地上の雲(ちじょうのくも) 後編
白郎女の目が覚めたというので若殿は面会に行くことにした。
「以前の託宣のときも今回のような状態になりましたか?」
白郎女は具合が悪いので体を起こせず、横になったままか細い声で
「いいえ。こんなに気分が悪いのは今回が初めてですわ。」
「倒れるまでの間に、いつもと違う事がありましたか?」
白郎女は天井を見つめたままじっと考えていたが
「何も。何もありません。変わったことなど。」
私は口をはさむ
「黒い影が後ろに突然現れたでしょう?その瞬間何かあったのではないですか?」
白郎女は私の方を見て目を細めて口元を緩め
「まぁ。かわいらしい童ね?今日は若君のお供なの?黒い影など私は見ていないわ。」
童といわれてちょっとイラっとしたけど、微笑んでもらえると照れ臭くなったので早口で
「でもその直後にあなたは倒れたんですよ!神に乗り移られたんでしょ?」
白郎女は目をつむってしばらくじっとしていたが
「確かに、急に気分が悪くなって倒れてしまったの。」
「じゃあ、やっぱりあの黒い物が現れた瞬間に何かが起こったとしか考えられませんね!」
私はすっかり大黒様犯人説に固執した。
「どこか痛む場所はありますか?」
と若殿が言うと白郎女は
「そうですね・・・。なぜか指先が痛みますの」
若殿が白郎女の指先を見ると人差し指の先に小さな点の出血があり、少し腫れていた。
「原因が思い当たりますか?植物の棘が刺さったとか針で刺したとか。」
白郎女は首を横に振った。
もう少し白郎女を安静にさせたほうがいいとの事でその場を離れた。
若殿はもう一度、白郎女が舞った場所を見に行き、周囲を見渡したり、地面についている痕跡を調べたり囃子の奏者と話したりした。
そばに敷いてある筵の上の三宝にはまだ鈴や扇などの採物が並べてあったが、白郎女が倒れたとき持っていた榊は無くなっていた。
若殿は調べ終わるとまた白郎女の寝ている房を訪れ、白郎女に何か耳打ちした。
すると白郎女は急に険しい顔をして苦しみだした。
「ううっ!ああっ・・・」
と額に脂汗を浮かべ寝返りを打つ
「竹丸!神主を呼んでくれ!様態が急変したと」
私は急いで神主を探して連れてくると、白郎女は唇をブルブルと震わせ急に低い声でうなりながら
「う~っ・・・私はウカノミタマ神だ。この巫女を殺そうとしたのはお前だな・・・」
といい神主を指さした。
神主はびくっと身を震わせ一歩後ずさった。
若殿が
「神がかりです!じっとして最後まで聞きましょう」
白郎女は低い声で続ける
「なぜ・・・お前は巫女を殺そうとした?」
「私が?私は殺そうとしてません!私は彼女を大切にしています。心から守りたいと思っているのです!そんなことするはずない!」
「嘘だ!お前が毒を仕込んだんだ!」
というと白郎女はバタッと全身の力が抜け目を閉じたまま動かなくなった。
神主が若殿の顔をうかがうと若殿は静かに言った
「毒を仕込んだ犯人はあなたです。あなたが採物の榊に毒を塗った棘をつけたんです。彼女が持って振り回している間に、いつか指にささるように。
そしてその榊は確か彼女と一緒に持ち去りましたね。」
神主は若殿をキッと睨むと
「それがどうした!私がやった証拠はない!もう榊は焼き捨ててしまったからな!」
と開き直って言い放った。
えーっ!神主なの?と私は驚いて
「じゃあ、あの黒い怪物は何ですか?」
「だからさっきから言おうとしただろう、あれは霧に白郎女の影が投影されたものだ。雲の中から朝日が細く差し込んだから起こった自然現象だ。」
・・・何だ。偶然、毒が刺さって倒れたタイミングにうまく自然現象が起こっただけかぁ。
タイミングが重なっただけでも十分不思議だけど。
がっかりと納得を同時にかみしめてると若殿が神主に向かって
「あなたは白郎女に恋愛感情を抱いてるのではないですか?それを彼女が拒否したから殺そうとしたのでは?」
神主はみるみるうちに顔が真っ赤になってこけた頬を震わせながら
「いいやっ!違う!あんなっ!あんな売女にっ!誰が恋などするもんですか!」
あれ?さっきの表情・言葉と全然違うなぁ。
さっきは彼女の霊力に感動して憧れてるみたいだったのに。
そもそも巫女は乙女じゃないとだめなのに『売女』って・・・?
と思っていると、
「何よ!さっきから聞いてりゃぁ売女ってどーゆーことよ!
よくもあたしを殺そうとしたわね!そこの若君が教えてくれなかったら気づかなかったわよ!
この変質者!人殺し!あんたがあたしとどうにかなりたいなんて百年早いわよ!キモいおっさんの誘いを断っただけなのに逆恨みして殺そうとするなんて!
あんたなんか誰も相手にしないわよ!」
寝てたと思っていた白郎女が上半身を起こして神主を罵った。
少し前まで、優雅で上品なたたずまいと天女かと見まごう美しさの舞姿だったのに、そのあまりの急変ぶりに呆気に取られていると、
フラれたことを暴露され、さらにキモいとまで言われた神主は屈辱に打ち震えながら
「おっお前など!誰が本気で誘うものか!お前が嘘の託宣で有名になるように仕組んで、いろんな客が見に来るようになってから若い男をとっかえひっかえ!
アバズレめ!そんなふしだらな女なら金で誰にでも身体を許すと思っただけだ!」
・・・神主と巫女とは思えない下品な言葉が並ぶ。
巫女と神主、どちらも神に仕える身なら『穢れのない清い身体と高潔な心』が建前のはずなのに・・・。
なんだか大人の嫌な部分を見せつけられた気がする。
冴えない中年男性が若くてキレイなハキハキ系・奔放女子に告ったけど、こっぴどくフラれてプライドを傷つけられたので仕返しに毒を仕込んだということか。
神主は可哀想だけど毒で殺そうとするのはやりすぎだし、白郎女はズケズケ言い過ぎて自分の命を危険にさらすなんてばかばかしい。
でも、彼女が倒れた直後の様子から察するとまだ神主は恋心を捨てきれずにいるようだ。
帰り道、若殿に
「結局、神秘的な霊現象はあの霧に投影された影という偶然の自然現象だけで、噂になっていた霊力によるお告げは彼女のウソだったってことでしょう?
若殿が耳打ちしたのは『神がかりのふりで神主を動揺させろ』とか言ったんでしょ?
あんなことがあって、二人はこの後一緒に神社で神職を続けるんですかね?」
と聞くと若殿は
「帰る前に白郎女に『神主の恋心を利用してうまく操れば、忠実ないい僕になる』と助言したからきっと大丈夫だろう。強かな人のようだしな。」
と言い、さっきとは違って晴れ渡った青空に、きれいな真っ白い雲が浮かぶのを見上げて
「雲は空にあるから美しく神秘的に見えるが、霧となって身近にあるとべたべたとして煩わしいものだな」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
神職にしても僧侶にしても欲望という世俗の穢れから逃れるには相当の意志が必要だと思いますがどうでしょう?
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。