地上の雲(ちじょうのくも) 前編
【あらすじ:巫女といえばその霊力で神様を自分の体におろし、神様のお告げを人々に伝えるすごい人。
巫女舞はその神がかりの一部始終を見ることができる大イベントだが、巫女が託宣せずに倒れたまま動かない。
神の憑依か?事故か?事件か?時平様は今日もキレイに解き明かす。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は遠くに見える白い雲は幻想的で美しいですが・・・というお話。
ある日、私と若殿は都で噂の美女巫女・白郎女の奉納舞を見物しようと、少し山を登ったところにある神社を訪れた。
奉納舞は朝早くから行われ、降り続いた雨があがった空は一面薄曇りでほの暗い。
神社の庭に、巫女が舞う四角い空間があり、その周りには筵がひかれ、太鼓や笛、銅拍子などの囃子の奏者が数人おり、音にあわせて採物を手にした巫女が舞い踊る。
都で噂の巫女・白郎女は十八ぐらいの一目見ると納得の美人で、長いまつげと少し切れ長の瞳、筋の通った細い鼻、尖った顎など冷たい感じのする容貌だった。
しかしその目に見つめられるとまるで蛇に睨まれた蛙のように、目が離せなくなる魅力がある。
くるくると回る白郎女と目が合い、微笑みかけられた私は思わず『何でも言う事を聞きますっ!命令してくださいっ!』と言いたくなった。
若殿も隣で食い入るように舞を見ている。
その五穀豊穣を願う奉納舞は白郎女が一人で舞うもので、身を清めるための舞を舞い、採物である榊を手に持ち、続いてその場で右に数回まわったと思ったら逆にまわるを繰り返す。
太鼓や銅拍子がリズムを刻み調子を取り、それにあわせて笛が節をつける。
その単調な音と踊りを見ているうちに眠いような心地いいようなうっとりとした気持ちになってくる。
だんだん囃子のテンポが速くなるにつれて白郎女の旋回も速くなっていく。
髪を揺らしてくるくると舞う白郎女の顔も紅潮し息遣いも激しくなる。
私は少し目が覚めてきて、ワクワクしてきた。
何かが起きそうな予感がした。
ふいに濃い霧が辺りに立ち込め、激しく旋回する白郎女の姿がぼんやりとしか見えなくなった。
私は目を凝らして舞姿を見ようとしたが、緋袴の赤がチラチラと見えるくらいになった。
隣に立っている若殿の顔を見ると若殿も目を細めて霧の中の白郎女を見ようとしていた。
朝日が一筋差し込んだかと思うと白郎女の後ろに大きな黒いものが現れた。
「若殿!怪物が白郎女を襲ってますっ!」
と思わず声を上げると、若殿は
「いや、あれは・・・」
と言ったとたん白郎女はパタンと倒れ込んだ。
「やっぱり襲われたんですよっ!様子を見に行きましょう!」
と若殿と一緒に駆け付けた。
白郎女のそばに若殿がしゃがみ込んで、呼吸と脈を確認しようと手を伸ばすと
「穢れた男が触るな!」
と声がした。
そちらをみると四十ぐらいの神職の恰好をした男が息を切らして近づいてきた。
その神主はやせて、筋張った体格で、神経質そうにこけた頬を引きつらせながら
「巫女は乙女なのだ。不浄の者が簡単に手を触れてはいけない。」
と叱る。
私は思わず
「失礼な!若殿はだれよりも純情で清潔な、そしてまだ乙女ですっ!」
と神主に言い返し、はっとして恐る恐る若殿の顔をみると、額に青筋を立ててこちらをにらんでいる。
・・・何だよ!怒らなくても生息子なのは本当じゃん。
神主はそんなことは聞いてないように白郎女を心配そうに見つめ
「神がかりかもしれないから、しばらくこのままに。」
神がかりとは『神霊その他の霊的存在が人身にのりうつること』だが、五穀豊穣を願うこの巫女舞の場合、神が巫女の体に乗り移って作物の出来を託宣(お告げ)する。
私たちはしばらくそのお告げを待ったが、白郎女はピクリとも動かないので若殿が
「呼吸と脈を確認してください。そして息があるなら屋内に運んで薬師を呼んで様態を確かめないと。悪くなるかもしれない。」
というと、神主はやっと同意して脈と呼吸があることを確認し、採物を袂にいれ、白郎女を抱え上げて屋内に運んだ。
「若殿、白郎女は一体どうしたんでしょう?病気でしょうか?」
「さぁ。後で聞いてみるしかないが。」
「黒い怪物が白郎女の後ろにいました!あれのせいでは?」
「神がかりというからには白郎女の中に入るものがいるなら、それは神じゃないのか?」
「じゃぁ神が体に入って具合が悪くなったんですか?」
「そうじゃないだろう。あの黒いものは・・・」
「じゃあ!何のせいですか?調べるんですか?あの神主うるさそうですよ。」
と私は眉をひそめて口をとがらせる。
「『関白殿から噂の巫女を調べるように頼まれたので報告が必要』とでもいえば調べさせてくれるだろう。」
と若殿と私は白郎女の倒れた原因を調べることにした。
神社の敷地内の神主の屋敷に白郎女は寝かされているらしく、目が覚めるまで若殿は神主に話を聞くことにした。
「白郎女は持病があるのですか?前にもこんなことがあったとか?」
神主は首を横にふり
「いいえ。いたって健康です。今日まで風邪ひとつひいたことがありません。」
「彼女はいつから巫女をしているんですか?」
「二年前に、ある受領から妾腹の娘が霊力があるから巫女にしてくれと言われて預かりました。」
「では、今までにその霊力で託宣したことはあるのですか?」
これには神主は少し考えて
「そう・・・ですね。数度ありました。一瞬、白目になって意識を失い、取り戻すとすぐお告げをしました。
たとえば『今年は米は不作だが、麦で補えるので麦の作付面積を増やせ』などの。」
・・・作付面積ってやけに具体的なお告げだな。
「今の様態はどうなんですか?薬師の見立ては?」
「薬師は毒に当たったとの事です。」
と神主は深刻な顔をした。
私はいいところを見せようと口をはさんだ
「白郎女が舞いの直前に何か口にしましたか?それに毒が入ってたとか。」
神主は無表情で私を見て
「いいや。皆、同じものしか口にしてない。」
私はがっかりしたが、すぐ思いついて
「じゃあ霧に紛れて近づいて、毒を飲ませたか、針に毒を塗ってさしたんだ!」
若殿が
「霧がいつ出るか予想するのは難しいし、舞の最中、観客が多い中ではさすがに近づくのは無理だ。」
「じゃあやっぱり黒い怪物のしわざでは?穀物の神様は大黒様でしょ?」
神主が笑って
「ここの祭神はウカノミタマ神、保食神だよ。大黒様が祭神のところもあるけどね。」
「そういえば、ここが有名になったのは白郎女が美人だというほかに、巫女舞の最中に不思議なことが起こったからだとか。
託宣もその一つでしたね?」
「そうです。だから、今日の黒い影も神がかりの一つでしょう。
本当に彼女の霊力には驚かされます。尊い、得難い能力です。」
神主は上気した顔で感動したように目を輝かせて語った。
(後編へ続く)