誓約の瓢箪(うけいのひょうたん) 後編
清経様はふいに
「そろそろ俺は帰るわ。」
といって立ち上がり、よろよろしながら私に
「俺の酒を冷やしてくれてたんだよな?持ってきてくれ」
私は忘れかけてたが、
「はい!只今お持ちします!」
とヒョウタンを冷やしていた水瓶の元へ走った。
ヒョウタンを冷やしていた水瓶を覗くと、一つのヒョウタンしか浮いておらず、私はあれ?と思ってそのヒョウタンの蓋を開けて匂いを嗅ぐと水だった。
水瓶を覗き込むと水の底に沈むもう一つのヒョウタンを見つけ、急いで引き上げ匂いを嗅ぐと、薄まった酒の匂いがする。
私は焦ったが、『あれだけ酔ってれば気づかれないかも』と一縷の望みを抱き、清経様の元へ行きヒョウタンを渡すと、蓋を開けぐいと飲んだとたん清経様は
「何だ!これはっ!薄まってるじゃないか!俺の上等な酒が!どういう事だ!おいそこの童!お前、水で薄めたのかっ!」
と赤い顔をもっと赤くして怒鳴った。
私は正直に
「清経様のヒョウタンだけが水瓶の底に沈んでしまったのです!私にも訳が分かりません!」
と縮こまりながら言ったが、清経様は私の胸ぐらをつかんで前後に何度もゆすり
「お前まで俺を馬鹿にするのかっ!そんなことあるわけないだろう!この野郎!俺を何だと思ってるんだっ!どうせ見下しているんだろう!陰で嘲笑っているんだろう!」
と涙まじりの怒声でまくし立てた。
私はすっかり殴られる覚悟で目をつぶったが、若殿が私の胸ぐらをつかんだ手を掴み引き離してくれ
「叔父上、竹丸は叔父上を辱める事はしません。」
「それならこの水で薄まった酒はどういうわけだ?」
と据った目で、若殿を見つめた。
若殿が清経様からヒョウタンを受け取り匂いを嗅ぐと、
「ヒョウタンの中に水瓶の水が入ったんでしょう。蓋に隙間があったのでは?」
私は慌てて
「いいえ!私の水が入ったヒョウタンはずっと浮かんでいました。蓋も同じようなものなので水が入るなら私のにも入ると思いますが。」
若殿は少し考え清経様に向かって
「水と酒の違いによるということは、叔父上、ヒョウタンの皮にある見えないくらい小さな穴から酒を薄めるために水が浸透したという事でしょう。
おそらく、ヒョウタンの皮で隔てられた内と外の物質の濃度が同じになるように水が浸透するのでしょう。」
「水瓶の水が混じり物が無くきれいで、ヒョウタン内が酒だったから水が入ったのですか?」
「そうだ。中が濃い塩水でも水が浸透しただろう。水が満タンに入って重くなったから沈んだんだ。」
清経様はちゃんと聞いていたかどうかはわからないが、空をにらんで舌打ちして
「ふんっ!まぁ理屈はどうでもいいが、太郎!酒を入れ替えてきてくれ!こんなもの飲めんっ!どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!ちくしょう!」
と毒づきヒョウタンを下に叩きつけた。
若殿は私に目で合図し、私はヒョウタンを拾い上げ急いで酒を入れ替えに厨へ走った。
酒を入れ替えた後、戻ってきて酒の入ったヒョウタンを清経様に渡しながら、恐る恐る
「誓約したのを覚えてますか?」
と聞くと、清経様ははっとして
「・・・何だ。沈まないはずのヒョウタンが沈んだ・・ということか。
茨田衫子のヒョウタンは川に沈まず、人身御供を免れたというのに、俺のヒョウタンは沈んだ。
この身を政務に捧げて、醜態をあらためろという天のお達しかな。」
と少し反省したようだった。
日本最初の大規模な土木工事である茨田堤の築造の際に、天皇の夢で名指しされて強頸と衫子は土木工事の人身御供にされるところだったが、ヒョウタンを川に投げ入れ
『もしヒョウタンが川に沈むようなことがあれば、本物の神様と信じて生贄になってもいいけど、ヒョウタンを沈められないなら、偽物だから断る!』
という誓約をしてヒョウタンは沈まずその賭けに勝って生き残った。
もし清経様が茨田衫子の立場だったらヒョウタンが沈んで、そのまま生贄にされた・・・と思うと、何が自分の身を滅ぼすかわからないなぁ思った。
そして神様に生贄に名指しされても助かる道はあるのか!とちょっと希望がもてる話だ。
清経様が帰り、いよいよ『何の道を踏み外したのか』を若殿に尋ねようと、
「若殿、なぜ清経様は、あのような放蕩な振舞をされるのですか?お酒をやめれば出世もできるのでしょう?」
若殿は言うか言うまいかを悩んでいるように考え込んだ。
「叔父上が、浴びるように酒を飲むようになったのは五年前からだ。」
「五年前に、何があったんですか?犯罪ですか?事件をおこしたとか?仕事で失敗したとか?」
若殿は違うと首をふった。
「叔父上も決断するまでは随分悩んでいたそうだ。
世間に後ろ指さされることや、悪しざまに噂されるだろうことも考え、出世の道が閉ざされることも覚悟し、考え抜いた結果、それ以外に道はないと思ったんだろう。
自分では正しいことをしていると思っても、世間は許さないこともある。
自分の選択が大事な人を傷つける結果になるかもしれない。
それでも飛び込まなければならない運命もある。」
・・・何のことだろう?
「本来それは、祝福されるべきことだったんだが、叔父上の場合は違った。」
「どういうことですか?」
「五年前、叔父上はある女性を娶ったんだ」
「あっ!わかりました!誰か身分の高い方の恋人を横取りしたんですね!」
若殿は違うと首を振る
「叔母上、藤原栄子様を娶ったんだ。」
「どういうことですか?だってそれなら・・・」
若殿はうんと頷く
「そう。叔父上は同母の『妹』を室、つまり北の方にしたんだ。」
と若殿は呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
誓約に使うほどヒョウタンて沈まないと思われてたんですねぇ。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。
(*)アルコール水溶液の比重は水より小さいので、ヒョウタン内に水が浸透しても沈まないのでは?と自分で疑問を持ちましたが、当時はどぶろく(にごり酒)だったので、不純物が多く、水より比重は重かったという事で許していただけたら幸いです。