屋敷は、あの鍛帑治が住んでいた屋敷なんだ。安義橋で出会った鬼に追いかけられ『今に見ていろよ』といわれた後、同腹の弟の姿に化けて帰ってきた鬼に喰われて死んだ、血まみれの首だけが残った、あ、あの鍛帑治の屋敷なんだっ!!
廃墟になっていたのを主殿だけは使えるようにしたんだっ!!』
歯の根が合わないのかガチガチと音をたてながら呟いた。
それから灯台の明かりが届かない片隅を見ては
『ギャァーーーーーーッッ!!!そ、そこにっ!!鬼がいるっ!鍛帑治を喰ったお、鬼だ!髪を振り乱したっ!あの爪の長いっっ!!うわぁーーーーっっ!!喰われるっ!!早くここから連れ出してくれっっ!!』
半狂乱になって手足をバタバタさせ、暴れるので、梶がその片隅を見ても何も見えない。
妻も
『やめてっ!!変なこと言わないでっ!!』
と叫んで、見たくないのか目をつぶって体を硬くして縮こまっている。
」
私はゴクリと息をのんだ。
「・・・で、そのあとは・・・・どうなったんですか?暗闇に潜んでた鬼がそこにいた全員を喰い殺した、とかですか?」
若殿も声を落としてゆっくりと
「いいや。梶は無事、美人局の犯人ふたりを弾正台に連行できたんだ。」
ふぅ~~~~~っっ!
大きい溜息をつき、
「なんだぁ~~~!脅かさないでくださいよぉ~~~!じゃあ夫が見たのは幻覚ですか?それとも怯えたフリして逃げるために暴れて、梶を撹乱したんですかぁ??それにさっきから梶っていうけど、若殿のことですよね?聞いた話にしては見てきたみたいに状況説明が詳しすぎますっっ!!ということはもしかして鬼女の屋敷に一人で乗り込んだんですかっ!!誘ってくれればよかったのにっ!!私も行きたかったのにっ!!」
ブウブウ不満を鳴らすと意地悪そうな笑みを浮かべ
「本当に鬼だったとして、喰い殺されたとしても私を恨まないか?」
「それはっ!恨みますけどっっ!!そうだっ!!じゃあ、マラを収集してたのは誰なんですか?夫でも妻でもないとしたら・・・・あの屋敷の主、鍛帑治ですかっ!!変態収集家なのは??ってゆーか鍛帑治は逃げのびたと思ったのに、結局、後日、鬼に喰い殺されたんですねっっ!!ひぇ~~~~っっ!!怖っっ!!」
今さらながら気づいて怖くなりブルっと身震いした。
若殿はケロッとして
「あぁ、マラの収集品か?驚いたふりをしたが、あれは私が持ち込んだ張形(男根に似せた模型)だ。弾正台に、美人局の被害を受けたという訴えがあったから、調査のために安義橋で女を拾って、屋敷に乗り込んだ。犯人たちを脅かして白状させるために持ち込んで、そこにあった葛籠に密かに忍ばせた。こけおどしが上手く効いて、怯えてくれたので無事、犯人たちを捕まえることができたよ!」
満足気に微笑む。
巌谷がウンウンと深く頷いて感心したように同意し、
「いやぁ~~、お手柄でした。しかし、あの後、現場検証に行った際に、あの葛籠の中にあったこの巻物は、やっぱり頭中将様が持ち込んだんですか?これは何に使ったんですか?」
巌谷が座った目の前に置いた巻物を指さした。
若殿が不審の表情を浮かべ
「ん?一体何のことだ?私は張形の他にはなにも持ち込んでいないが。私が最初に葛籠を見たときには何もなかった。」
巌谷の表情がサッと曇り
「じゃ、いつ誰が持ち込んだんですか?考えられるのは犯人逮捕後、現場検証前ですが・・・・こんなに気味の悪い絵を誰が何のために置いたんだ?」
興味津々で思わず口を挟む。
「絵?何の絵ですか?」
巌谷が蒼白な顔に冷や汗を浮かべ、巻物をクルクルと紐解き、我々の目の前に開いて置いた。
描かれていたのは、背の高い全身が青緑色で、鱗が剥がれかけたようなカサカサとした質感が手に取るように分かる肌に、ほうぼうに散らかり逆立った黒髪をはやした、まん丸い大きい赤ら顔、琥珀色に輝く目の中に黒い三日月のような瞳孔がある一つ目の、三本指で爪が刀のように長い、醜い鬼の姿だった。
それを見た若殿は何かに気づいたようにハッとして
「鍛帑治が襲われたという一つ目の鬼の姿絵だな。
鍛帑治が鬼の姿形を絵師に描かせたものか、それとも先にこの絵をみた鍛帑治が鬼の幻覚を見たのか?
安義橋がある近江国は、農具鍛冶がさかんなことで有名だ。
鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、鍛冶の神は一つ目だと言うらしい。
この絵は人喰い鬼ではなく、職人たちが崇めるために描いた畏敬の対象としての『鍛冶の神』の姿なのかもしれないな。」
ポツリと呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『赤い顔と琥珀色の目』は火を、『青緑色の長い体』は青銅の剣を連想するなぁと思っていたら、鍛冶の神様は日本神話では『天目一箇神』、ギリシア神話では『キュプロクス』という一つ目の神様らしいので、『安義橋』で男が追いかけられた鬼はその地方で行われた鍛冶(野たたら)の神様の化身?説がしっくりくるなぁと思いました。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。